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『THIS IS US』が描く弱さと豊かさ

ついにドラマ『THIS IS US』が終わってしまい、放心状態である。

このドラマがアメリカで始まったのは2016年9月で、私はちょうどその頃アメリカに渡った。最初はテレビなど見る余裕も設備もなかったため、実際にシーズン1をNBCの配信で一気に見たのはその約1年後、ちょうど私が主人公たちの設定年齢の36歳になったばかりの頃である。シーズン2からは毎週火曜にリアルタイムで見ていたが、2019年にシーズン3が始まってまもなく日本に帰ることになり、その後は日本のAmazonでの配信をじりじりと待った。続きを見ることができたのは、確か1年以上経ってからである。

その『THIS IS US』の最終シーズンが、ついに今月Amazon Primeで配信された。今シーズンはこれまでよりも時の流れが加速し、登場人物たちがどんどん歳を取っていく展開でたまに粗削りの箇所もあったが、それでも最終話の1つ前の話では号泣してティッシュを大量に消費した。

このドラマでは、大人が抱える葛藤や弱さ、そしてそれに向き合う様子を、人種、養子、肥満、摂食障害、不妊、依存症、貧困、育児、ベトナム戦争、PTSD、浮気、離婚、子の障がい、リストラ、DV、同性愛、性自認、認知症などさまざまなテーマと絡めて描いている。全6シーズンにわたるストーリーのなかには「死んだと聞いていた人が生きていた」という展開も2回ぐらいある。途中でさすがに一瞬お腹がいっぱいになるところもあるのだが、それでも見続けてしまうのは「いい大人」たちが自らに失望し、愛する人と対立し、自己破壊的な行動にまで出ても、何とか前に進もうともがく様がとてもリアルだからだ。

登場人物のなかには人が羨むようなプロフィール、すなわち学歴、キャリア、収入、知名度、持ち物、住まい、家族、見た目などを備える人もいれば、一見自信満々に見える人も出てくる。かと思えば自分に自信が持てずに人の好意や善意を素直に受け取れない人もいるし、人との関わり合いを絶って生きてきた人もいる。そうした人たちが抱える弱さや葛藤にリアリティがあるのは、その背景にある体験をさまざまな角度から掘り下げて見せることで単純化しすぎていないからだろう。

ちなみに私の心に一番残ったのは、白人家庭の養子として育てられたランダルが、その家庭で愛情を注がれたことに感謝しつつも、黒人としての差別体験をまるで聞いてこなかったきょうだいたちにモヤモヤをぶつける話だ。白人のきょうだいケビンは「お前を黒人として見たことはない」と言うが、まさにそれこそマジョリティ視点から見えるものしか見ないという姿勢の表れである。これは人種に限らずマイノリティの立場になったことがある人なら誰もが最もモヤモヤするマイクロアグレッション体験の1つであり、それをしっかり切り取ったストーリーは圧倒的な説得力を持っている。

もう1つ、このドラマで心に残るのが人間関係がもたらす豊かさだ。登場人物たちは、人とのつながりや対話を通してこうしたモヤモヤや葛藤を乗り越えていく。縁のある人間同士が本音でぶつかった先に癒やされ、深い安心感を得ているのを見ると、こちらまで心を揺さぶられてしまう。そしてふと、自分はこれまでの縁をどれだけ大事にしてこれただろうと考える。

人間関係ははっきり言ってめんどくさい。背景や価値観の異なる相手を本当に理解しようと思ったら、時には居心地の悪い思いをするだろう。かといって人とぶつかり合うエネルギーがいつも満タンなわけではない。

むしろほかに優先すべきことが色々あるなかで、そこの労力は惜しみがちになる。わざわざ時間を取って会いにいかない。オンラインでさくっと会話して終わり。あるいは指先のメッセージだけ。ちょっとでも違うと思ったらもう連絡を取らない。指摘したり気持ちを伝えたりしない。自分自身を振り返ってもそんな人間関係が多い。

しかし大人の弱さや葛藤と、人間関係がもたらす豊かさをじっくり丁寧に描き出すこのドラマを見ていると、自分がいかに頓珍漢な省エネをしているか気付かされた。そしてそれは、自分の弱さや葛藤を乗り越えるチャンスを自ら放棄していることだとも。

私にとって36歳からのこの5年間は、ようやく自分に対していい意味で諦めがつき、弱さを少しずつ認められるようになってきた時期だ。その一方で、何でもオンラインで完結する世の中にいささか飲み込まれすぎて、人間同士の対話がもたらす豊かさを過小評価していたかもしれない。だからこそ、このドラマが描く世界に大きく心が動かされたのだろう。

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