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だから私は茶トラに弱い

「次はユウナの番な」

父の声が、戸を閉めきった倉庫内に響く。
私は暇を持て余していたピンポン球を手に取り、卓球台の前に弟と入れ替わりで立つ。
スポーツ万能な父は運動をさせたがり、瀬戸内海に浮かぶ島で、卓球は小柄な私たちでも活躍できる唯一のスポーツだった。父の友人に譲ってもらったという卓球台が我が家の倉庫にやってきてから、ここは休日もピンポン球の音が響く場所となり、ただの倉庫ではなくなった。 

次に弟の番になった時、私は外へ出た。初夏の風、陽の光が気持ちいい。みかんの花の香りに背中を押されて、少しだけ、という気持ちで歩き出す。倉庫裏のみかん畑から、なにかが出てきたのが見えた。

茶トラの猫だった。「にゃあ」と声をかけてみる。猫が「んにゃ」と応えたので、私は驚いて目を丸くした。たまたまかもしれない。もう一度、「にゃあ」と言ってみる。「にゃあ」とまた猫は応えた。自分の言葉がきちんと猫語として認識されているのかもしれないと感じて、しばらくそれを繰り返していた。

「おーい、ユウナ」

父の声がする。この場を離れるのは惜しいが、もう行かなければならない。私は「またね」の心を込めて「にゃあ」と言い、来た道を戻った。

すると、猫はその後をついてきた。これには本当にびっくりしてしまい、猫は自分を仲間だと認識したのだろうか、先ほどの会話は猫語に翻訳するとどんな内容だったんだろうか、などと考えを巡らせるうちに倉庫の前に来た。

「お父さんっ、猫がついてきた!」

私は興奮を抑えられなかった。いま起きたばかりの出来事をそのまま話すが、父は興味がないようで、卓球の続きをしようと言う。
それで仕方なく、猫を振り返って言った。

「にゃあ、にゃにゃあ…(ごめん、卓球に戻るね)」

その後の卓球はまったく身に入らなかった。あの後、猫がどうしたか気になって仕方がない。

父の「今日はここまで」とほとんど同時に、私は倉庫の戸を開く。猫はまだそこにいた。
私は嬉しくてたまらず、ありがとう、お待たせ、などの心を込めてにゃあにゃあ鳴いた。

その日はそのまま猫と遊んだ。
玄関前の階段に腰掛ける。太ももに猫が乗ってくる。生まれて初めての体験に、その温かさに、おおいに感動した。そっと、猫の背を撫でる。背骨の感触。猫の背骨はこんなにも細く、しかし凛としている。目の前の尊い存在が自分に心を許してくれている事実が誇らしかった。動物嫌いの母はいい顔をしなかったが、動物との暮らしに憧れていた私にとって、それはまるで神様からのプレゼントのように感じられた。猫の首に鈴がついていることに気づいた時、こんなにすぐ懐いてくれたのは可愛がってくれる飼い主がいるからなんだと思った。

「気の済むまでここにいていいからね」

自分の猫語にすっかり自信を持った私は、心を込めてそう伝えた。

翌朝、早く目が覚めて倉庫へ走った。
きっともういないだろう、飼い主のもとへ帰っているだろうと、傷つかないように、期待を抑えようとした。

戸を開ける。木の棚の上に、丸くなって寝ている猫の姿を確認した時、思わず飛び跳ねそうになった。
起こさないように、一歩一歩、静かに近寄る。それでも猫は起きた。ごめん、起こしちゃったね、と手を合わせる。猫はのびをしてこちらを見ると、撫でろと言わんばかりに顔を突き出した。私はぷっと吹き出して、こらえきれない愛情が自分の中にふつふつと湧き上がってくるのを感じながら、猫の額や首をかいてやった。目を細めている様が、たまらなく愛らしい。

私は猫をミミと名付けた。こんなに懐いてくれているんだから、もうずっとウチにいればいいと思った。ミミはそのまま二日間、本当にウチの倉庫で寝泊まりした。

月曜日の朝、私は学校に行きたくなかった。
家に残るのは母だけで、ミミにちゃんとエサをあげてくれるか心配だったからだ。「お母さん、ミミにちゃんとエサをあげてね」としつこく念を押して、家を出た。

学校に行ってもミミの話をした。放課後、ミミを見たいと言う友達が遊びに来ることになった。
私もはやくミミに会いたくてたまらなかった。

でも、ミミは行ってしまった。

「お母さん、ちゃんとエサあげた!?」と問い詰めずにはいられなかった。母はエサをあげなかったことを気まずそうに白状した。これ以上、我が家の倉庫に住みつかせたくなかったらしい。
お母さんのせいだ、エサをあげなかったからミミが行っちゃった、うわぁんうわぁん、と私は大泣きした。友達に話したその日にいなくなってしまったことも、自分が嘘つきになったような気がして悔しかったのだ。

あれ以来、私は茶トラにめっぽう弱くなってしまった。
たまに癒しを求めて猫カフェなどに行っても、目が自然と茶トラを探してしまう。

きっと、ミミはもとの飼い主のところに戻っただけだ。

そう思うようにして過ごしていた小学生の日々をときどき思い出しては、すこし切なくなった。

28歳の誕生日。

リサ・ラーソンの茶トラ猫のオブジェを手渡された。「MIA(ミア)」という名前がついているらしい。それは私にとって思いもよらないギフトだった。

その日、リサ・ラーソンが亡くなった。
陶芸をしていて、これからも続けていきたいと願っている人間として、とても偶然とは思えなかった。ミミが帰ってきたような、応援してくれているような気がした。

私の中の誰かが、ありがとう、と泣いていた。

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