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三代続いた親子の確執 その9

【壮絶な姑タマとの確執】


舅・由松が生きている頃から、姑のタマの酒量は半端なかったのに、亡くなってからは、更にお酒の量がドンドン増え、酒乱の域に達していきました。

お酒が入っていない時のタマは、孫たちにとっても、ホントに良いおばあちゃんで、孫たちの着物を縫ってくれたり、一緒に寝てくれたりと育児を助けてくれたことは、有難いと思っています。

ただ、ひとたびお酒が入ると、ひとが変わったように豹変し、大声で暴言を吐き、いたたまれなくなるのでした。
私に対しては、
「誰のおかげで、今の生活ができると思ってるんだい?」
「お前の母親は、ホントに器用な人だったのに、なぜ母親に似なかったのか?」
「不器量なお前と酉蔵を結婚させてあげたのは、私だよ。もっと私のために
働いたらどうなんだい?」
などど、毎回毎回の繰り返し。

そのうえ、泥酔して意識のないまま、お漏らしし、その後始末をさせられての生活。いつしか、心の中では「早く死ねばいいのに!」という思いが湧き上がってくるのでした。

晩年、末娘の幸子が「おばあさん、具合悪そうだから医者を呼んで!」と言われた時に私から出た言葉は
「ほおっておけ。すぐに死ぬんだから!そのままにしておけ!」という怖ろしい言葉でした。

そのぐらい、姑が憎くて憎くてたまらなかった。
昭和41年9月、姑が亡くなりました。
正直、悲しさより「これでやっと解放された」の思いが大きかったのです。

私の夜叉の心でした。叔母とはいえ私の養母でもあった姑との確執。
ここで終わるかと思いきや、親子の確執は、私と長女みよの間にも生まれていったのでした・・・



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