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複雑性PTSDと診断されてから1年が経ちました

25回目のカウンセリング。初めて、メンクリに駆け込んでから1年が経ったみたい。カウンセラーから「去年の5月13日に初めて来たね」と教えてもらって、ああ、もうそんなに月日が経ったんだなと思った。

たった1年だけど、1年前の自分とは変わったところがたくさんある。死にたいほど心が落ち込む日は最近たまにあるけれど、1年前みたいに車道に飛び出して今すぐ死にたいと思うほどではなくなった。

今回のカウンセリングでは、最近のしんどさを話した。自分の気持ちが分かってくるといいことばかりじゃない。何かを決めるときや誰かと行動する時、「私はこうしたい」よりも「あの人はどうしたいだろう、どう思うのだろう」という考えのほうが先に浮かぶなと、最近気づいた。

その思考の後に、「そのために私はどう振る舞うのが正解なのか」という考えが降りてきて、「正解よりも、どう振る舞いたいのか」に、ようやく辿り着く。

その段階を経て、やっと自分の気持ちや意思を伝えられることがあるけれど、怖く伝えられない時もある。相手が「こうしてほしいだろうな」ということを読み取って行動してしまう。相手の反応をたしかめながら、正解と思える答えを探してる。

傍から見れば、それは自分の意志で下したように見える結論だ。でも、私の中では、そうじゃない。言葉の端々や視線、表情から相手の感情を読み取って選択したり、選択肢を提示したりしてる。

そんな思考回路がしんどいし、自分よりも相手を思う思考が先に降りてくるのが辛い。誰かの意見しか優先していない選択を下した時は「自分がいない、自分を出せない」と落ちる。

34年間してきた生き方を急に変えられるわけがない。そんな事は分かっている。頭では分かっているけれど、心がついていってくれない。私はダメなんだな、という思考にまた落ちる。

あと、彼が離れていくのではないかと怖くなると媚びたり、甘えて距離を縮めたりしたくなって心が苦しい。ベタベタする女は重い。干渉する女は逆に嫌われる。そう思うから、できるだけしたくないのに。

「しちゃいけない」と思う気持ちと「我慢できない気持ち」の間で苦しむ。別に、どっちの気持ちも大事にすればいいじゃんとは思う。でも、現実の私は、まだそこまでにはなれてなくて、彼に好かれたままでいるには自立した女性でいなくちゃいけないという思考に苦しめられる。

嫌われたくないから距離を置いて部屋にこもったり、スキンシップを減らしてみたりして、相手の反応を確認し、その先の行動を決める。

本当は、どこかで気づいてる。本当に離れられないのは、私のほうでなくて案外、彼のほうなのかもしれないということ。でも、「それってホント?思い込みじゃない?」と尋ねる声が聞こえる。

GW明けは、そういう気持ちがずっと続いて、久しぶりに死にたくなった。だから、カウンセリングに行って、改めてこういう時に話せる場所があるっていいなと思った。ひとりで抱えなくて済むし、別の考え方があることを教えてもらえて、頭と心が整理できる。


なぜ、私だけがこんなにも苦しまないといけないんだろう。苦しめた側は今になって、「やりたいことを全部やればいい」とか「好きに生きればいい」と言う。どうして、あの頃言ってくれなかったんだろう。

生い先短いから、そう思うようになったと母は言った。私は昔から、自分の寿命が短いと思って生きてきた。だから、やりたいことを全部やりたいと思って生きていた。それなのに、人生を制限したのは誰?自分の寿命が迫っていると感じる時になったらスラスラとそう言って、「あとは好きに生きて」と、あの頃求めていた言葉をサラっと言うなんてずるい。

私にはまだ、こんなにも治らない傷があるのに。

虐待された子は、脳に変異が見られるという。仮に、「暴力」という手段で脳を損傷させたら相手を傷害罪で訴えることができるのに、なぜ虐待による傷は軽視されるんだろう。同じように脳が傷ついていることには変わりないのに。

パートナーや友人、知人の10代らしい過去を聞くたびに苦しくなる。私の10代って、なんだったんだろうって。みんなと経験していたことが違う。精神科に通わなくてもよくて、好きな時に好きな場所に行けて、自由があって、息ができる場所がある生活。それを聞くたびに、自分の過去が痛々しく思えてくるし、その時期らしい楽しみ方も知らなかったんだと悲しくなる。

取り戻せない時間が恋しい時は、どうやって心の傷を癒したらいいんだろう。

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