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スピーカーから流れる音楽だけが味方だった夜がある。

22回目のカウンセリング。起きている間の心はかなり元気になってきて、自分でも知らないうちに奪われていった「好き」を取り戻している感じがしている。

私って、こんなに幼い顔してたっけと鏡に映る自分をまじまじと見て驚く日もある。目が生きている気がする。

ただ、睡眠が関わってくると怖くなる。心臓がドキドキしてきて、彼が寝に来るまで眠れない。なぜ?と尋ねても、その理由がわからない。漠然とした不安と寂しさと色んな夜の思い出が頭に浮かぶ。明日、手術を受けるけど、生きて、また朝を迎えられるのかなと、病院のベッドの上で窓を見つめていた小学生の自分の姿も見える。

カウンセリングを受ける中で気づいたのは、中学生の自分があの家に取り残されてることだった。BUMPの音楽を聞きながら、ここから離れようって言うけど離れられないよ、心だけなら切り離せるかなと考えていた頃の私。

父の機嫌が悪い夜が怖かった。大声で母に対する暴言を吐きながら階段を登ってくる。あの声と足音が怖かった。

気を抜くと、突然部屋のドアを開けられてびっくりする。怖い。関わってほしくないのに、逃げられない。やり過ごす。誰も助けてはくれないから。

両親が寝るまで、隣の部屋から言い合いが聞こえる日もあった。壁に耳をつけて、母の心配をした。包丁であいつを刺せたらいいのにと思った。私が男だったら、力で勝てる日が来るかもしれないのに。女だから、そんな日もこない。一生私はあいつをねじ伏せることができない。ねじ伏せられる側なんだ。そう思うたび、絶望した。自分の先が見えた気がした。

夜は怖い。睡眠薬に溺れないと、やっていけなかった。爆音で心臓の音をかき消して、ODをして記憶のない電話をかけないと越せなかった。

知らない男に体を委ねながら、車の中でずっと空を見てた。手首の傷だけが、自分の味方な気がした。

思い返すと、夜は楽しかったことがほとんどない。傍目には楽しそうに見える時でも、いつも父の機嫌に怯えていた。

でも、それは今じゃないから。もう私はどこへだって逃げられるし、関わる人も選べるから。何かが壊れたとしても、また違う道を作っていけるから。そうやって、ここまでも生きてきたから、大丈夫。

そう言ってあげられたらいいな。過去と今の自分に。カウンセリングを通して、縛られていた部屋からの出方が少し分かった。道が無限に広がっていることも。自分なりの歩幅で歩けばいいことも。

いきなり、夜が平気にはなれない。睡眠はやっぱり怖い。それでもいい。辛いけど、それだけの経験をしてきたのだから、当たり前のことだ。

まずは、少しずつ夜を楽しめるようになっていけたらいいなと、ふと思った。お日さまと友だちになれたみたいに、夜とも友だちになりたい。怖い時間じゃなくて、こんな楽しみがあるじゃんって思える時間にしたい。そこから始めてみることにする。

手始めに、おいしい夜食。最近、食べ物を口にすると幸福感と安心感がこみ上げてくるから。食べることは生きること。生で聞きたいBUMPの歌がまだまだあるし、彼と旅行したい場所もあるし、見たいテレビもあるし、愛猫がかわいいし、自分ひとりで楽しみたいことも行きたいところもあるから、まだ死ねない。そう思えるようになった自分は、とても好き。

どうして自分を、こんなにも痛めつけて嫌ってきたんだろう。私たちは必死に生きていただけなのに。

カウンセリング後、自宅で彼が「34年間、いろんなことを頑張って生きてきたなあ」と言った。カウンセラーみたいな言葉だなって思いながら、ああ、こういうあったかさが、ずっとそばにあるから、私は心を立て直しやすかったのかもなと感じた。

自分の笑顔で人が嬉しくなると知ったときの衝撃は、今でも忘れない。人を教えてくれた人だと思う。

また週末がやってくる。嫌いな夜がやってくる。怖い夜が迫ってくる。友だちになれるだろうか。この時間帯でも、楽を選べるだろうか。

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