見出し画像

君と重ねたモノローグ

名古屋グランパスへ移籍するかもしれないという記事が出た時にもショックで泣いた。だけど日が経つにつれて自分の心も整理され、お知らせが来るのをただただ覚悟して待っていた。学くんの決断なんだから、と言い聞かせて。

そして1/9の15時。所用を済ませて携帯を見たら通知がきていて。

わかっていた、わかっていたのに、学くんのコメントを読んで、あぁ、現実なんだ、本当にいってしまうんだと本当のところで理解したあと、どうしようもなく悲しくなって、泣きながら自転車を漕いで家に帰った。

自転車の鍵についてる19番のキーホルダー、カバンに入ってる19番のハンドタオル、携帯の待受画像、自分の部屋にある5枚の19番ユニフォーム。19番の大きなタペストリー。

フォルダの中は、学くんの活躍を残したくて買ったカメラで撮った沢山の写真と動画。

全て青く染まっていたから。私の日常過ぎたから。

その全てがもう同じ形ではいられない、どうしようもない悲しさが込み上げてきて、玄関で泣き崩れた。大人になってもこんなに泣けるんだ、と思った。

と同時に。学くんが書いた長いコメントから、自分が思っていたよりも学くんがもっとフロンターレを愛してくれていたんだという嬉しさと、もしかしたら私の応援も、ほんの、ほんの少しは学くんの力になっていたんじゃないかなと思わせてくれる、ファンを気遣う優しさに、どうしようもなく泣けて。こんなに悲しくて苦しいけど、学くんを応援できて、本当に幸せだったと、強く強く思った。


川崎フロンターレと、齋藤学選手、そしてサポーターの自分が重なったのは、振り返ればたった2年と少しだけだった。


どれも消えることはない、これからも有り続けるものなのだけど、大好きな選手が大好きなチームに居る、当たり前の様で当たり前ではないってことが、今身体の隅々まで痛いほど実感している。

私が学くんに夢中になったのは、多分2018年の秋頃から。
2018年の私はサポーターになったばかりで、シーズンチケットも持っていないし、毎回の試合に行けていたわけでもなかった。

どうしてこんなに大好きになったんだろう。

きっかけも覚えていない。だけど、多分爆発したのは2018年ホーム神戸戦でのリーグ初ゴールだったと思う。雨に濡れながらドリブルで走って、ボールがゴールへ流れ込んだ。ゴールのあと、舞う様に走る姿が今でも目に焼き付いている。翼が生えてるみたいに軽いステップに見えた。


私はマリノスや愛媛時代の学くんを全く知らない。本格的にサッカーが好きになって、フロンターレを応援し始めて、そこで何の前情報もなく出会った選手だった。キレキレのドリブルやゴールを量産している学くんは、映像の中で後から見たけれど、当時を知っていたわけではない。サッカー選手として、定量的に華やかな結果を出していた時期は、きっとこの川崎の3年間ではないとおもう。

だからこそ、私は「今」の学くんが好きになった、と言える。「あの時のキレ」とか「あの時のドリブル」なんてものに興味はなくて、今の、目の前で走ってたたかっている学くんが大好きだった。

ただ学くんを自分の目で見て応援したいという想いだけで、全国各地に飛んだ。試合が終わった後は沢山名前を呼んだ。良い時もそうでない時も。
2020年は声は出せなかったけど、毎回拍手を送り、試合後は19番のブランケットを広げた。たとえベンチで出番がなかったとしても、学くんを応援しているんだよっていう気持ちを伝えたくて。

今年はリーグ再開してから、毎月ファンレターを書いておくった。
なんの力にもなれないけど、ただただ、応援している気持ちを伝えたいという衝動にかられていた。

怪我をしてしまった時は自分まで心が落ち込んでしまって、診断結果がでて大きな怪我でないと分かったときにはホッとして、声をあげて泣いた。

表情やオーラから、感情がばしばしと伝わってくる人間らしさが好きだ。

審判団や相手のチーム、スタッフの方の気遣いに感謝できる優しさが好きだ。

どんな苦しい時も、自分に矢印を向けてやり続ける強さが好きだ。

いつも勉強熱心で、沢山のことを吸収している向上心の高さが好きだ。

後輩の苦しい時間にも寄り添える面倒見の良さが好きだ。

そして
誰よりも楽しそうにプレーする姿が好きだ。
ピッチの中の真剣な顔も笑顔もどちらも大好きだ。

学くんは痛いほど優しい。それは表面的な優しさと言う意味ではなくて、もっと深いところで、あらゆる人の立場や意見も受け入れて、それでもしっかりと芯を持ち続ける強さもあって。時にそれは誤解されることもあるかもしれないけれど、それも含めてきっと学くんは強い覚悟がある。泣きたいほどに優しくて強い、そんな人だと思う。

自分はもう完全な個サポだと思っていた。ここまで学くん中心にサッカーを追いかけていたから、その中心である学くんがもし移籍したら、応援するチームも変わっちゃうんじゃないかなって、自分で思っていた。

だけど、学くんをどんどん追いかける間に、川崎フロンターレも大好きになってしまったから。
魅力的なプレーや姿を見せてくれる選手が他にも沢山いることを知ってしまったから。
まだまだ見届けたい未来の希望ある選手も沢山いるから。


どうしてもこのチームから離れることはできないと思った。


グランパスの赤いユニフォームを着たとしても、
学くんはもちろん応援したい。
だけど名古屋グランパスというチームを応援する自分はどうしても想像できなかった。グランパスがどうこうではなく、川崎フロンターレ以外のチームを応援する、ということが考えられなかった。

大好きな選手が大好きなチームに居る、当たり前の様で当たり前ではない。

これを痛感する。
そして憲剛さんの引退も踏まえて、
大好きな選手のプレーを永遠に見れるわけではない、とも。

川崎からも更新オファーがあり、名古屋からもオファーがあり、その事実こそ学くんが全力で残してきた結果。その決断に口出しすることなんて誰にもできないし、それがきっと最善なんだ。新しいチャレンジを応援しないわけないじゃないか。

そういうふうに自分に言い聞かせて、納得させて。
でも心が整ってくれないのは、あまりにフロンターレの「齋藤学」が魅力的すぎたから。

数日後には赤いユニフォームを着た学くんになるのかな。

青黒まとった川崎の星ではない。

川崎の選手として鳥籠中の楽しそうにはしゃぐ声は聞くことはもうできない。

暑い日差しが差し込む麻生グラウンドで裸足で佇む姿はもう見れない。

等々力の歓声の中でもみくちゃにされるゴール後の姿はもう見れない。

青黒の19番の背中は、

もう見れない。

学くんが叩く胸に輝くエンブレムはフロンターレではなくグランパスになる。

学くんのプレーにより一層沸く等々力を、もう一度体感したかった。
あの瞬間はいつも学くんは間違いなく川崎の星だったから。

学くんがいたからフロンターレも大好きになったし、サッカーの素晴らしさを知った。サポーターの楽しさ、苦しさ、やるせなさ、喜びを知った。

これから他にも応援したい選手が他に出てくるかもしれない。

もしかしたら、自分がサッカーからいつか離れてしまう日が来てしまうかもしれない。
そもそも、こうやって毎週サッカーに時間を費やして応援できなくなってしまうことも可能性としてはあるだろう。

だけど、川崎フロンターレの37番、そして19番として輝いていた学くんを、全力で応援していたこの2年ちょっとは、本当にかけがえなくて、これからも消えることのない大切な日々だった。フロンターレにいる学くんを応援できて、心から幸せだった。楽しかった。あまりに勝手にのめり込みすぎて苦しい時もあったけど、それすらも素晴らしい思い出だったと思える。
学くんが、どのチームに行ってもそれは忘れられない記憶のまま。


長い人生で見れば、ほんの一瞬、なんだけども、
学くんとフロンターレと、自分が重なっていた時間が本当に奇跡だったんだなって、今となっては思う。

このままではいられない、という事実が本当に悲しくて涙が止まらない。
しばらくこの気持ちは乗り越えられそうにない。
だけど、永遠はないからこそ、あのきらめきがあったんだ、とも思う。

これからも、どのチームにいても、学くんを応援したい。
個人的で勝手な願いは、またいつか川崎に戻ってきて欲しいと思ってしまう。
だけど、学くんが永遠に続くわけではないプロサッカー選手として、少しでも長く、そして充実した日々を過ごしてもらいたいという気持ち。今はそれがすべて。だから、背中を押して応援しなくちゃ、とも思う。

学くんは名古屋でもチームメイトと切磋琢磨して全力で頑張るに決まっている。

ピッチに入るときは試合でも練習でも必ず芝を手でタッチしてから入るよね。

試合中苦しい時間も、手を叩いて声を出してチームメイトを鼓舞するよね。

どんな試合も全力で走って走って、力を尽くしてくれるよね。

インタビューとかは最初「嫌でーす」とか言っちゃうけど、そのあと沢山喋ってくれるよね。

靴下はやっぱり短めだよね。

真夏の練習日はやっぱりマナブルマするよね。

プレーではまた楽しそうな姿を沢山の人に見せてくれるよね。

ワクワクしたプレーで、真っ赤に染まった豊田スタジアムを沸かせてくれるよね。

グランパスのサポーターにも、きっと沢山愛されるよね。

その姿を近くで見ることがもう出来なくなってしまうのは悲しくて仕方ない。



等々力で、青黒のユニフォームで、19番を背負って、もっともっと応援したかった。
チャントももっと沢山歌いたかった。
もっと麻生で練習姿を見ていたかった。

せめて、最後大きな拍手で学くんを送りだしたかった。

あのプレーが、走る姿が、笑顔が本当に大好きだから。


それは川崎で見ることは叶わないから、またそんな気持ちをこめて、これからは名古屋に向けて手紙をおくろうとおもいます。


学くんにとって川崎の3年間は楽しいことよりも苦しいことのほうが多かったのかもしれない。だけど、どうかこのさきの道に、この3年間があったからこそ、という輝きを沢山見せて欲しいと思う。
そしてそういう選手だ、とも心から思う。

学くんが選んだ川崎フロンターレの道は絶対正しかった。これまでも。
そしてこれからもそうなる未来を必ず切り開いてくれる。それがこの移籍なのだ、と信じているから。

今までフロンターレの選手として沢山沢山たたかってくれてありがとう。沢山沸かせてくれてありがとう。幸せをありがとう。

怪我には気をつけて、どうか気をつけて、
いってらっしゃい、と言いたい。
そしてこれからもずっとずっと1番大好きな選手。永遠にヒーロー。

また会おう この道のどこかで
ありがとう この気持ち届くかな
果てしなく続く この時間の中で
ほんの一瞬 たった一瞬
すれ違っただけだとしても

君は僕の永遠

「君と重ねたモノローグ」
Mr.Children

どうかこれからの人生も、学くんが毎日充実したサッカー人生をおくれますように。サッカーを楽しめますように。選手として、少しでも長く、沢山輝けますように。

学くんのサポーターはやめられないよ。


学くんは私にとって永遠の、星。

これからは名古屋で輝く、変わらぬ川崎の星に

胸いっぱいの愛を込めて。


自分は

あともう少しだけ泣かせてください。