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エッセイ#064 - 時計

子どもの頃、小学校に上がると急に自分で時間を気にして行動する事が増えた。それまでは保育園にいる間は保育園のタイムスケジュールで動くし、朝も夜も親の時間軸で動いていた。小学生になったら、小学校にいる間は小学校のタイムスケジュールで動くけど、放課後は何時までに家に帰らないといけないとか、休みの日に何時に待ち合わせるとか、親と離れて動く時間が増えて、自分で時間を気にしないといけなくなった。
大人になってしまうと信じられないのだけど、小学校に入ったばかりの時は時計を読めなかった。だから頻繁に、今何時?と親に聞いていた。そのうちそれが面倒になって、時計の読み方を教えてと言って親に教えてもらった。父親にだったか母親にだったか忘れたけど。ほんの10分ほどの説明であっさり時間がわかるようになって、そこからすごく便利になった感覚があった。
その後学校でも算数の授業で時計の読み方を習ったけど、1年生の終わりとか、かなり経ってからだった。同級生たちがそれまでデジタル時計しか読めないのに不便を感じてなかった事が、自分にとってはかなり驚きだった。

そういう記憶があるから何となく、子どもには大人と同じ時間の感覚がないとか、時計を読めるようになるのはかなり大きくなってからという認識がある。それと自分が時計を読めるようになって嬉しかった事を覚えているので、そういう体験があるといいなと漠然と思っている。
姪が家に帰省していた時には、ごはんは7時からだよと言っている時に、あの細長い針が一番上の12のとこに行ったらごはんだよなんて言ったりしていた。姪はたまに時計を見て、確かに長針が動いているのを認識してまだだねなんて言っていた。なかなか賢い。
つい最近も姪とビデオ通話をしている時に、「パパが7時に帰ってくる」と言うので「じゃあもうすぐだね」と言ったら「なんでもうすぐなの?」と聞かれる。「もうすぐ7時だからだよ。時計ある?」と聞いてみると、「ある」と言って姪が時計の近くに寄っていく。「短い針が7のところにあるでしょ?短くて太い針」と聞いてみると、「ある」と時計を見ながら姪が言った。それが7時だよ、と言った。姪はまだ3歳で、10まで数えるとたまに間違えるけどほぼ数字を覚えているという程度で、さすがに今は時計を読めない事はわかっている。でもこういう経験を何度もしていれば、そのうち時計が読めるようになるきっかけがあるだろう。

そんな事があった翌日、歯みがきをしながらぼーっと時計を眺めていた。ずいぶん前から時計は読めるのに、決められた時間に寝たり起きたりする事を諦めたダメな大人になった。
どうして短針が時間を、長針が分を指すのだろう、と子どもの頃からの疑問をふと思い出す。長針は長くて数字をきちんと指している感覚があるので、時間を指すにふさわしい針のような気がしていたのだ。歯みがきをしながら、ぼーっと時計を見て、そのことを考えていた。
でも、時間より分の方が厳密さを求められるから仕方ないか、と思った。時間は短針の曖昧な指し方で何時なのか確定できるけど、分は細くて長い針でしっかり指し示してくれないと何分なのか確定できない。だから分を長針で表すことにしたんだな、と気付いた。ちゃんと考えてみたら、あっさり答えがわかった。
昔の人かしこい、と思った。

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