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なぜ、君じゃないとダメなんだろう、noteさん

何故、noteなんだろうな、と真面目に考えてみました。

最近は「note、イイね!」というだけのbotみたいになっていて、言いたいことの五分の一も伝わらない。

でも、考えてみると。
あまりブログでとりとめのない文章を書くことに大した意味は見出せなくて、続かなかったんだよなぁ、と思うと、noteとブログの違いが確かに響いてきます。

今更だから書くのはためらうのだけど、noteは記事単位、ブログはユーザ単位なんですよね、結局。

ランキングとか色々あっても、やっぱりブログは「○○のブログ」という入り口から見るものであって、だから「赤の他人の日記ブログ」なんてそれだけじゃ見られない、となる訳です。

「こういうこと扱っているブログです」という明確なテーマがあって初めてそのブログを見よう、とクリックする訳で、とにかく日記を見ようとか、とりとめのないこと書いているポエムを見ようとか、そういう層は相当なニッチ層です。
大半の人は、そんなのつまらなそうだから見ない、となる。

本当につまらない、といっているのではなく、導入がとにかく弱い。

だからブログはとにかく宣伝あるのみ! で、別のSNSで人つけて宣伝とか、集客はどうするかとか、キーワードがどうとか、テーマがどうとか、とにかくどうやって目をひこうか、と考えていかないといけない。

「何もない日常ブログです」じゃあ、お前どこの芸能人よ、となる訳です。

誰とも知れない無名の誰かに興味を持つわけない、と、そればかりは僕も当時、真剣に同意していて、酔狂なのを分かった上でそういうブログをやろうと思っていました。

でもnoteだと案外、そんなに有名無名にこだわる訳じゃない。
むしろ、タグでばーっと並べた時、導入で物を言うのは個別の記事、個別のタイトル、個別の導入部の文章だから、その書き手さんの有名無名性は実際にファンになってフォローするとか、他の人の紹介で見るとか、そういうところにしか関わっていないと思います。

そりゃ、ユーザ名で「あ。あの人だ」と言われた方がイイには決まってます。でも、きっとそれだけじゃない。

もちろん、ただの日付タイトルで見てもらえるのは絶対に有名な人だ。普通の凡人が日付の数字のみで構成されたタイトルつけて、有料記事だから導入部の文章読めない、なんて状態でまず見る訳ない。

でも、そこを理由に導入出来る”かもしれない”可能性が、毎日更新、(的確な、あくまで的確な範囲で)真面目なタグつけ、企画への熱心な参加率、で人目に触れる機会を増やすことの意味を、タダの凡人にも考えさせる、だからnoteに夢がある、と僕は思います。

だから少しはまぁ、真面目に!

真面目に……

毎日更新、出来てないけどね。

タグ付け、結構いい加減だけどね。

企画、書けそうなものだけ適当に参加しているだけだけどね。

……いや、本気でそう思ってるんですよ、本当に!

そんな夢を与える空間でありながら、誰よりもマイペースにやっていても引け目に感じたりさせない、noteゴイスー。

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