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ゆーみんの『幸せの道標』第21話

おはようございます。
開運セラピストのゆーみんです。


今日は『なぜ神様を信じる人は幸せなのか?』というお話です。
誰かに、ああだこうだと指摘されたり、上から目線で偉そうに言われたりすると、ムカッとくることってありませんか?


それは何故かというと、自分が「大したものである」と思っているから。
自分が「こんなにすごい」と思っているのに、なぜそんなに下に見られるのか、腹が立ってしまうのでしょう。


それが実は「謙虚」でない状態だと言えるかもしれません。
謙虚さを失うと、人の話を素直に聞けなくなり、教えを乞う事が出来なくなります。


すると、人間としての成長がそこでストップしてしまうのです。
松下幸之助さんは、晩年になってからも、部下や若い人の意見に耳を傾け、素直に聞いていたと言います。


でも、人というのは不完全で未熟だから、そんな風に思っても、なかなか素直になれない時もありますね。


でも、少しだけ修正を加える事によって、いくらでも心を楽にすることは出来ます。
それには、その心の状態を自分で把握する事です。


🍀落ち込んでしまうのは、自分が「大したものだ」と思っている所に、さほどの評価を得られなかった時だと知る。


🍀有頂天になるのは、自分が「大したものだ」と思っている所に、「大したものだ」「素晴らしい」という称賛をを浴びる時だと知る


だから、自分が「大したものじゃない」「上には上がいる」と心を定めることが出来たら、人はとても楽に生きられるのです。


その事を理解したうえで、自分の心にバランスが保てるようにコントロールしていけば、非難されたり否定的な事を言われても、落ち込むことは少なくなるでしょう。


実際に不完全で大したものじゃないので、「大したことないですね」と言われても、「確かにそうです」と笑顔で答えられるわけです。


それで仮に褒められたとしても、自分は「大したものじゃない」と自覚していれば、それによって舞い上がる事もないのです。


落ち込むのも、有頂天になるのも、すべて同じ状態の心から来ています。
出来るだけ「謙虚」を心掛け、人に教えを乞うことが出来るようなれば、全ての事が自分の力だけで成り立っているのではないと分かります。


「大したものである」と思うのは、自分の力で何とかなると考えて、自惚れてしまう心と紙一重だと感じます。


神様を信じて、全ての事が目に見えない力(神、仏、守護霊、精霊)の力によるものだと思える人は、常に素直になれて、感謝する事が出来るのです。


自分の力がちっぽけなものであると分かるからです。
でも、誰もが自分に合った天命を持っています。


自分を信頼しながら、全ての出来事にに感謝し、常に「謙虚さ」を持ち合わせて、命を輝かせて生きる事が大事です。


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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