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心に染み付いた「見捨てられ不安」がこんなにも痛くて。

23回目のカウンセリング。ここ最近は仕事で、自分ってダメだなあって思うことがあって、気分が下がってた。あなたを語ってくださいみたいな言葉を言われると、話せなくなる。伝えたいことが口から出ず、心臓はドキドキ。そういう自分に出会うと、ああ、ダメだなって思う。

そう思わなくてもいいんだよっていう頭の声と、いやダメだよっていう頭の声がぶつかり合って、思考がグルグル。この状態が一番辛い。人の目が、また怖くなった。店員と話すことも怖かった。

また元の自分に戻っちゃう?生きづらい生活になっちゃう?そう思うと、怖くて余計に気分が下がった。人前では感情を上手く隠しながら、心の中で絶望してた。

でも、病院で自分の口から苦情やそれに対する想いをちゃんと言えたことで心を立て直すことができた。ああ、ちゃんと伝えられた。分かってもらえた。ちょっとした自信になったし、嬉しかった。

きびきびと場を仕切れない取材時の自分を、それでいいと認められたことも心を立て直す材料になった。私がしたいのはテレビに出てくる司会者みたいに場をしっかりと回すことじゃなくて、取材対象者の心に寄り添うこと、その気持ちを受け止めて、できる限り同じ温度で文字にして、誤解ができる限り生まれないように伝えること。

これまで書いてもらった記事の中で、一番心を分かってくれた。そう、言ってもらえたことが何度もあるから、その言葉のプレゼントを大切に持ちながら頑張ればいいんじゃないかなと思ったんだ。


そんなグルグルな思考回路がありつつも、最近は気分が上向きだなと思っていたから、カウンセリングで自分が疲れていたことを知って、驚いた。私、こんなにも疲れたのねと、その場で初めて気づいた。

カウンセリング中、私の中の私が言った。心に染み付いた見捨てられ不安が消えないから苦しい、と。その言葉をカウンセリング後にも何度も思い出して、涙が出た。

そうだよ。ずっと知ってたよ。私が苦しんでいるものは全部、記憶の中にあって、いま起きているものではないことなんて。今は平和で、あの頃とは親の在り方も、関わり方も、価値観も変わっているってこと、知ってる。

でも、どうしても消えなかった。あの頃感じた恐怖や悲しさ、辛さ、苦しさ、孤独感が。みんな、いつか自分を見捨てるんだろう、私はその程度の存在なんだろうという自己認識が。

でも、消えない感情を口にすると、少し楽になるなって思った。泣いて、泣いて自分の気持ちに気づいて、今と記憶の中の生活の違いに気づくと、そんなに怯えなくてもいいのでは?と思ったり。

私だって、もう誰かを捨てる側に回れるから。見捨てたい相手は見捨てていいし、自分にふさわしくない相手は捨てていいから。簡単に見捨てられる程度の関係を築いてきたわけではない相手しか、周りにはいないから。

嫌になったら、全部人間関係をリセットしてきた。友達も恋人も家族との関わり方も、一度は永遠を誓った相手も。心の中で、あるいは物理的に全部リセットして、「なかったこと」にしてゼロから人生を始めたことが2回あった。

その2回は今の自分とは繋がらない途切れた道だと思っていたけれど、実はちゃんとここに繋がっていたんだな。全部、自分を作る大事な私であり、道であったんだな。

月1回、自分の心と向き合えて、想いを聞いてもらえる場があると心が楽になる。知らないうちに溜め込んでしまう傷が軽傷の段階で救われる気がする。

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