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行き詰まった時に読む記事【後編】

注意


どうも、夢物語です

今回話す内容は
マジもんもマジもん

それこそ劇薬レベルの情報です
この事実を知った者は
二つの道に分かれてしまうことが懸念されます

片方は現状を努力でもって打開し
人生を豊かにしていく者

片方は
挑戦すること自体を諦めてしまう者

この記事を読むあなたは
前者の方であることを
強く願います

挑戦とは何か

最近、色々と思うことがあります

挑戦とはなんだろう

人は誰しもが幸せを望み
そしてできることなら楽して暮らしたい
そんな人がほとんどです

しかし楽して暮らせば
その向こうに待っているのは破滅
です

否が応でも働かなくてはいけないし
下手すればご飯を食べることすら大変になる

かといって仕事しなくてはいけない状況がが不幸かというと
そうでは無い

仕事があるからこそ手に入るものも確かにあって
多少の不自由があるからこそ自由を選ぶことができる

世の中には自由こそ正義だという人がいます

自由という概念

しかし、その自由の前提条件が不明確

つまり、明確にイメージできている人が少ないのです

例えばですが
本当に何をするも自由な世界があったとします

そこでは人を蔑ろにしようが
何かを奪おうが
だらけようが
働こうが
本当に何をしてもいい

そんな世界です

やりたいことが全部できるし
本当に全てが思うまま

しかし、それは本当に自由と言えるのかというと
そうでは無いんだと思います

選択肢があまりに多く膨大だと
人はかえって何も選べない
んですよ

無人島に漂流し
なんのルールに縛られずに生きる

しかし、自由だと思いきや
その自由はとんでもない不自由をあなたに突きつけている

もしも不幸というものを言葉にするなら
一番の不幸とはこのような
「選択肢が膨大すぎる不自由」
なのだと思うのです

だからこそ人は挑戦するんだと
俺は思います

なぜか?

不自由に真っ向から挑み
踏破した達成感を味わい尽くし
その経験が気持ちよくて仕方がない

この経験を1度でも味わってしまったら
何度でも味わいたくなる

そんなとてつもない激情

剥き出しの執念

そしてそこに至るまでの信念が源になっているのではないかと

だから人はどんな時代であっても
挑戦することをやめられない

それが顕著に現れているのが子供だと俺は思うのです

子供達の成長速度

俺は子供たちのことを先生とし
師と仰ぎます

その理由は知っているからです

子供達は産まれてから物心が着くまでの間
とてつもない速さで成長します

周りの大人達が立って歩いている
だから自分にもできるはずと信じ
寝返りをうてるようになり
ハイハイできるまでにいたり
最後には立って歩けるようになる

言葉にしても必ず真似ることから始まります
真似て、そして次第に意味を理解する

理解していくにつれ次第に舌は発達し
使えるようになった言葉を起点に
爆発的に様々な概念を吸収し物にする

様々な事柄に興味を持ち

できないことなんかないと知っているかのように
挑戦することを全力で楽しんでいる

だからなんでもしたがる

ボタンがあったら押してみたくなるんです

ハンドルがあったら回してみたくなるんです

なんでもやってみたくなるんです

やってみて、行き過ぎたら親から叱られるんです

そうやって成長していく

そこに失敗なんて概念はないんです

それが子供です

よく何かしらの分野で成功を収めている人達が
どこか子供っぽいと言われる理由があるとするなら
そこにあります

一瞬だけバカになって1歩を踏み出す
そんな言葉でコンフォートゾーンから抜け出す人もいますが
端的に言えばそれは子供帰りしているだけに過ぎず
感情を剥き出しで全力で挑戦を楽しんでいるのが実情です

そんな人はどこか安定しているようで不安定
だから見ていてワクワクするし
同時にハラハラする
だから周りの人達はほっとけなくなるし
手助けしたいと思えてくる

それはきっと素敵なことなんだと俺は思うんです

だから子供達
または子供っぽい大人を俺は先生とし
師と仰ぐんです

子を持つ親はおそらく
このことに強く共感できるのではないかと思います

子供の小さな成長が大きな宝物に感じられ
その度に感動を覚える

子供の挑戦と失敗、そして成長を目の当たりにする度に
あぁ、この子を護るために頑張らないと
そう強く心を動かされる

そうして親も子も一緒に成長していくんです

コンフォートゾーンの拡張

歩き方

俺は運良く
沢山の子供達と接する機会を得ることができました

その中で俺は人生において様々なヒントを得ることが出来ました

それは「歩く方法」です

子供を見るとよく分かります

全力ではしゃぎ
全力で動き回る
そして転ぶ

そうして何回も転んでいるうちに
いつしか転ばない様になっていく

つまり、安定していくんです

安定している中でも
今度はわざとバランスを崩し
進みたい方向に歩く術を身に付ける

このように数えることが馬鹿らしくなるぐらい
できるようになるまで何回も失敗するんです

その結果、必ず歩けるようになる

それでは我々が抱えるコンフォートゾーンに照らし合わせれば
どうなるのか

コンフォートゾーンとは
安定している状態の範囲以内のことを言いますが
これを人で表せば
それは立っている状態

直立している状態が一番安定しているんです

本能的に普遍を望む我々の脳からすれば、この状態が一番望ましい

しかし、それでは一歩も歩くことができないのです

それではどうすれば歩けるのか

答えは片足を上げてわざと自分のバランスを崩す

そして一度バランスを崩した後に
その方向に向かって浮かせた足を前に出し着地し
またバランスを取り直す

この繰り返しが「歩く」です

それと同じように一度コンフォートゾーンから抜け出してバランスを崩し
そのあとにまたバランスを取り直す

成長とは
この連続のことを言いうのです

子供の爆発的な成長の理由

ちょっとまて
人はコンフォートゾーンから抜け出せば恐怖心に襲われる
そういったではないか

そう思った方も居そうですので
ついでにここで答えさせてもらいます

産まれたばかりの赤ん坊の脳内は
凄いシンプルなものです

お腹が減った
オシッコ、うんちをしたい
その程度でしかない

そこに恐怖心などない⋯⋯
というか、あったとしても認識出来ないんです

雪を見たことない人は
その冷たさを知らないように

魚を食べたことがない人は
その繊細な旨味を感じたことないように

幼い子供にとって認識できないことはないのも同じ

だからこそなんでもチャレンジできるんです

これはこの世に生を受けた子供特有の
ある意味、期間限定のギフトと言ってもいい

しかし、成長していくにつれ
できることとできないことの境界線がハッキリとしていく

怖いという感情も情緒が育つにつれ知っていく

そして大人に近づくにつれ
いつしか無意識に自分で限界を作ってしまう

それを自覚した時には挑戦することが難しくなっていってしまうのです

ゲームで例えるとレベルを上げれば上げるほど
経験値の数が多く必要になってくるのと同じようなものです

それでは我々大人はなにかにチャレンジするのも
自己成長するのも
それこそ現状に縛られているこの状況から抜け出すことでさえ
難しいってことなのか?

実はそうじゃないんです

それは成功体験をしたことがある人ならば
誰もが知っていることです

それは強烈な感情の引き金です

ファイヤーゾーン

絶望

それはいじめが始まったばかりの小学一年生のころの話です

俺は入学式のその日からいじめられていたため
友達は誰もいませんでした

理由はすごくシンプルで
身体が弱くてその上関西から引っ越したばかりでしたので
俺の言葉が訛っていたからなのではないかと考えられます

子供のコミュニティは
仲間か
それとも余所者かで認識する本能が強いため
明らかに「みんなと違う」と認識された俺は
イジメの標的にされるのは
当たり前といっちゃ当たり前だったのです

そんな俺の遊び仲間は
ブランコなどの遊具や野良猫
物作りぐらいしかありませんでした

入学式から七カ月たった11月
その日も俺は一人で泥団子を作っていました

当時は光る泥団子なんてものが流行っていたので
俺も真似して作っていたのです

当然使っているのは泥と俺のその小さな手だけ

だから出来上がるものは不格好なもので
形は歪だし急激な乾燥でヒビまで入っていました

それでもその不格好な泥団子は
一生懸命作ったもの

だからこそできた時は凄く嬉しかったし
大事にしたいと思っていたのです

しかし次の瞬間にはいじめっ子の集団に奪われたのです

俺は慌てて追いかけますが相手は数人いるため
俺が追いつくころにはもう別の子に泥団子はパスされてしまいす

それでも必死に追いかけまわして取り返そうとする

その姿を見て大笑いする子供達

その姿を目の当たりにした時
人から大切なものを奪うことが楽しいと感じるその姿は
到底同じ人間とは思えませんでした

当時はうまく言葉にできませんでしたが
周りの人達の
「コイツをなんとしてもいじめてやりたい」
そんな同調圧力で
俺の心は限界間近まで追い詰められていたんです

だから
ギリギリまで気を紛らわせることで保っていた俺の心は
機能不全1歩手前まで追いやられた

手を伸ばしても追いかけても
奪うこと自体が目的のいじめっ子たちは
泥団子を返してくれるわけなく

最終的に目の前で

なんの前触れもなく

理不尽に

容赦なく叩き壊されました

俺は大泣しました

自分の無力さとか
情けなさとか
悔しさとか
そんなことを考える余裕が一切ない

なんで泣いてるのかも分からない

ただそこにあるのは
圧倒的無気力感

ただそれだけで
泣くことでしかその感情を表現する方法を知らなくて
道路の真ん中で泣いていたのです

そんな中、周りの人達は見て見ぬふりで
認識したとしても道路の真ん中だと邪魔
だから道の脇にまるで物を扱うかのように寄せられ
そのまま通り過ぎていかれました

憧れ

さらに時間は経ち
夕方になる頃のことです

俺の目の前にしゃがみこみ
声をかけてくれた先輩がいたのです

「どうしたの?」と
「大丈夫?」と

しかし俺は
その優しい言葉に反応しませんでした

俺の表情からは感情が抜け落ち
なのに涙だけは流れ続ける

期待するのは諦めた

同情が欲しい訳でもない

人と関わること自体
既に嫌気がさしきっており
目の前にいる先輩も
きっと見切りをつけてどっか行く

そう思ってたのです








彼は決して俺を見捨てることなどしなかった

当時小学五年生の先輩は
柔道を習っていたそうです

道場の先生はとても厳しく
正しく生徒を育てる為なら
恨まれることを覚悟で手を出す

そんな先生の生徒であった彼は
時間に遅れて叱られること覚悟で
俺を見捨てませんでした

彼は俺の事を背負い
1度も下ろさずに
言葉が拙い当時の俺から根気強く道を尋ね
家まで連れて帰ってくれました

俺はその先輩の顔も名前も今じゃ思い出せませんが
その先輩の優しさと
人としての強さに強烈に憧れた

そして彼が柔道を習っていると知り
彼が通う道場の門を叩きました


激情

なぜこのような話を唐突に始めたのか

それは理由がいるということを知って欲しかったからです

強烈な感情の引き金と先程書いたのを覚えていますか?

コンフォートゾーンというぬるま湯に浸かった我々の精神は
何かに挑戦した時
恐れの領域と言われる
ファイヤーゾーンに突入することになります

このファイヤーゾーンは
そこに突入する理由がなければ
元のコンフォートゾーンに戻るか
精神的苦痛で命を落とすか
それが嫌なら次の領域に行くしかない

そんなステージです

例えばですが
一見煌びやかな世界にいる芸能界の住人は
その煌びやかさゆえに
色んな経験ができて
遊んでるように見えて羨ましい
なんて思われがちです

違うんですよ

特に新人芸能人は
その芸能界という世界はもう
怒涛なファイヤーゾーンの塊です

そのため適応できない者は蹴落とされていきます

特に覚悟を持たずにファイヤーゾーンに突入したものは
その世界に翻弄され
精神をすり減らし
摩耗しきった時にどうしようもなくなる

はたからしたら大したことがないように見える悩みは
人に相談することも出来ず
どんどん膨れ上がって
その心を押し潰していくんです

そして最後には自ら命を絶つ

ネットの住民からしたら「そんなことで⋯⋯」
なんて思いますが
逆です

「そんなことで⋯⋯」だからこそ
容易に
簡単に
病的に
唐突に自殺できる
んですよ

大学受験にしても同じことが言えます

そこら辺にあるような大学に合格する程度なら
普通の延長線上での努力で受かってしまえる

しかし京大や東大のレベルになると
その範疇では収まらない

自らコンフォートゾーンを崩し
徹底して自分を追い詰めないと合格できない

受験程度と思う人は理解できない

京大や東大が奪った命の数は桁が違う

ファイヤーゾーンはそんな世界です

そんな世界を乗り越えるためには

劣等感

プライド

執念

嫉妬

信念

そういった強烈な感情や情熱
もっと言うと
それこそ自己暗示レベルの本物たりえる
「理由」がいる
んです

俺の場合は
「情景」
「憧れ」
でしょうか

逆にそれが無ければ俺は間違いなく
死んでいます

結局のところ
どのような形であれ弱い自分と向き合い
乗り越えられるのかということが
何よりも重要であり
大切なんです

そして乗り越えることができたのならば次の

ラーニングゾーン

ラーニングゾーンに突入します

再構築

このラーニングゾーンとは
言い換えるなら「学びの領域」になります

このゾーンの特徴は
目的達成する為に学び続け
あなた自身の中にある前提というものを
徹底的に作り替える
ことを要求されます

思想
哲学
思考
社会
現象に対する背景

そういったものを学び
あなた自身が叶えたい夢や目的を達成させるための
前提条件というものを一から再構築する

そんなことを要求される領域です

かつての俺は足りないだらけの人間でした

文章を認識できない
膝は壊れて身動き取れない
仕事ができない
対人恐怖症
精神障害
トラウマ

しかし、これらの弱点を克服し
なおも成長し続けている自分がいます

この成長の善し悪しを決めるのは
このラーニングゾーンありきと言っても過言では無い

そう言い切れるほどです

ただし、普通の方法ではありえない成長と言ってもいい

巻くほどの成長加速

普通は早く結果を出したいがため
遠回りを避け
時短を意識します

しかしそれは間違いです

例えば
プロのイラストレーターを
あなたが目指すとしましょう

作者:夢物語

初めは基礎「だけ」を練習すれば
確かに絵は上手くなる

上手くなるんですが
そこに経験が伴わなければ
ただの「上手い」だけで終わってしまいます

春の生命が豊かなことを観察しなければ知り得ず

夏の暑さや海や山の自然の恵

秋の紅葉が風情を感じさせ

冬のおとづれが人肌を恋しくさせ

その喜怒哀楽を体験しなければ表現できぬように

人の営みが暖かい事を知らなければ感謝の仕方も学べぬように

過去の辛い経験が誰かの心に寄り添う優しさとなるように

そういった目に見えない何かを学び
経験しなければ人に伝えられないように

学ぶとは
「成し遂げたい事柄」を対象にしたものだけでは
成り立たない
んです

つまり一見関係なさそうなことだろうと
目の前にある事柄ならば

「自分に必要なものだ」と覚悟を持って
相手が誰であろうと
それが嫌いな人であろうと
学ぶ必要があるんです

学び方ひとつとってもそれぞれ違った「型」がある

確かに世の中には偉大な先人が残してくれた
様々な勉強法がそこかしこに散らばっています

しかし、散らばっているとはいえ
試してみなければ合う合わないも解らない

そういった学び方ですらも
自分自身でカスタムしなければなりません

そういった前提知識すらも疑い
本当にこれでいいのかと試し
あなたの人生の辞書を完成させなければなりません

この膨大な学びというのは長期旅行で
その性質上最低でも1年はかかります

しかし、成し遂げることができるなら
一見かけ離れた関係の無い学びですら
まるで点と点が繋がるように結びつき

あなたの人生は巻いて

巻いて

巻くように
とてつもない速さで加速し始めるんです

俺がたった十年で
文章を認識できるようになり
心理学を学び
人の相談に共感できるようになり
致命的な弱点をほぼ克服できたのは
これが理由です

そしてここまで来てしまえば
あなたの学びは成熟し始めるため
目的を達成する方法が手に取るように
理解できるようになる

そうなればどのような道を選んでも
その過程で言語化できるようになるため
失敗する方が難しくなる

仮に失敗しても
決して致命的にならず
リカバリーする方法すらも用意できるようになります

こうしてコンフォートゾーンから脱却し
ファイヤーゾーンを乗り越えて
ラーニングゾーンをも踏破すれば

グロウスゾーン

成長の領域であるグロウスゾーンに突入します

とてつもない成長

ここは云わば
コンフォートゾーンの拡張とも言える領域
あなたは文字通り一回りもふた周りも成長し
周りからしたら
「お前誰だ?」
と言われてもおかしくないレベルの変貌を遂げる領域です

正直な話このグロウスゾーンとは
SSなどで言われている
「強くなってニューゲーム」
と言える領域なので
説明できることはあまりないです

ただ、この領域に達することができた人がいるならば
もう既に気がついているはずです

なぜ人は
時にとてつもない成長を遂げることができるのかを

前回の記事にも記したように
真のゴールは
それこそ達成できるのかどうか解らないものです

到達するためには
コンフォートゾーン内でぬくぬくしているだけでは成しえません

じっと座っているだけでは
ただの妄想だけで終わってしまうんです

だからこそ本気で成し遂げたいことがあるならば
それこそ覚悟を決める必要があるんです

なにも脅したくてこの記事を
書いているわけでわありません

無策で挑むな

俺はそう言ってるんです

どんな時も未熟な時
あがいても通用しないことは沢山あります

そして大抵の場合
そこで諦めてしまう

またゼロから前提条件を学びなおす
そういう選択もそこにあるのに

しかし
だからこそ

そこで諦めるのか

それとも必死に食らいつくか

そこが分かれ目なんです

人生は個人が想定しているよりはるかに短い

今現在で一番若いのは
今そこにいるあなたなんです

偽物である期間はずっと苦しい

けど本物になれば一気に楽になる

そのためには
時間を
想いを
魂を差し出す必要があるんです

その強烈な激情足りえるものがあるならば
人はたった一夜で生まれ変われるんです

ただ待つものにチャンスは絶対に来ないんです


勝負をかけろ


終わりに

本音

正直な話
この記事を発信するかどうか
ものすごい悩みました

正直な話この記事は
劇薬レベルの内容です

不用意な恐怖を煽ることになるのではないか?

挑戦することを諦める人が出てくるのではないか?

そう思うと涙が滲むような思いになってしまいます

しかし、こうも考えました

この記事に書かれていることは
マジもんの本質です

そのため
これを知らなければ挑戦する人たちにとって
命を削ることになりかねません

だからこそ知るべき人には
知っておいてほしいと考えたのです

もしかしたら
今あなたが立っている場所が解れば
冷静な判断を選ぶことができるようになるかもしれない

もしかしたら
不必要に苦しむ必要がなくなるかもしれない

だからこの記事を投稿すると決めました

俺は終始
何かにチャレンジする人達を応援したい

その気持ちに一切の嘘はありません

そのことだけは理解していただけたら幸いです

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こちらには過去に俺が書いた記事を体系建てまとめたものになります
他の記事が気になる方はこちらから探すと楽です

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今後投稿する記事の通知や気づきなどをつぶやいていますので
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