自分で選び取る

フミコフミオさんの書籍
『神・文章力 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』の

第1章「捨てる前提で書く」ことに意味がある

に、以下のようなことが書かれている。

 ウェブメディアで発表した文章、書籍・・・・・・。
 僕は、ほぼすべての文章の初稿をガラケーで書いている。
 その話をすると「マジすか」と呆れられる。ガラケーに愛着やこだわりがあるわけではない。書きやすさを追求した試行錯誤の結果が「ガラケー執筆」だったのだ。
(略)
 初稿から一切の原稿をパソコンで書いたこともあるが、イマイチ気分が乗らなかったうえ、でき上った文章もどこか他人行儀で、担当編集者さんからも「ガラケーで書いてない文章はイマイチですね」と指摘された。
 以来、ますますガラケー執筆から抜け出せなくなっている。

『神・文章力 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』フミコフミオ著
KADOKAWA発行 p.61~p.63より一部抜粋


ガラケーとは。

呆れこそしなかったが、

そんなことできるんだなぁと驚いた。



私自身は、大きな画面だと流れがつかみやすいので

長い文章を書くにはもっぱら自宅のPCを利用する。



外出時はiPhoneのメモ機能。

記事の作成の素材や、
長年書き溜めている将来の展望。

あるいは、仕事に関するアイデアや工夫など
サイトで見かけたものをコピペして
メモに残しておける便利さは何物にも代えがたく
メモが個人史のようになっている。


それから、家族の体調の変化や
〇〇は△△スーパーでいくらだった、などの
母的重要項目まで。


スマホの小さな画面だと
勢いに任せて気軽に書ける感覚がある。

フミコフミオさんの軽快な文章は

ガラケーの上を指が走っていたからなのか、と思った。




先日、ライティングの師、江角悠子さんからニュースメールをいただいた。

その中で執筆環境に関して、ポメラのことが書かれていた。


ポメラとは、
文字入力に特化したデジタルメモツール。




私はここで初めてポメラというものを知った。

インターネットにつながらない、あくまで
「書く」ための機器。

漢字の自動変換機能もないため、
一つ一つ小まめに変換していく作業が必要になる。
そのおかげで文を着実に編み出していくような感覚になるだろう。

ネットにつながらない。
自動変換もない。
頭の中にあるもののアウトプットだけに
時間をかけて集中できる。

世の中はどんどん便利になって
多機能です!
これひとつでこんなこともできちゃいます!がもてはやされていたはずが

昨今ではシンプルな方向へとそぎ落とされている傾向にある気がする。

利用する側が自分に必要なものを見きわめ、選び抜く
主体性が求められている風潮になっているのか。



「書く環境」

私にとっては新鮮な視点。


ガラケーしかり、ポメラしかり、
私には未経験のツールがたくさんある。

どれを心地よいと感じるのか。

どのような文章が残せるのか。

2024年はいろいろと試してみたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?