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未掲載エピソード#02「汚いゴミを一瞬で消す魔法」

このお話は現在発売中の「都会を出て田舎で0円生活はじめました/田村余一・田村ゆに」を出版するにあたって田村ゆにが執筆したエピソードです。本には掲載されず、書いてから約1年経ってみると現在の心境は少し変化しているのですが、せっかくなので公開します。

本の方は、田村余一のポップでわかりやすいエピソード満載です!
まだ読まれていない方はぜひお手にとってご覧ください♪

未掲載エピソード#02「汚いゴミを一瞬で消す魔法」

この暮らしを始めてから気がついた。それは年中、家も自分も汚れやすいということ。春から秋は畑仕事で土にまみれ、家の中も半分は土足なので玄関があっても境目はない。

春先なんて、雪解けで一瞬にして足の裏に泥がついて1日で普通の家の1年分の汚れがたまる。元を辿れば土なので、「汚れ=汚いもの」という感覚はないけどそれでも掃除は大変だ。

畑仕事がない冬の間でも、別の汚れがやってくる。薪ストーブの炭だ。それはいつの間にか手について簡単には落ちず、むしろ広がる。厄介なスス汚れに、最初の頃は敏感になってすぐ手を洗っていた。今ではしばらくの間はしょうがないと放置して、人と会う時にだけ身だしなみに気をつかっている。

家だと普段は汚れが気にならない。通勤がないため毎日会うのは家族だけ。人目を気にする必要もない。普通の人が休みの日に、パジャマで1日を過ごす感覚だろうか。

いざ外出!となると、途端に人目を意識する。街の照明はホコリの1つにまでスポットライトを当てているような明るさで、小ぎれいな町の人の目線が気になる。普通の暮らしをしていたら、なんで汚れているのか?何の汚れなのか?もわからずにススけた服や土の入った爪の色に「汚い」のレッテルを貼り付けられそうだ。

引っ越して間もない頃に囲炉裏を使っていて、もくもくと煙で全身燻された状態でスーパーに行ったことがある。レジの順番待ちで前に立つおばちゃんが、怪訝そうな顔でこっちを見ていた視線が忘れられない。

除菌や消臭がブームで、白さが美しさの象徴。目に見えないウイルスに怯えて、あるかわからないものを拭いたいのだから、シミ1つだって許されない世の中には生き苦しさを感じる。

今一度考えたい「汚れ」のこと。元を辿れば必要とされたものが、自分の身から離れ、いらなくなった途端に「汚れ」なのだと意識が変わる。

これはゴミとも共通していて要するに汚れとかゴミって「概念」なのだ。人が意識を変えてるだけで、目の前の物体が突然に変化するわけじゃない。

本当のゴミなんてこの世に存在しない。だから逆に、意識を変えればゴミはなくなる。

ちょっと提案なんだけど、今日からゴミとは呼ばないでもっと噛み砕いた表現で呼んでみて欲しい。

例えば、ゴミ箱に入ったものを1つ1つ分析してみる。「野菜クズ」「レシート」「納豆の容器」「プラスチックの包装」など、きちんと名のあるものになる。

いらないことに変わりなくても、汚いと思っていた感覚が薄くなる。汚れにしても、黒い線は炭でできていて、爪の間は土が埋まっている。炭や土を見て汚いと思うだろうか。ゴミも汚れも考え方1つで見え方が変わる。

まれに不衛生なところに存在する菌がいて、それらが人を病気にすることがある。しかしそれは汚くてそうなった訳ではなく、自然界のバランスが乱れているだけなのだ。

本当に汚いもの、本当のゴミなんて存在するのだろうか。

汚いという概念が人を必要以上に潔癖にして、本質的ではない表面的な清潔感を求め、見た目の白さに走らせた。元を辿れば自分の一部であったはずのゴミや汚れは、排除することでいずれバランスを保とうと押し寄せてくるだろう。

未来で私たち人間が、地球のゴミとして捨てられないことを祈るばかりだ。

サスティナブルな暮らしを、一緒に実現していきましょう!