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ルクソール神殿

エジプトのルクソールはピラミッドのあるカイロに次いで人気の観光地だと思います。ルクソールにはエジプト最大の神殿であるカルナック神殿がナイル川の東側に、西側にはデリエルバハーリや王家の谷などがありますが、ルクソールの魅力は神殿だけではなく気球から朝日が見られるアクティビティやナイル川クルーズなども楽しめる場所です。

そして今日ご紹介したいのはルクソール神殿です。

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この地の名を冠にしたルクソール神殿はカルナック神殿と対の関係です。というのも、古代エジプトにおいてとても重要な祭礼「オベト」が行われていたのはこの地。ナイル川の増水期、カルナック神殿に鎮座する太陽神のアメンがルクソール神殿に来て、妻であるムート神と婚礼の儀式を10日間に渡り取り行われました。

こちらがルクソール神殿に描かれていたアメン神です。

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詳しくいうと農耕の神・ミン神と融合されたモチーフだそうです。分かりますか?男性のシンボルが大きくなってます。凄く大胆な描写…恥ずかしい程なんですが、これは日本で言うところの子孫繁栄や作物の豊穣を象徴しています。古代エジプトで生命の源は太陽とナイル川です。古代エジプトの宗教観において毎日太陽が東から昇り西に沈んで行くことと、年に一度(8月〜10月くらい)ナイル川が増水しやがて水が引いてくるとそこには栄養分の豊かな黒い土が上流から運ばれ、この土のお陰で小麦などの栽培が可能になるということは再生・復活を表す最重要事項です。生命の源であり、宗教観の根幹でもありました。つまりこの絵の意味するところは、太陽神の恵をファラオが受け取っているという事です。

そしてこの絵に擬えて、神の生ける化身であるファラオが実際にご自身のモノを摂取してナイル川に流すような儀式があったのでは?ともガイドさんが教えてくれました。

祭礼「オベト」の様子ですが、カルナック神殿とルクソール神殿の壁絵に残っていますので、実際に行った際はぜひ探してみてください。聖なる船と供物を運ぶ大行列の絵となって表現されています。

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ルクソール神殿の作りですが、簡単に説明するとまずはエントランスですね。大きなファサードがあります。

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これらの像は全てラメセス2世です。

オベリスクが一本立っていますが、本来こちらは対になっていました。その片割れは今ではパリのコンコルド広場にあるそうです。

ファサードを抜けるとラメセス2世の中庭に繋がります。

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写真は中庭の一角で、実際は四角形に広い空間になっています。

ここにはやや黒い石で作られたラメセス2世の坐像がありますが、これの保存状態が素晴らしい。硬い石に貼られているんだろうなと思いました。

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この坐像の椅子部分の側面に書かれているモチーフですが、他の場所でもたくさん見かけました。2人の男性が植物を持って向かい合っています。こちらは上エジプトと下エジプトをファラオが統合した事を表しています。2人が手に持っているのはハス(上エジプトの象徴)とパピルス(下エジプトの象徴)です。

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こちらは捕虜のモチーフ。王が勇敢で強い事を表しています。楕円の中には国や地域の名前が書いてあるそうです。

そして、大列柱廊を進むと次の中庭に出ます。こちらはアメンホテプ 3世の中庭です。(写真の中央、柱がずらっと並ぶ所が大列柱廊で、その奥は入り口のファサード)

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アメンホテプ 3世の中庭の奥が神殿の本丸である、アメン神殿や誕生の間などです。神殿付近は他の方も沢山いてあまり写真は載せられないのですが、ある一部屋、特に壁画が素晴らしい所がありました。たぶんプトレマイオス朝時代のものだったと記憶しています。壁画の彫り方は2種類あって通常の丸彫り(絵や文字の部分を彫る)と浮き彫り(絵や文字の部分を残す)がありますが、こちらが浮き彫りです。丸彫りよりも時間と労力がかかります。

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たぶんファラオが神に捧げ物をしている所だと思います。

ガイドさん曰く、プトレマイオス朝を開いたのはギリシャ人であるアレキサンダー大王で違う文化を持つ王だったが、エジプトを侵略的な統治ではなくエジプト土着の文化を大切にした政治を行ったため王朝を発展させる事が出来たそうです。

ルクソール神殿はカルナック神殿より小さいですが、見所は沢山あるので2、3時間の見学時間が必要だと思います。

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カルナック神殿見学で面白いなぁと思った点が他にもあって、それは古代エジプトの王朝が終わった後の宗教的な歴史の痕跡を見れたことです。ルクソール神殿の入り口のファサードの裏側にモスクがありました。イスラム教の宗教施設として現在も使われいます。

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二階の様に見える所にドアらしき物があります。実はその高さまでルクソール神殿は砂で埋まっていて、モスクが作られた当時はこちらが本当の入り口だったそうです。今では地上から7,8メートルくらいありそうです。

ではこちらの写真を。

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なんとキリスト教の宗教画がありました。現在のエジプトには1割以下ですが、キリスト教を信仰する方がいるそうです。その流派はコプト教、コプト教はとても古くからある流派で実はイスラム教がエジプトに来る前からあった宗教でした。

エジプトの宗教について軽く調べました。古代エジプト時代では多神教が信仰されていましたが、古代エジプト末期のプトレマイオス朝はギリシャ人の王なのでギリシャの宗教が入ってきて混ざり合います。その後、古代エジプトはローマに滅ぼされます(紀元前30年)。そして1世紀、マルコスがアレキサンドリアにキリスト教の教会を建て、5世紀には明確にコプト教という流派が成立しました。

7世紀ごろアラブ人が入植し始める事になりますが、イスラム教が出来たのも7世紀初頭なのでこの頃です。14世紀にはキリスト教徒やその宗教施設がイスラム教徒によって焼き討ちにあい迫害される事件がありました。時が経ち19世紀にイギリスがエジプトを植民地とすると今度は宗教の自由が保証されキリスト教信者を守る動きが生まれたと、実に複雑な歴史背景です。このような歴史の痕跡をルクソール神殿で見ることが出来ました。

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帰りがけに伝統的な武術を見ることが出来ました。ラッパ吹きの楽器隊が奥にいて、2人は長い杖を振り回す舞闘のような感じでした。

以上がルクソール神殿でした。ルクソールには考古学博物館もあります。今回の旅で私たちは行けませんでしたが、次回は必ず寄りたいと思っています。

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