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はじめまして、みなさん

そもそものなんでnote始めたん?、というところから書きます。

皆さんは私のことをどれくらい知っているでしょうか。
実際に会ってみて「こんな人だ」っていう印象を持っている人、
SNS上で会話して「こんな人かな」というイメージを抱いている人、
もしくは、この投稿が「はじめまして」で素性の知れない人……
あなたが私に対して思っているのと同じように、私自身も勝手に思っているわけです。
「この文章を読んでいるあなたはどんな人だろうか」と。

これを書いていて、初めて気づいたんです。
私が知っている誰かの素性も、牛乳を加熱したときにできる薄い膜のような
上澄みでしかないんだと。

だから、この記事を通して、
私が「どんなヒトなのか」とか
「どういった考え方をしているのか」とかを知ってほしいな、と思い立って指を動かしています。
今回は、私の成長過程の一部分について触れておきます。

というのも、物体を投影する影にすら憧れを抱くような陰鬱で無間地獄のような学生時代を歩んできており、鏡の向こうの世界にいち早く飛び込みたいとすら願って生きてきました。そんな私はTwitterの最古参です。なんてったってリリースされた2006年から利用していますから。もはや人生史です。そのような中で「SNS」や「ニコニコ動画」、「歌ってみた動画」や「音mad」などと親しみ深く生きてきたせいか、現代に溢れている音楽の世界には僭越ながら目を見張るものがあり、常に「音」を求め続けながら生きているといっても過言ではないところがあります。
だがしかし、そんな学生時代を送っていたせいか、現代で売れている曲でよく使われている「夢」とか「希望」、「頑張ろう」や「愛してる」、「幸せ」みたいな歌詞に飽き飽きしていて、そのような音楽を一度耳にすると、それを2度目に聴くことを避けてしまう傾向にあります。
時に「音楽は無責任だな」と、無意識のうちに思ってしまうことがあり、寂しさや虚しさを感じることもあります。

そう感じてしまうのは、私に根付いてしまった歪んだ考えなのかもしれません。
私は学生身分でありながら、いっちょまえにあーだこーだ口を挟んだり、モノを言いたくなる性分をしているので、時には誰かを不快にしたり離れていく人もいたでしょう。かつて付き合っていた元カノの1人もそうでした。「尊敬できるけど嫌いだ」と涙ながらに吐き捨てられたことは今でも覚えています。本当は尊敬にすら値しないんです。きっと彼女なりの気遣いだったんだと思います。
今思えば、歯に衣着せず言ってしまう性質は、排他的行為の象徴であるいじめの格好の餌食だし、人に好かれるなんて本当は縁のない話なんです。友達すらまともにできません。
そんな私と味方陣営であることを表立って主張できる人はいるはずもなく、クラスメイトや担任のみでなく、学年全体に及び、生徒指導主任や学年主任にまで見放された結果、中学受験の推薦状の依頼を担任からふたつ返事で拒否されて書いてもらえず、成長期を人権のデフレスパイラルと呼ばんばかりの悪循環にのめりこんでしまった私にとって、幸せや夢なんて言葉は水と油、青菜に塩、ドラキュラとニンニク入りトマトジュースくらいに真反対の存在だったんです。
私の児童期、まるで鬱アニメみたいですね。
この真っ暗闇が保育園の年中から中学校卒業まで続きます。
しかし、そんな中で母親と母方の祖父だけが見放さずにいてくれた。その事実を糧に生きていました。だから私は祖父っ子です。味の好みも景色の好みも祖父に似ました。似つかなかったのは手先の器用さだけです。
2人には感謝なしでは生きていけません。だから母の日と母の誕生日だけは大事にしています。マザコンと思われるかもしれませんが、これは私なりの恩返しです。祖父は既に亡くなっていますが、形見の写真は今でも飾ってありますし、思い出の地を懐かしんで思い返したりします。命日には好物を買ってお供えしたりもします。

だいぶ脱線してしまったので話を戻すと、そういった茨のムチを自他に突き刺しながら歩んだ私は、理想郷のような言葉やゆるふわ~な無責任フレーズを嫌がり、避けてきたのだと思います。
そのせいか(?)、私は好きな音楽を誰かに共有する……なんてことは滅多になく、自分の中のみで楽しんでいました。誰かと趣向が同じであることを嫌味に思われるのが嫌だし、好きな音楽を面と向かって悪く言われるのは耐えられなかったから。
それと、私が音楽を好きになる理由は、メロディーラインから入ることが99%です。街中で聞いた音楽、いつか聞いて忘れかけていた音楽、ラジオの差し込み曲やCMソングとして流れていた音楽から気になり始めます。
カラオケのレパートリーに昭和末期や平成初期中期(2010年前後まで)の曲が多いことや恋愛系の音楽が多いのは、その名残です。
きっと、私なりのあこがれ(昔に戻りたいという当時のもの)や理想を音楽に投影していたのでしょう。
心理学的に言うと、セルフサービスで音楽療法を行っていたのです。
とはいえ、最近ではMrs.Green Apple や 新しい学校のリーダーズ、HoneyWorksといった青春系の音楽も少しずつ取り入れ始め、音楽における苦手分野を着々と克服しつつあります。

もともと、会話は好きで弾切れになるまで話していたいけど、相手の意図や本心を読み取るのが苦手という人間として致命的な欠陥を備えているので、言葉を発することで物議を醸したり、誤解を生んだり、相手の理解が十分に及ばなかったりするということはざらにあり、それがストレッサーになることもちょいちょいあります。
でも、そのストレスを誰かに話すことで相手の気を曇らせたりネガティブを伝染させたりするのは気が引けるし、知らないところで誰かが聞いているかもしれないし、話したところで100%気が晴れることはそうそう無いので、前者ふたつを気にせずに思うままに言葉を綴れる場所が欲しいな、と思ったのがきっかけです。

んで、そんな捻くれた児童期を過ごしていたわけですが、現在において「過去に戻りたいか」といわれるとそうでもないんです。過去の改変は現在の消失を意味します。SNSや対面で築いた今の交友関係を投げ打ってまで戻りたくはありません。
ただ、今の知識を持ったまま過去に戻って予定された人生をもう一度を歩むといった「やり直し」はやってみたいです。未来を知っていれば寄り道をしても結び付けられるかもしれないから。

現在時刻は午前3時です。(書いてから数時間おいてます)
信号機と電柱とコンビニくらいしか明かりの漏れない夜間は、セロトニンと呼ばれる幸せホルモンの物質が減るのでネガティブになりやすい時間ど真ん中ってわけで、この文章を綴る原動力の一端を担っているでしょう。ネガティブを他人に振りまくことはマスクと手洗いである程度の予防ができるコロナウイルスと違い、距離があっても人伝えなんかで耳に入ってしまうというように予防のしようがないタチが悪いものなので推奨しないのですが、noteであれば読む選択権を提供できるし、「嫌なら見るな」という自己責任論に基づくことができるので、この場においては気にしないことにします。

ここでは書きたいことを書きたいときに書きたいだけ書くことをコンセプトに据えようと思います。長く書いたり短く纏めたり……というのも気分次第です。変にルーティンを定めた結果、骨粗鬆症患者のようなスカスカな文章を皆さんに読ませてしまうのも申し訳ないので更新頻度は特に設定していません。
知ってもらいたいというエゴを表現する場、私自身が私を知るための場として利用しようと思います。

もらった金額分だけ第三者に貢献しようかなと。 例えば、子ども食堂に食材を寄付して、その様子を記事にしたりするなど。