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仕事とお金の話2(はじめましてシリーズ)

前回からの続きです。2008年にリーマンショックがやってきました。

たくさんの雑誌が休刊になり、どんどんギャラが削減されていきました。ギャラが下がるということは、同じ額を稼ぐためにやらなきゃいけない量が上がったわけです。書くだけの仕事をしていたら、腹が立ててばかりになりそうだ、と危機感を感じました。原稿を書くという行為を嫌いになってしまうことが心配になったのです。だからそこから、物理的に不可能か、よっぽどおかしな仕事以外はとにかく引き受け、かつ大量の原稿を書く何年かが始まりました。きっとこれから先細りする業界だから、今のうちにがんばっておかないと、という焦りもあったと思います。

リーマンショックのもうひとつの弊害は、全体的な仕事の内容が保守的になり、おもしろくなくなったこと。同じような仕事ばかりやっているなと、閉塞感を感じ始めたので、これは自分の意思でアウトプットできる場所を作らなければならない、と、仲間たちとiPadマガジン<Periscope>を始めました。今、「景気が悪くなった」に対する自分なりの回答が、「インディのものを作る」ということだったことを思い返すと、自分の金銭感覚には何か大切なものが欠落していると思わざるを得ないのですが、景気が悪くなったせいで、同様の閉塞感を感じ、「ギャラはなくても面白いことがやりたい」と思って参加してくれた人たちの協力を得て、<Periscope>は基本、ゼロ円で作りました。最終的にはやめることになってしまったけれど、お金をかけずに自分の誇りになるようなキレキレなものを作れたので、自信につながりました。

とはいえ、結局、大量の仕事をこなしながら、自分のマガジンを作り、かつ毎晩遊びに行くという生活が続くわけはありません。ろくに体調管理もしていなかったために、そのさきに大怪我をする事件が待っていました。前にも書いたように「ヒップな生活革命」は怪我の功名として生まれた本ですが、これが予想以上に多くの人の手に届いたことで、今度はまた違うタイプの仕事が入ってくるようになりました。企業さんに呼んでいただいて話をしたり、海外進出のコンサルをしたりというタイプの仕事が急に増えたのです。私の本のせいで問い合わせを受けたアメリカの企業から相談を受けることも増えました。同時に、原稿依頼も一気に増えたので、「こりゃあ全部を引き受けていたら死んでしまうな」と思い、仕事を振るいにかけることができるようになりました。

この頃、私のギャラに対する考え方にシフトが起きました。いただけるお仕事はすべてしましょうモードから、全部を引き受けることはできないと腹を括ったのですが、仕事の依頼を引き受けるかどうかを悩んだり、周りの人たちに相談して答えを出すうちに、自分の中で規準のようなものができてきました。

1、原稿については、ギャラの良し悪しよりも、テーマや取材内容次第で、書きたいか書きたくないかのジャッジだけで決めることにしました。お金をいただくお仕事であると同時に、原稿を書くという作業が、自分にとって表現活動になってきたため、値段を規準にするとおかしなことになってしまうからです。

2 なるべく価値観を少しでも共有できる相手との仕事を優先する。メールのやり取りなどで、わかりあえないなと心配になったら断る。最初の印象で、大丈夫かなあと心配になるケースは、たいてい面倒くさい結果で終わる。

3 商業的な仕事の場合は、やりがい、報酬、意義、拘束時間、仕事相手との相性のバランスで決める。高ストレスな仕事の場合は、意義があるか、企画の内容で決める。

4 高ストレスの仕事はよっぽど意義があるか、おもしろい場合のみ。

特に3はトリッキーです。企業クライアントを相手にした仕事の場合は、仕事によって拘束時間やストレス度合いがかなり変わってくるためです。

これについての指針のようなものを決める際に、考えたのは、とにかく「時間がない」ということです。気がつけば自分も40半ば。もっと追いかけたいネタとしたい旅、書きたい作品がたくさんあるのに、お金を稼ぐためにする仕事ですべての時間を吸い取られてしまったらもともこもない。とはいえ、自分の好きなニッチなネタばかりを追いかけていると、印税をアテにすることもできない。となると、少なくとも当面は、自己実現を追いかけるための時間を、実入りの良い仕事をすることで「買う」しかないのです。

自信のない頃は、提示されたギャラを再交渉する、などということはほとんどしませんでした。その行為自体がストレスだし、面倒くさかった。自分のスキルを上げれば、かかる時間が減るのだから、自分の腕を磨くことを目指せばいいのだと考えていたし、だいたい予算というものがあって、交渉の余地はあまりないのではないかと思っていたのです。

とはいえ交渉は苦手だったので、明らかに理不尽に安い仕事は、「パス!」と一言で断ろうと決めました。すると、ほとんど必ず、再交渉されるのです。最初に提示された額が安すぎて、「交渉してあがったとしても」と考えたうえで「パス」と返したのに、ギャラが5倍になって提示されたりする。もしかしたら不景気のときに依頼主の企業が「安くできるじゃん」と思ってしまって、そのままとりあえず安く言ってみる、という習慣ができてしまったのかもしれません。

そして気がつけば、私にも「この人でないとできない」と思っていただける仕事が増えていたようで、交渉すると、希望の金額になることが増えました。私の場合は、賢い戦略をもってそうしたわけではなかったのですが、今思えば、これは大切なことだったなと思います。だから今、若いみなさんには「自分にしかできない仕事」を探してください、と言っています。

ちなみに、こうやって書くと、理路整然としているように見えるかもしれないのですが、実際のところ、お金を稼ぐために仕事をしては、旅に出る、という繰り返しなうえ、計算は相変わらず苦手なので、はたっと気がつけばお金がずいぶんと減っているなんてこともあったりします。仕事と交渉の腕は上がったかもしれないですが、賢いやりくりは、永遠のテーマであり、頭痛の種です。

私のキャリアは、一種、偶発や縁の積み重ねでできた物ですが、ライターやフリーランスを目指すみなさんに、何か参考になる点がひとつでもあることを祈りつつ。

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