見出し画像

ゆーみんの『幸せの道標』第8話

おはようございます。
開運セラピストのゆーみんです。


今日は、特攻隊の母と慕われた、富屋旅館3代目女将の鳥濱トメさんの言葉をご紹介します。


『先人たちの努力の上にいまがある。
受け継がれてきた自分の命を、命ある限り輝かし生きていく。
それが何よりの供養であり感謝になる。』


次世代に伝えたいことがあるとして、トメさんはこのように仰いました。


トメさんは、「蛍になって帰ってくる」と言って飛び立っていった宮川三郎軍曹の話を良くなさったそうです。


宮川軍曹は、20歳の時に出撃命令が出て、一度飛び立ちましたが、機体の不調で飛び立つことが出来ませんでした。


その時に一緒に飛び立った仲間は全員戦死していたため、一日も早く出撃したいと訴えていたそうです。


そんな宮川さんに、出撃命令が出て、その前日に富屋食堂に別れの挨拶にやってきました。


その時に、「出撃して、蛍になって帰ってくるから、入れるように店の正面の引き戸を少し開けておいてくれ」と言い残し、帰ってきたら『同期の桜』を歌って欲しいと言ったそうです。


「分かった」と言って、トメさんは宮川さんとお別れしましたが、次の日
不思議な事が起こりました。


その日、長女の美阿子さんが大きな声をあげたそうです。
『お母さん、蛍だ!蛍が入ってきた。藤棚に蛍だ!』


トメさんが玄関に駆けつけると、確かに実阿子さんが指す方から、蛍が一匹入ってきたと言います。


時刻を見ると、宮川さんが予告した午後九時。
見事撃沈したら、蛍になって帰ってくると約束した宮川さんが、本当に戻ってきたというのです。


それから、蛍を囲むようにして、皆で「同期の桜」を歌ったと言います。


まさに宮川さんが望んだとおりの生き方でした。
この話を聞き、私は溢れる涙をこらえる事が出来ませんでした。


今から76年前、日本の国を心から思い、家族や祖国を守るために尊い命を犠牲にして、旅立ってくれた多くの若者がいたのです。


その事を思うと、感謝の念が尽きません。
この人たちの命の犠牲の上に、今日の私たちの平和があり、戦後日本の復興があった。


感謝して、彼らの分まで自分の命を輝かして生きていかなければならないと心から思います。


今、戦争体験者は少なくなり、戦後の記憶は忘れつつあるように思います。
でも、決して忘れてはいけないのです。


今こそ記憶を風化させないで、英霊の皆さんのお陰で、今の日本がある事を忘れず、感謝の気持ちで日々を過ごし、自分の命を精一杯輝かせていきたいと思います。


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

よろしければサポートお願いします。運を高め、一緒にピンピンコロリの人生を目指す人を募集しています。ダイエットに興味のある人に、責任を持ってフォローをしていきます。素敵な人生を目指していきましょう。