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なんで娘の私が「母親の親役」を引き受けてるんだろう

母と出かけると、私がこの人を守らないとっていう気持ちになる。世間知らずなところがあるから、私がフォローしてあげないと。人に説明するのが下手なところがあるから、私が代わりにやってあげないと。お茶代も私が出してあげないと。

そう感じると心がザワザワする。ドキドキする。苦しくなってくる。イライラしてくる。冷静に考えれば、私がしていることは親側の役目だ。それに、今日気づいた。

小さい頃から愚痴を聞いて、受け止めて、従って、管理されて。全然、娘でいられなかったな。なんで、母親相手なのに親役をやってるんだろう。馬鹿みたい。別にやらなくていいんじゃないか。娘だもの。子どもでいいんじゃないか。

あの人を守ってあげなくてもいい。フォローしてあげなくてもいい。娘だから、守ってもらえばいい。フォローしてもらえばいい。

でも、現実やこれまでは守ってもらえない、フォローしてもらえなかった。だから、期待なんてもうできない。だったら、守ることだけでも棄ててしまえばいいよな。親よりも、私が守ってあげたいのは、もう私自身だから。今の私と、これまでの私だから。

母親の親役になることを、もう棄てる。いきなりはできないけど、少しずつ止める。

こう書いている時、ふとキーボードを打つ手を止めると、自分が小さな子どものような気がした。この感覚、たまになる。不思議。心はザワザワしない。小学生くらいの小さな私。

涙ぐむ私の頭を、自分で撫でる。子どもの自分が大人の自分の手で撫でられているような感覚になる。頑張った、頑張ったという心の声を噛みしめながら私を撫でると穏やかな気持ちになる。

あの人の口から出る言葉は今も冷たくて厳しくて、私の心にマイナスに響くものばかりだ。その冷たさとデリカシーのない物言いに傷つくことはあるけれど、その原因は私にはない。責められるべき存在じゃない。私は。

「変わってる」も「男みたい」も痛いけど、我が子をそう表現するあなたの心に問題がある。私を貶すことで、自分を救わないで。私をディスることで、自分を満たさないで。そんな悲しくて痛い方法で「私のほうが上」だとアピールしないで。

そうされても、もう私の心はあなたには支配できないよ。どこへでも行けて、なんでもできて、もう大人な私の心は風船のように自由だから、私が辛くなったら飛び立っていけるよ。

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