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徳島県が舞台の短編小説◇ボラとうず潮【前編】(4567字)

はじめに


短編小説「ボラとうず潮」は、徳島県で開催された阿波しらさぎ文学賞に、
残念ながら落選したものです。


でも、自分ではとっても気に入ってるよー!

小説家になろうにも同作を投稿しましたが(noteより読みやすいかも! 縦書きPDFでも読めます)、
※リンクをクリック!→https://ncode.syosetu.com/n2673hu/
noteに阿波しらさぎ文学賞関連のものを投稿するのが流行っているようなので、
こちらにも転載ですーん。

モチーフはベタに徳島名物・うず潮。
あと、水質汚染でボラが大量発生、犬神の呪いなど
徳島新聞に載ってた記事をちょいちょい拾いました。

よろしければ、お読み下さい。
※長いので前半・後半わけました。


ボラとうず潮【前編】(4567字) ゆにお・作


① 川に落ちる


 ある曇天の日。
 僕は御座舟(ござふね)入江川(いりえがわ)に、うっかり滑り落ちてしまった。

 あろうことか、その日の御座船入江川は、ボラの大群で溢れ返っていた。

 曇り空の下、不穏に黒光りする嫌われ者の魚たちが、酸欠に喘ぎながら周囲の仲間を押しのけ、自分だけが何とか水中で命をつなごうと、争うように犇(ひし)めいている。

 僕はボラの渦に巻き込まれ、呑み込まれながらも、冷静に両手で双眸(そうぼう)を塞いだ。この魚は驚異的な跳躍力を持っている。飛び跳ねたボラに瞳を貫かれ、失明した人間もいると聞いたことがあったからだ。

 目を守りつつも、僕はボラの流れに身を任せた。水面に押し上げられた時には、しっかりと酸素を吸い込み呼吸を維持しながら、浅瀬に漂着するのを待った。力を入れてはいけない。なるべく身体をだらんとさせてボラの動きに逆らわないことだ。

 僕は辛抱強く、流されるままに流され続けた。やがて、ボラの身体とは違う感覚が腕に触れた。


「今だ!」


 僕はすかさず手を顔から離し、ヘドロで泥濘んだ川底を押して、立ち上がった。ボラが何匹かつられて跳ね飛んだ。空缶か、ガラス瓶か、はたまた石か。ヘドロに埋もれていた鋭いもので、僕は手に裂傷を負った。


「畜生」


 しかし、今は腹を立てている時ではない。

 僕は枯れた葦(あし)を掻き分け進み、煤(すす)けたコンクリートの傾斜をよじ上った。そして、命からがらガードレールを股ぎ、道路に転がり出た。


② 歩き出す


 僕はしばらく道に仰向けに寝転がり、呼吸を整えた。瞼を閉じると、ついさっきまでボラに好き放題に身体を撫で回されていた感覚が蘇ってくる。

 僕はその記憶から逃れようと、瞳をしっかり開き、曇り空を見上げた。

 今日は川がいつもより黒かった。そのことに僕は気付いていたのに。そればかりか、ボラが御座舟(ござふね)入江川(いりえがわ)に700メートルに渡り大量発生しているというニュースも、昨夜ラジオで耳に入れていたのだ。

 それなのに、僕はすっかり浮き足立って歩いていたものだから、うっかり足を滑らせてしまったのだ。

 Tシャツもチノパンもびしょ濡れだった。スニーカーの中は水が溜まっていて、一歩踏み出すたびに濁った水が溢れてくる。髪からは黒い水が滴り落ち、どちらに顔を向けても悪臭がした。一刻も早くシャワーを浴びて、清潔な衣服に着替えたかった。


「このまま寝ていても仕方がない。どこかでシャワーを借りて、そして服を買い替えよう」


 命と目が無事だったことを思うと、前へ進む勇気がじわじわと湧いてきた。僕はゆっくりと立ち上がり、濡れたTシャツの裾を絞りながら、歩き出した。その道筋に、ナメクジが這った痕跡のような、濡れたシミができていった。





 僕は、これから女と会う約束をしている。だから、歩みを止めるわけにはいかない。身体は臭くとも、この気持ちが僕を奮い立たせていた。

 ここは何もなくつまらない地方都市だが、奔放な刺激を求める女たちが貞淑な仮面を被りながら身を潜めて、僕と巡り会うのを待っている。その事実が、僕を本土に行かせない希望の光になっていた。

 行き先に靄(もや)が立ちこめている。それと連動するように、川から悪臭が立ち上ってくる。最初、例の僕自身の悪臭かとはっとしたが、きっとそうではない。

 空気全体が臭いのだ。もちろんその原因は、御座船入江川だろう。曇り空の湿気と蒸し暑さが、逆にこの川の濁った水の蒸発を促しているのかもしれない。

 この町の水質の悪さは依然改善されない。下水の発達が遅れており、家庭排水が直接川に流れ込んでいるからだと、市のHPには載っていた。そうであれば、なぜ下水を発達させようとしないのだろうか。毎夏ボラがあちこちの川で大量発生するのも、絶対にこのせいだと明白なのに。

 市のHPには、「市民の皆さんが生活排水に気をつけるべき」という心がけが記されているだけだった。なぜ行政がこの公害問題を市民に押し付けようとするのだろうか。そんなのおかしいじゃないか。

 僕は何とか本土へ渡りたい気持ちを抑えここへ留まっているというのに。自分の郷土への忠誠心が踏みにじられたように感じられ、僕は身体の奥にむかむかした疼きを覚えながら歩いた。


③ 阿波踊りのおんなたち


 すると、靄(もや)の向こうから賑やかなお囃子が聴こえてきた。

 おや、と思いながら進むと、阿波踊りの隊列が姿を現した。果たして何人いるのか、最後尾は濃い靄(もや)に隠れて見えないが、今見えてきただけで10mほどは列があり、全員がおけさ傘を被った女だった。

 指先まで揃いの形にした手をたおやかに振り、着物の裾をはだけて臑(すね)を無防備に晒しながら、こちらへ進んでくる。まつりの時期でない阿波踊りの隊列は珍しい。今は観光客が来るような季節ではないから、すべて阿波の女だろう。

 僕は歩みを止めず、阿波踊りの列とすれ違いながら、彼女たちの脚を盗み見た。白い肌が揃いの動きで何本も何本もぞろぞろと通り過ぎた。おけさ笠を被っているから口元は、みんな一様に微かな微笑みをたたえている。だから、脚を見られて怒っているなんてことはないだろうと僕は思った。

 しかし、その後もぞろぞろと阿波踊りの隊列が続くものだから、僕はすっかり女の臑(すね)を見飽きてしまった。川を覗けばもうボラの群れは見えない。つまり700m以上は歩いたということだ。この阿波踊りはいつまで続くのだろう。この島の人間は馬鹿の一つ覚えのように、阿波踊りが好きだ。一体何人で踊れば気が済むというのだ。

 僕はだんだん彼女たちに腹が立ってきて、女の脚だからといってありがたがって見ている自分が嫌になってきた。それより、今の自分の状態をどうにかせねばという気持ちが沸き立ってきて、いても立ってもいられなくなった。僕は息を大きく吸込み弾みをつけると、阿波踊りの隊列に向かって叫んだ。


「すみません! 僕はボラで溢れる汚い川に落ちて、びしょ濡れなんです! 
濡れてるだけならまだいいですが、この川はとびきり臭いのです! 
どなたか僕に、シャワーと、そして清潔な洋服を与えてはくださいませんか!」


 しかし、女たちは誰ひとりとして立ち止まらない。音楽がうるさいせいか、踊りに夢中なせいか、あるいは、みすぼらしく汚い僕のことなど視界に入っていないのか。

 僕は隊列に駆け寄り、通り過ぎて行く踊り子たちのおけさ傘の中に向かって一人ひとりに叫んだ。


「すいません、すいません、すいません! 僕は困っているんです!」


 しかし、女たちは相変わらず僕を無視して踊り続ける。
 身体を清潔にしなければ、女を抱くことはできない。このまま待ち合わせ場所にたどり着いたところで、僕のこの姿を目にしては、女は引き返してしまうかもしれないではないか。どうして誰も僕に手を貸してくれないのか。

 やがて、隊列の最後尾が見えた。この女を逃すわけにはいかない。僕はそう思い、最後尾の踊り子が頭上に手を掲げた瞬間を捉え、手首を掴んだ。そして、おけさ笠からはみだした口元に向かって言った。


「助けてくれてもいいじゃないか。僕は女に会いに市内に向かってるんだ。こんな格好じゃ、嫌われてしまうだろう」


 すると、女の唇がふやけたように捩(よじ)れた。きっと僕の悪臭に顔をしかめたのだ。顔の全てが見えない分、女が僕に向ける蔑(さげす)みが伝わってきた。

 僕は急に恥ずかしくなり、顔が熱くなるのを感じた。おけさ笠から逃げ出してしまいたいような気持ちになったが、何とか堪え、彼女の手首をよりしっかりと握り締めた。すると、女の口が、人間の口ではなく、魚の口に姿を変えた。その奥に真っ黒なうつろが続いていた。僕は思わず、後ずさった。

「ひっ!」と、情けない声も出た。
 すると、女の姿は渦巻く煙になって消え、僕が握っていたはずの手首は、黒光りする一匹の若い生きたボラにすり替わっていた。

 慌てて後を振り返ると、阿波踊りの隊列などどこにも見えなくなっていた。ただ、さっきよりよりいっそう濃い靄(もや)と水蒸気が、あたりに立ちこめているばかりだった。


④ 〝わんだーなると〟号


「今のですっかり心が折れた。僕がこんなにも女に相手にされないなんて」


 もう今日はとても女性に会う気になどなれない。自分がそこまで魅力的な男ではないことは自分でもわかっているが、こう踏んだり蹴ったりでは。
 僕は腹立ち紛れに、ボラをアスファルトに乱暴に叩きつけ、捨てた。そして、女に日時の変更を申し入れ、今日はもう家に帰ってしまおうと思った。

 自分がつけてきたアスファルトの黒いシミを引き返しながら、僕はスマートフォンがないことに気付いた。ボラの群れに落ちた時になくしたのか、そもそも家に置いてきたのか。

 女との繋がりは、スマートフォンにインストールしたチャットアプリのみだ。それがなくては、彼女に連絡を取ることはできない。詳細な待ち合わせ場所や服装などの情報も得ていなかったので、どのみちこのまま市内に出ても、女と会えない可能性が高かった。

 僕は絶望的な気持ちになり、なお一層早く自宅に辿り着きたいと考えた。財布は、チェーンをつけておいたことが幸いし、右腿のポケットにぶら下がっていた。

 歩いて帰れない距離ではないが、乗り物が拾えるならそのほうがいい。僕は立ち止まり、ガードレールにもたれると、周囲を見回した。すると、靄の向こうから船が現れた。


「おや。あれは〝わんだーなると〟じゃないか」


〝わんだーなると〟は、鳴門海峡のうず潮見学用のフェリーだ。徳島県民なら誰しも一度は乗ったことがある。そんな船が、なぜ御座船入江川に浮かんでいるのだろうか。

 しかし、これだけ大きく頑丈な船なら、ボラの大量発生地帯に突入しても転覆の心配はないだろう。手持ちの金で運賃が足りるかわからないが、家の側まで行ってもらえないか頼んでみる価値はあった。


「すみません、この川をここから1キロほど下りたいのですが! 
乗せて行ってくれませんか?」


 すると、操縦席からえび茶色の着物を着た小僧が顔を出した。僕は面食らった。こんな子どもが船舶免許を持っているのだろうか。しかし、現に〝わんだーなると〟は防波堤に船肌(ふなはだ)を擦ることなく、慎重に御座船入江川を下って行っている。舵取りの腕は確かだと言えそうだ。


「いいですよ、お乗りなさい」


小僧はそう言いながら、縄梯子(なわばしご)を地面に放った。そしてすぐに船の操縦へと戻る。僕はゆっくりと進む船を小走りで追いかけ、縄梯子を掴むと、船の甲板へと昇って行った。

 甲板は川の悪臭がどうしようもなかった。だから、僕は操縦室の扉を叩いた。


「操縦室に入ってもいいですか?」


 すると、小僧の返事が聞こえた。


「機器に触らないことを約束できますか?」

「もちろん。決して、レバーもスイッチも、触ったりなどしません」

「では、お入りください……」





後半につづきます~!↓

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