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一橋大学院福富先生の講義を通して我が家族の20年を考えた日


世田谷市民大学の土曜講座に通っていました。一般向けですが、平均年齢70歳以上だったのではないでしょうか。久しぶりに「若者」気分を味わえました。

もっとも教室の中で一番若かったのは間違いなく講師の

#福富満久 先生(一橋大)だったと思いますが。

子育てと重複してしまったことから修士号取得を断念したのですが、私の専門は平和学、20年前に新鋭の研究者とか話題の論文とか言われていたものが、古典扱いで引用されているのには逆に年齢を感じました(笑)。

20022年に修士課程取得の為在学していたEuropean University Center for Peace Studies.諸事情の為修士コースは現在はないのですが200万円程度で住み込み・図書館とネット使い放題というお得なコースでした。

でも、生活と子育てに追われていたこの20年間のアカデミア側からの国際政治・平和学の展開を知ることが出来て毎週毎週がとても楽しみでした。どれくらいたのしみだったか・・というと、4-6月って行政だと年度当初計画や次年度予算等で超忙しく私も連日ほぼ終電状態だったんだけれども、2回目(この時期はダイエットもやっていたので体調を完全に壊した)を除いてすべて参加したくらい。

福富先生はメディアに引っ張りだこで、クール&かつスマートに紛争を分析されていますが、実は意外にも熱く青い方で、ご自身の思いもきちんと講義の中では語ってくれています。ご自身はSNSはされていらっしゃらないようなのでここに書いておきますが、「いい奴」(失礼!)なんです、本当に。

今期の授業で多々目鱗的なことを教わりましたが、その中でも、ご自身の見解として

「国際政治に正義はない。恣意的に行われる。」

と言い切った後に、以下を引用されていたのが印象的でした。

Auctoritas facit legem non veritas” Thomas Hobbs(17世紀の英哲学者) 

そう、ここ、20年前の私や子パパが見えていなかったのがこの部分。私たちは善人ではあったかもしれないけれども単純だったから、この世に住む全員が世界の安定と繁栄を目指していると本当に信じていたのよね。犬と雉を従えて鬼ヶ島に向かう桃太郎みたいに。正義は必ず勝つと思っていたポエムな我々。

途中で私はマルチからバイに転向したことから、世界の平和よりも日本の安定と繁栄を最優先する立場になったんだが、自分自身の方向性をずらすのには、それほど違和感がなかった。というのは移り行く周囲の国を見ていて、いつまでも他国助けの人道援助だと日本が一人負けしていくのが明らかだったことから。実際にそうなってしまったけれども。

そして、子パパが、機会は多々あったにも関わらずセネガル国籍を維持し続けたのもその理由。引退したらセネガルの社会の為に生きるということもずっと語っていた事。

そう、冷戦終了後のグローバリズムの波にのって、各国の国境意識が薄まった時代があって、我々はそこで出会ったんだけれども、これもまた時代の流れの中で、世界の平和よりも各国の繫栄が優先されるようになり、それぞれの国に戻っていった・・ということなのでしょう。時代を振り返ると本当に単純にそういうこと。

子パパMONUCでDRC、私JICA援助調整専門家でコソボ、ちび子姉全米トップ100のモデル、そしてすべてこの混とんとした大人たちを繋いでいるスイスボーディング期の娘 2011年の合流記念

福富先生の講義に戻ると、最終講義で紹介があったのが「コンストラクティヴィズム(社会構成主義)」。

もともとはデリダ(はい、仏文の皆様はおなじみ)が提唱して、ちょっと違うんじゃあ?とされ、一旦は衰退していったものの、最近新解釈と共にスポットライトを浴びだしたもの。

(以下、ちょっとだけ引用)

***

「わたしたちが日常使っている言葉や感情は、所属しているコミュニティの文化そのものである」、「こういうことは楽しい、こんなことは悲しい、という感情表現も、そのコミュニティの文化と密接にリンクしている」、「つまり異なる文化のもとでは、言葉の意味する内容、感情、反応までもが全て異なる」とした。そしてこの考察を踏まえてガーゲンは、「人々はお互いの言葉のやり取り(対話/ダイアログ)の中で『意味』を作っていくのであり、『意味』とは話し手と聞き手の相互作用の結果である」と結論づけた。そしてこれを、”Words create world”(言葉が世界を創る)と表現した。

***

この説明のあとに、福富先生が続けたのが以下

・構成主義によるアクターは「効用追及者(Utility Maximizer)」、すなわし自らの快楽を最大限に得ようとする快楽主義者ではなく「役割遂行者(Logic of consequentiality)となって行動する」

・「役割遂行者」としてのアクターは、自らの置かれた状況を考え、その状況において適切な行動をとるという「適切性の倫理(Logic of appropriateness)」に従って行動する。(March and Olson1989 ) 

つまり、行動をとる前に、それを行ったら自分が周囲からどう見られるかという事を考えて動くということ。

事例として、アパルトヘイト体制下にあった南アフリカと友好関係にあったアメリカが1985年に突然反アパルトヘイトの経済制裁を実施したこと、つまり、南アフリカに関するアメリカの利益認識は、鉱物資源や市場よりも人種平等や民主主義に価値を置くように再構成されたから・・。

これ、希望がありますよね。

冷戦後にジョンレノンが歌った様な、国境なき社会って、一度は確かに実現されかかったけれども、各国の社会格差(貧困・教育・経済等々)によって、小規模は紛争が乱発してしまい、そして各国の競争が激化した。その間、対話による相互理解や世論形成が行われず、さらにはそれが領土や文化とも絡み、対立を生み出した。

でも、平等や民主主義に価値を置く、つまり富裕層一人の命と貧困層一人の命は同じ価値があるという事が再認識される、そんな環境の中では、競争よりも調和が選ばれるのではないか。

南アの例に戻ると、アメリカにとって南アは希少な鉱物資源を算出し、かつ反共産主義の重要な拠点でもあったことから、有効かつ安定的な関係を築くことが最優先された為、アパルトヘイトを衰退されていく方向に動いた。

対話によるお互いの価値観の違いの認識と、社会全体からみた自らの立ち位置の確定、そしてその中でいかに動いていくか。人も、国家も同じこと。

福富先生は、これからの日本は中国と寄り添うのが策略的に利口?と何回か離されているが、その点のみは現時点の私にはまだ賛同できない。

でも、20年前に一度ストップした研究を子供の成人と共に再開出来たような、そしてこれから私自身がどう生きていくか、なにを発していくかについて改めて考える機会となりました。

最後に、世田谷区って本当にすごいなあ。こういう授業(大学院一期分)がたったの5千円で受けられるんですよ。そして、平均年齢70歳くらいの受講生もよく話を聞いてみると元外交官だったり駐在員だったり研究者だったりと(たまに、長々と質問というかご自身の見解をカラオケってしまう人もいるが 笑)質問も鋭い。

池尻大橋から徒歩6分の世田谷市民大学

私はこういう授業って現役(かろうじて私もギリギリ)で社会を動かしていく層こそ、聞いておくべきだと思ってしまいますが、毎回教室一杯のシニア受講生が一心不乱にメモを取っている、そして終了後にお互いに意見交換をしたり本の貸し借りをしたりしている、そんな風景をみて、このパワーはなんとか社会に還元できないものかと、そんなことも考えてしまいました。

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