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人との付き合い方〜真面目の弊害、正しさを押し付けないこと〜

私は小学生・中学生の頃、とても真面目でした。

先生に怒られることはしたくない。

同級生にもそれを求めていました。例えば、騒がないで、とか。一番許せなかったのは「宿題見せて!」と言われること。

宿題は自分でやってこそ意味があるし、努力を簡単に横取りされる感じが嫌だったんですねー。

そこで「自分でちゃんとやりなよ。」と言っちゃうタイプでした。

…友達になりたいですか?

なりたくないですよね!

自分でもそう思います!!

そんな感じで、一人で過ごすことが多かったわけですが、「こんな私と仲良くしたい人はいないよなぁ。」と理解はしていた感じです。二人組作って、とかであぶれても、まぁしょうがない!という気持ち。

ある時、父が車で聞いていた自己啓発の講演の内容ではっとさせられるまでは。その話はこんな感じでした。

『昔は体の大きな子が弱い秀才の子を守り、その子から勉強を教えてもらったりして、持ちつ持たれつの関係だったのだ。それぞれ得意なことで助け合えばいいのだ。』

!!!

私は自分のできることで他の誰かを助けていない!だから誰からも助けたいと思われないのだ!と気付いたわけです。

それからはちょっとは柔軟に対応しようと変わったと思います。高校ではお願いして勉強を教えてもらう側になってしまいましたが。

この経験は私のマナー講師としての方針にもかなりの影響を与えてます。

「正しい(と思う)ことを人に強制的に求めないこと」

例えば、電話は3コールで出ないといけないと学んだのだから、そうしない人はだめだ!という極端な思考にならないようにして欲しいとお伝えすることがあります。「なんでこの店は早く電話にでないの!」と他人を攻撃しても、言われた人は萎縮し、自分には怒りの感情が残る。自分にとっていいことは何もないと思うのです。

そうすべき、そうしたいと思ったなら、自分ができるようにすればいいだけですよね。「自分ならこうする」ただそれだけ。人にまで完璧を求めるとイライラしてしまう原因になります。だからそうならないように気をつけています。大切なのは、電話をくださって嬉しいという気持ちを“自分が”どう表現したいのか、のはずです。もちろん社内で後輩に電話対応教えてくださいと言われたら、教えてあげてくださいね。

宿題の例で言うならば、「私は宿題をする派だけど、宿題ができない人もいるかもしれない。まずは自分がしっかり取り組んだら、成績が上がる。宿題をやれば成績が上がることに気付いたら、みんなしっかりやるようになる。そうしたら私がそんな教室の中で学べる!もしできていない人が教えて欲しいなら、教えてあげたらいい。だってその方が早く理想の教室になるかもしれない。」という感じでしょうか。私の好きな言葉で言うと、《自己中心的利他》に近いと思います。ただ、当時はここまで深くは考えられていなかったと思います。

自分が正しいと強く主張することで、人が離れることがある。正しいと思うことこそ、人に求めず自分だけでも行うことを習慣にしよう。

そんな私の経験でした!

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