大蒜の華(未完)

この物語はアホなひとりの男が、アホになりきれずにマジに生涯を賭け人生を走り抜けたお話である。

ある政治家が言うには「彼は若すぎたのだ」と。
ある美容院経営者は「彼は夢を追いすぎたのだ」と。
そして市井の老人曰く「彼は正直に生きただけだ・・・・」と。

今想うコト。
それは「K」、私は彼をそう呼ぶが、その「K」が死ぬ間際に遺した
「人生は最大の*アホ*ってことだ」というある意味、不明なword
の羅列が私の心を揺さぶった。その振動が正しい共鳴でありまた「K」に対する敬意だったのかもしれない。

平成二十八年九月。
彼は政権あやしいタイのプーケット島にいた。こじんまりしたホテルの一室から眼下に広がる山々海・・・・そして人々が生活しているウス茶けたビルやトタン屋根の街並み。そんな光景をtokyoの渋谷のように終わることのない性の営みとそこに映る己の人生を重ね合わせていた。
「チンポコ切るってやっぱヤバイかな・・・」「K」のことはよく知っていた。幼いころからどこか不思議なまなざしをなげかける、大人びた、いや、妖艶な子供であった。本人に自覚があったとは思えないがそんな「K」がいよいよここタイで、性転換すると決心したのは一か月前だ。

ONE MONTH AGO
新宿二丁目の裏通りを入ったところのいわゆるオカマバー
「kamatteネ」に入店して半年が過ぎようとしていた。ここではカウンターでオーダーをとり指名があればボックスに入るというシステムだ。
「マリチャンだめじゃないの、鼻糞ほじってばっかりじゃ。いつも言ってるでしょスマイルスマイル!」ややこしいが、マリとは「K」のことである。
「爪もちゃんとネイル塗っておていれしなきゃダメヨ。カウンターから出て積極的にサービスサービス、ね、ね。マリチャン」
「マダムわかっとるんですけど、よさげなおとこがおらんとですよ」
マリチャンこと「K」は鹿児島出身の19歳。彫の深い日本人離れした顔立ちをしていた。正面からはAKB、横からはモー娘という超アイドル風貌も手伝って五人いるオカマチャンのなかではダントツの人気であった。きつい鹿児島弁とアイドル風貌のギャップも人気を博し、いまや二丁目でマリチャンの噂をしないものはいないほどになっていた。

そんなマリチャンはいつも孤独であった。唯一心許せる友と呼べるのは、同郷鹿児島の「定男」であった。この定男はあとで詳しく語るが、農業が嫌で三年前に故郷を離れここ歌舞伎町でいかがわしい店の呼び込みをしている今である。

「Kamatteネ」閉店近くの夜中の三時。重い錆びた扉が開き、ヌッと酒くさい男の顔だけが現れた。
「カズおるけえ?」
「ヤダ、さだちゃんオモテで待っててよ・・」カズとは、またややこしいがカズヲであり「K」であり「マリチャン」である。
「まっとるんではよな」
「ホイ」

いつものように手をつなぎ「K」と「サダ」は新大久保まで歩いていた、と思う。
「カズ、おいらまた金なくなってん」
「サダまたけ!今月これで三十万やないのけ」
「黙らんかい!!!」
定男は怒るとすぐ手が出る、このときは足が出た。カズヲは股間をおさえのたうちまわった。
「おまんさあ、キン玉ないやろ、下手な芝居やめんか」
「まだついとるんよ、ホンマや」
「だからどうした、そんなもんとっとと取ってしまえ、邪魔くさ」

気がつくと「K」は上海経由でタイのプーケットに降り立っていた。タイで一番のオカマになろう、そう決心したのだ。かといって知り合いがいるわけでもなくお金も数十万くらいしか持ってない。そのお金でタマ切りと世界のオカマになる夢を追いに来たのだ。一昨日定男に蹴られた悔しさをバネに「定男には負けられん、一流のオカマになって蹴り返してやる!」

ほんとかどうか、こんなところが動機と言えば単純な衝動だったのかもしれない。

「K」は早速知り合いのカマ友から教えてもらったクリニックに行き手術の段取りをした。
薄暗い廊下を麻酔の効いた体で考えた。
「やる」
オペは思ったより時間がかからずすんなり終わった。

THREE  MONTH  LATER
「K」はプーケット一のニューハーフショーパブにいた。店内は煌びやかなミラーボールと特に白人男性でむせかえっていた。店の中央にはステージがあり程なくすると照明が落ちショーが始まった。華麗なラインダンスの大拍手とともに着物姿で現れた「K」にまぶしいほどのライトがあたった。その妖艶な美しさは東西を問わず世の男性を虜にする魔力があった、と思う。

話が駆け足になるが一年足らずで「K」は東洋一のニューハーフである新人類へと変貌していったのだ。何人ものパトロンが跪き、移動には自家用ジェット機という優雅な生活へと一転していた。
*******
その時の「K」の言葉は、
「やっぱチンポがないと動きがラクチンチン」である。
この言葉は「K」の生涯で一番のけだし名言であったはずだ。
       *******
日本に帰ってからの「K」は超美系ハイパーハーフ、SEXの枠を超えた美の極致を極めているようだった。毎日のようにTVでは「K」の活躍の場を映し出し、ある時は有名ミュージシャンとのコラボ、確か「RACKY CHINCHIN」というボサノバ調の曲が世界のビルボード連続七周一位という快挙を日本人として成し遂げ、映画では「カマキリ夫人」が大ヒット。バラエティーではその年のことば大賞に「やっぱないとラクチンチン」が入り、今や日本を代表するエンターティナーになっていた「k」であった。

A FEW MONTH LATEAR
その「K」が定男と数ヵ月後に再会することとなる。世の中どこでどうなるかなんて誰にもわからない。その頃の「K」は疲れていた。なにかに追われボロボロになりながら毎日をやり過ごしていたと思う。すでに定男に対する復讐など考える余裕さえなかった。自分自身を完全に喪失していたのだ。

定男は、といえば暑くむせかえる気温の中、汗びっしょりのランニング姿でひとり故郷鹿児島で、ご先祖様からの三反ほどの畑を錆びた鍬で耕していた。

世間的には過労による入院を理由に、「K」は事務所に無理をいい、心やすめのお忍びでマンハッタン島に来ていた。何も考えずニューヨークのダウンタウン行きの地下鉄に揺られていた。

定男はそこら中のミミズを片っ端から捕まえ、畑に投げ込んでいた。これがどういう結果になるのかなんてわからない。ただ、ただ大地と向き合っていたはずだ。真摯がもっとも似合わない男が、別のオーラを発し始めていた。

「K」は9・11のワンワールドビルを見上げていた。
「わっぜーふとかビルヂング!」「K」はスタッテン島巡りの船に乗り自由の女神に感動し、アップタウン行きの地下鉄で52番街まで戻った。辺りも暗くなり、ホテルに帰る前にひとりでレストランに入った。

定男は小さい西洋野菜に目をつけ、ミニ野菜を栽培しはじめ、ネットで販売を始めると意外に引き合いがあった。コマンチ野菜である。鹿児島弁で小さいという意味である。

ニューヨークのレストランで「K」はミックスサラダをオーダーした。
野菜不足を実感し、少しでも自分へのいたわりをしてみたかった。
サラダだけで二十ドル+サービス料+税金。一皿に日本円で三千円近くを払った。
*****
別段「k」にはどうでもいいことで俯瞰者のワタシが気になった。
        ******

定男は今日もモクモクと鍬を振るった。お金ではなく自分のために鍬がある、そんな感じだったか。たまに股間が蒸れてウズウズする。そんな時は飲みに出る。そして朝が来る、新たな生命が呼びさまされる。

「K」は早朝セントラルパークでナンパされる。
「アナタハウツクウシイ」ジョギング中、車椅子の80歳らしき男性である。「k」は、三晩彼との生活を楽しんだ。この時「k」の脳裏には「ラクチンチン」がよぎったが同時にさびしい股間にも手をあてていた。

定男は糖度の高いチンゲンサイを模索していた。名付けて「コレデモチンゲン」である。

「K」はJALでケネディ空港から成田へ向かっていた。所要時間十二時間。無論ファーストクラスである。アイマスクで眠りに就こうとしたが、CAが日本語で
「お客さま、コレデモチンゲンご存じでしょうか?」と問いかけてきた。

定男は気温が緩んだ三月にコレデモチンゲンから更に糖度の高い「オカシ菜チンゲン」をイメージしていた。畑でそのままデザートになる野菜。チンゲン菜のトウ立ちから糖度の高い泡をふきそれがそのままデザートになるイメージ。問題があった。雄花の花弁の根元を切り花粉の性質を変える作業・・・。

「K」はコレデモチンゲンを口にした。この香りはなんだろう・・・・。
「懐かしい味がする・・・・」CAが
「お味いかがですか?パイロットのアダムスが鹿児島の道の駅で見つけたみたいで、大好きなの彼これが・・・フフ」
「K」は理解した。これは確実な結晶の味なのだと。
「K」に変化が起こったのはこの瞬間だ。

定男は地元で唯一のオカマパブ「オシャベree」にいた。
下半身もろだしで、あそこにチクワを差し込みマイクを握っていた。
いつものことだ。腰をフリ振りいつものメロディーを絶叫していた。

♪見果てぬ夢を追いかけて、果ててしまったアホなオイラ♪
♪どこにいたっておなじこと、オイラはぼくでありたいだけさ♪
♪だけど世界が許さない♪
♪リセット直前、ぼくを知れば、オイラが僕と知るだろう♪
♪ちんちんちんちん、チンゲンサーイ♪

いつものようにチクワをさらに深く納めた。

「k」は成田から都内へは戻らずジェットスターでそのまま鹿児島へむかった。なぜそうしたのか?本人にもわからない衝動であった。
慌てたのが「k」のマネージャーである。帰国以後「K」のスケジュールは分刻みで構成されていたからだ。「k」の携帯が鳴り続けた。

定男は二日酔いの頭をたたきながら軽トラックに乗り込んだ。
「やべ、飲酒でつかまるかな」定男がこんなに飲んだのは久しぶりである。昨日は意識がなくなり、気が付いたら汗臭いベットで起き上がっていた。あわてて竹輪を抜き取り立ち小便をした。竿の根元に痛みが走った。
*****
世の中に、なにかの予感というものがあるとすれば、それがその瞬間だったのかもしれない。いきていれば、一度くらい予感というものを感じても不思議はない。
         ******   
「k」は鹿児島空港からレンタカーを借り、気ままなアバンチュールを決意した。それはカズヲ、マリコ、「K」という混在した己への回帰だったのかもしれない。

定男は露地栽培でのオカシ菜チンゲンを模索している。糖度を上げるには気温であると。自分の身を守るために糖度を上げて防衛する。だからマイナス温度帯が必要である。人間はアホな生き物で寒いと暖房を入れる、それが正しいか?もしヒトが植物と同じ感性を持つなら寒さに迎合し喜びという糖度、歓喜という糖度を増せるのでは。定男は二日酔いの頭の片隅にそんなことがよぎったかもしれない。定男は生きる優しさを感じながらゆっくりと双葉のチンゲンサイを撫でていた。

「k」の逃亡はマスコミの餌食になり、どこにいるのだ「K」は!になった。連日レポーターなる人物が全国を駆け巡り、ネットでも呼びかけが行われた。懸賞金まで現れる始末であった。

そんな「K」はといえば鹿児島での温泉旅行に興じていた。あえて故郷の大隅半島に向かわず薩摩半島を目指した。
すでに「K」はみごとな角刈りオッサンに変身していた。もともと着飾る性格ではなく心が乙女チックなだけで本人も股間がすっきりしていればそれでよかったのだ。
お昼の定食屋でかつ丼をほおばっているときテレビのワイドショーでは「K」の失踪騒動が面白おかしく流れていた。
「どこいったんかね」痩せた店主が何気に角刈り「k」にふってきた。
「だれたんね」だれるとはカゴマベンで疲れるの意味であり久しぶりに使ったカゴマベンであった。「K」はすっかり工事現場のオッサンと化していた。
「でもおにいちゃん、もしさ、おにいちゃんが「K」だとしたらさ、仕事ほっぽらかすかい?」
「するする、ゼッタイダガネ」
店主は「k」には眼もくれずテレビに見入っていた。「k」は代金を払う前に厠に向かった。
「にいちゃん!そこ女子トイレ」

その夜も定男はオシャベreeにいた。
無論定男の失踪の件は知っていたし、蹴りあげた右足の感覚もまだ残っっている。深くを考える性格ではなかったため「アイツはそういうやつ」と一蹴していた。店内でも「K」の話題はもちきりで、
「「k」ってさ、鹿児島出身なんでしょ、スッゴーイ。鹿児島の誇りよね、さだちゃん」
「しらねーよ、あほくさ。それよりチクワ用意しとけ。今日も歌うから」
「ウレピー!さだちゃん」
閑散とした店内ひとりきりのコンサートが今日も始まった。

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「K」は子供のころ親に一度だけ連れてきてもらった記憶がある。大隅半島から薩摩半島鹿児島市内まではフェリーを使って一日がかりである。子供ながら農家の親が鹿児島市内まで行くのは大変だったに違いない。連れてきてもらった感覚もいまやおぼろげだが、ただそこで食べたパフェなるものは彼の生涯の糖度の記憶を決定づけるものであった。
        *****
「K」は桜島が一望できるS観光ホテルに逗留していた。
角刈りにニッカボッカの日雇い労働者風な男が鹿児島一のホテル朝食バイキングに混在している。つるはしがあれば完璧だったかもしれない。黒服のフロアーマネージュアーは困惑していた。ほかのお客さまに迷惑がかかった瞬間の捕獲の体制を敷いていた。そんな予想に反して「k」は大はしゃぎ、角刈りオッサンが小指を立てデザートに猛進する姿を目撃した。

定男は朝かふらふら状態でJAの課長と面会していた。
「だからこれからは、あらたな発想と商品開発なんですよ!」
「定男さん、それはよーーーくわかる。でもチンゲンサイがデザート菓子になるなんて、ありえないんじゃないけ」
「なります」
「根拠は?」
「オイラの想いです」
「それはないでしょ、あほくさ、なんとかチンゲンが少し売れたからってチョウシこいてんじゃないんですか」話は平行線である。コレデモチンゲンが売れているといってもごく僅かで到底生活できるレベルではない。定男はみんながもっと喜ぶ商品を育てたかった。それがオカシ菜チンゲンである。ほ場の整備など大幅な土地改良を含め問題は山積で、夢物語ではあるが、チンゲンサイの花芽がチョコレート、花弁が生クリーム、葉の部分がサクサクサクのシュー生地をイメージしていた。

「k」のひとりアバンチュールは続いていた。やはりツルハシとヘルメットと軍手があればいいと思い道すがらホームセンターで買いそろえていた。もともと運転が苦手な「k」はレンタカーを乗り捨て、専属タクシーに切り替えた。
「だってラクチンチンなんだもの」
もともと質素な「k」であったが、今回はアバンチュールなので自らドライブにいそしむには限界があった。お金に困っているわけではないので観光ジャンボタクシーなるものを一週間ひとまず借り切った。快適なハイエースは指宿に向かっていた。
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定男が帰郷したのにはそれなりの理由があった。東京での生活に限界を感じ自分らしく生きようと決心した時、子供のころあれほどいやだった故郷の畑の光景が浮かんだ。農家、ダサイ、つらい。自分もそう感じていた。都会で媚を売り精一杯生きている自分は自分らしくない。葛藤がよぎる。そう感じる事件が起こったからだ。
      *******
昨年の午前一時、サダオの携帯がなった。
定男は新宿の「呼び込み野郎」コンテストで金賞候補に挙がったようだ。
「サダオサンデスネ、オメデト、アンタガユウショウ。30マンフリコメバアンタガ大将」プツリと切れた。
「なるほど、わかった」至極冷静になった初めての定男であった。

翌日彼が東京を離れたのを、目撃している。

「k」は薩摩の溶ける景色を眺めていた。なにかが溶けていく感触。それがなにかわからない。でもトケル感触を味わっていたのは間違いない。ジャンボタクシーは確実に国道を南下し、指宿温泉街に到着した。「k」はまず砂蒸し温泉を体感した。スコップで海岸沿いの熱い砂で体を覆っていく・・・。キモチイイ。でもスコップなんだから農業なんけ?。不思議な感覚が脳裏をよぎらないで、風や温度が、なくなった司令塔を揺さぶった。だから感じられる想い。感性と想いは矛盾を繰り返す。指宿の砂粒は生命の温度体であり、スコップ扱うおばちゃんはその神なんだ。ふーん。そう考えれば人生「やはりらくちん」

定男は行政関連に失望し、「克己」という世界を覗こうとしていたに違いない。でも西洋でいうアイデンティーは通用しない。いうなれば
「偽サムライ」であったか。

挿入モード
*******2017年2月22日:俯瞰的己
外は雨、俯瞰者のワタシごとになるがあの時は珍しく雪が降ってたっけ。
*******

定男は必死になっていた。オカシ菜チンゲンを完成させたい。何のためとか、じゃなく。もう、己のためのような気がしていた。具体的に何が進んでいたわけではない、来る日もオカマバーで飲んだくれる毎日だ。なにかが見つかる、そう信じていた。

「k」は、性格的なものもあるが、そろそろひとりアバンチュールに飽きはじめていた。同時に、世間でも「K」のことは忘れ去られ、話題に上ることもなくなっていった。
「ヨシっ!大隅半島にもどろう」ジャンボタクシーは踵を返し、開聞岳を後にした。

定男は完全に行き詰っていた。イメージばかり先行して先に進まない。それを紛らわすために酒を飲む。もともと無理な想像から始まった企画なのだから・・・・・・。

その夜、突然目が覚めた。

「ん!オカシイナ・・・菜チンゲン、まてよ、マテヨ・・・・」

これって、カズヲじゃないけ!すべてのイメージがスクロールし、定男の股間を不規則な重力がまさぐっていった。

「k」は大隅半島二番目の人口10万の地方都市に到着していた。タクシー運転手とはすでに1カ月近くのお付き合いになり、ジャンボタクシーの運転手も「k」に感化され、角刈りにしていた。
「キャー!ステキ!そのエリモト。ねえ、舐めてもいい」
「よかったえば、ンダモシターン」二人のはしゃぎっぷりは常軌を逸していたと、思う。オカマ角刈りオヤジが二人。いちゃいちゃのふるふるのめにょめにょのハレハレってカンジだった。ジャンボタクの彼はそれほどジャンボでなく全身は見事な剛毛で覆われている、いわゆる毛ガニ状態であったはずだ。

カーラジオからこんなCMが流れていた。
******
M モーツアルト流れる
Na「大隅の大地がはぐくんだ、渾身の一滴。身の毛もよだつウマサ
   ここにあり」
     SE トクトクと焼酎がそそがれ、チンと氷の鳴る音
Na「本格焼酎 角刈り」
      *******

定男の無重力状態はしばらく続いていた。おしゃべreeにも通わず何かに執り付かれたように大地と向き合っていた。心の隅っこの自分が叫んでいる。カズヲが・・・・イテクレタラ。

「k」と毛ガニの旅はさらに深層に向かって突き進んでいた、と思う。
精神オカマにまい進し、心の隙間をなにかで埋めようとしていた。行動力のある「K」はすでに修繕されたモンコを開いていた。

ある晩、定男は久しぶりに農家の仲間と飲みに行こうという誘いがあり、仲間の一人があのパブ最近評判だから行ってみようと言い出していた。断り切れず定男も合流することになった。半年ぶりのオシャベreeであった。
店のドアーを押しあけ久しぶりにいつもの席に座った。まだほかの二人はきていなかった。見渡してみると店内の照明や配置はまったくかわっていなかったのだが、何かが違う・・・・。久しぶりのマチコおねえが
「さだちゃん、ごぶさたじゃないのー、元気してるの?」の声。
久しぶりのシーバスリーガルをロックでいきなりあおった。
「飲みっぷりは相変わらずねサダチャン、あそうそうサダチャン紹介するわよ、新人のカニッコちゃんとカクガリちゃん、かわいがってね」
ふたりは、よろしくおねがいしまーす、とお辞儀した頭を持ち上げた。

「ああ、あ・・・・!」
定男は全身が溶けだしていく感覚を味わった。

「ほほっほ・・・!」
カズヲこと「K」、「K」こと今のカクガリちゃんの目にはみるみる涙が溢れだしていた。

二人とも以前の東京でのいきさつは公にしておらず、いまさらこの場で二人で再会を懐かしむには、いろいろなことが起き過ぎていた。その時店内のドアーが開き、農家の松尾と武雄がはいってきた。丁度助け舟の二人となり、ボックスは新人のカクガリちゃんとカニッコちゃんが入り五人での「飲んかた」が始まった。松尾がぶすっとした顔で「いくらなんでも角刈りオカマはないんじゃないけ!」少し酔った武雄も「ひょうばんだっつーからきてみりゃ、なによ」
そんな雰囲気など全く意に介さず二人の新人オカマは「フォーチュンクッキー」を熱唱していた。店はほぼ満席でオカマチャンのチェンジなどできる様子ではなかった。定男たちのボックスはバツの悪いお通夜のように静まり返り、水割りの氷のはじける音だけがテーブルに共振していた。

暫くするとショータイムがはじまった。

******
たしか内容は、オカマになりたい工事現場のオッサンがある日、
「バリカン魔王」と出会う。
「ならば望みを半分だけかなえてあげよう」
「それじゃあ、最高のオンナになってみてえ」
「わかった、今晩夜の12時までお前の望みを半分だけ叶えてやろう
しかし十二時前に戻れなかったら角刈りや、いいな!」
こんな感じだったと思う。
******
実際舞台では、ツルハシで汗をながしているおっちゃん「K」が、マンホールにおち、出てくるとオンナに変身しているという安易な設定であったが・・・・・。
マンホールから這い上がってきた「K」は見事な雌豹に変身していた。

金髪のウイッグのせいだけではないと思う。魔性のあの、世界の「K」が蘇っていた。店内の野郎どもは微動だにできなかった。その美しさ、身のこなし、発せられるオーラに一瞬にしてヤラレテしまった。ショーが終わると魔法から覚めたように店内に息吹が流れ込んだ。
「あれって昔のホレ、あのなんだっけ、そうそうテレビとか出てた「k」とかいうカマッコでなかか?」だれかが思い出したようだ。しかし、まさかこんな場末のカマパブに世界のスパースターがいるはずもなくだれもが幻想と一蹴していた。

その晩から定男は眠れなくなった・・・。
矢も盾もたまらず昨日はパブの前を何往復もしていた。だが、中に入る勇気がない。数日が過ぎ、酒の力をかりて再びオシャベreeの前まで来ていた。その日は勇気を振るい、おそるおそる定男は軽いアルミのドアー引き開けた。
甘い香りがし、時間が引き戻されたように感じた。
一呼吸入れたが、反射的に「?カズオおるけ?」そんなことばがついて出てしまった。
スゴイ永い時間が過ぎたように思う。

一瞬二人の目が逢い、空間は、あっという間に常温で溶けだした。

「ヤ、ヤダア・・・!、サ、サダチャン!・・オモテデマッテテヨ・・ハヤビケスルカラ」

東京ではいやというほどの毎日を過ごしてきたシーンが蘇った。これは夢ではない、片田舎の現実のできごとなのだ・・・・。おもてでまちながら何回もほほに平手打ちをし、酔いを覚まそうとしていた。

二人は若干の距離をとりながら閑散としたアーケードをあてもなく歩き始めていた。ときより豚骨の匂いが鼻をくすぐった。

「おれまた金なくなってん」
「これで今月30万円やないの・・・」
カズヲの目から涙がこぼれおちた。
「・・・ひさしぶりだな」
「怒らないの?私の股間を蹴りあげないの?ツマンナイ・・・復讐にならないし・・・・」
ことばが終わらないうちにサダオはカズヲを力いっぱい抱きしめていた。カズヲの真っ黒なショートボブのズラが落ち、角刈り頭が現れた。角刈り魔王の予言は正しかった。深夜一時。
「アタイ、このほうがいまは正直に生きられる」
「角刈りがイイ、カズはそれでいい」

こうしてサダオとカズヲはここ大隅半島で新たな生活に入っていった。
二人とも30歳少し手前の年齢であった、と記憶している。

THREE  MONTH  LATER AT OOSUMI
いささか暴力的だったサダオも改心してか、この大隅の大地がもたらした恩恵かわからないが穏やかな人間へと静かに変身しつつあった。一方カズヲは相変わらずノーテンキな自由度でここ大隅と同化していた。この二人の生活はなんていったらいいだろう、freedom?解放と弛緩のような雰囲気が漂い始めていた。いい意味での「ことば」を探すには難しいような世界があった。
「縛られない生活がしてみたい」カズヲの想いであった。
「でもさ、現実的にはなあ・・・」
「こう見えてもアタイはLOVEマシーンなんだから」
「いい性格してるよカズは、爪の垢でももらいたいくらいだっつーの」
「精神の貧血は悪ナリ」
こんな二人だけのやりとりが、あったはずだ。

FEW DAYS LATEAR
サダオの畑の横の雑地に大型のトレーラーハウスが入り、すべての生活用品がすぐにカズヲによって整えられた。この生活では、二人の中に暗黙の約束事が出来上がっていた。
*****
美しく生きるコト
    *******
サダは以来酒をピタリと止めており、毎日トレーラーハウスから目の前の畑へとまっすぐな意識で直行していた。夢見るオカシ菜チンゲンの開花をめざして。
カズヲは畑にはあまり興味がないのか毎日を楽しむための雑貨やらなんやらを買い足していた。例えばトレーラーハウスが無機質なので周りを観葉植物やグリーンカーテンで覆ったり、また屋外でも食事や午睡がとれるようアラビアの王様が使うような豪華な施設も準備していた。
それだけではない、ため池と称して贅沢なジェット付のプールまで作
ってしまった。数ヵ月後には、クルマはポルシェとフェラーリ、近くの海岸にはクルーザー、市内の空港には自家用ヘリコプターまで用意されていた。驚いたのはサダオより周りの住民である。中心街から20キロほど入った限界の山村とはいえ、県道も近くを通っておりこのウワサは人口10万人都市ではアッという間に沈黙的に広まっていった。
「やっぱ、便利はらくちんちん」カズヲは生活を楽しんでいたに違いない。サダオはそんなことには興味がなく、頭は依然オカシ菜チンゲンでいっぱいだった。カズヲとの生活が生物的共鳴のような何かを勃起させていた。

一台のダイヤル式の黒電話が鳴った。周りには大勢の子供たちがはしりまわっている。
「はい、たんぽぽ苑です、モシモ、モシモ」
「・・・久しぶりです。園長、オイラです。カズヲです」
「え、カズちゃんけ!ほんに元気しとる。ちゃんとご飯食べてるけ」
「はい。園長。オイラいま大隅にもどっとるんです」
「あちゃー、カズちゃん、んだもしたーん」
「で、こんど遊びに行っていいですか」
「いつでも、よかよ、まってるからね、んだもしたーん」
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子供のころ、和夫は家族で鹿児島市内のパフェを食べたあと、程なくして両親を亡くし、その後養護施設たんぽぽ苑で育っている。園長の菊池さんは恵まれない境遇の子供たちのため私財をなげうって奮闘している仁徳者であり、カズヲがこんなにもノーテンキで生きてこられたのも園長のおかげである。和夫は18歳の卒園とともに、東京の下町の工場に就職が決まり上京をするが馴染めず、必然的に新宿に吸い込まれていった。以来、実に十年ぶりの連絡であった。
       ******
その夜、畑のプールサイドでシェリー酒を傾けながら夜が過ぎていった。
「カズ、きょうな、オカシ菜チンゲンがトウ立ちしてな、カズが言うようにオシベを切り取って、イチゴとサトウダイコンの花粉をメシベに刷り込んでみた。堆肥にはたっぷりカカオを梳きこんだ。少しだけどな粉ふいてるみたいだ。楽しみだ、開花が・・・」
「よかったね!オメデト。・・ところでさ、サダ、明日時間ないけ、アタイたんぽぽ苑に顔出そうと思ってるんだ。サダも一緒に来ておくんなまし」
「いいけど、なんでおれも?」
「園長にサダを紹介したいのよ、バカ」

たんぽぽ苑はバイパスから小路にはいり、中心街から少し離れた閑静な場所にある。お土産に20名いる子供たちのためにたこ焼きをたくさん買い込んでいた。二人を乗せた真っ赤なフェラーリは砂利が敷かれた駐車場に滑り込んだ。オモテで遊んでいた子供たちは一瞬固まり、男の子は大きな歓声を上げながらフェラーリを取り囲んでいた。
「うわー!わっぜかクルマ!」
「ワッゼー。空飛べるんじゃないけ」
「飛べる、トベル!」
ガルウイングのドアーが天高く上がり、エンジンが止まった。女の子が今度は取り囲み
「女優さんとマネージャーやないけ?」
「スッゴーイ、サインもらおうよ」

サダは頭を掻きながらグラサンを外し
「俺マネージャーじゃあじゃねえし」
カズはショートボブのズラ、シャネルのドレスで降りてきた。子供たちは一瞬後ずさりしながらも恐る恐るカズヲにいや「k」に近付いてきた。
「みんなにお土産よ!最高のタコヤキちゃーん」
子供たちは大喜びでお土産袋を奪いあっていた。

自分もそうだった・・・・・。

事務所から菊池さんが怪訝な顔で出てきた。
「あのう・・・。どちらさんですか?」
「菊池園長、オイラですよ、おいら」
「k」は顔を園長に近付けてみたが、海老ぞりながら園長は三歩さがった。マル眼鏡を外したり掛けたりしながら、カズヲに近付いて
「ンダモシ!カズけ、え?え?ヒエー!」
「そうよ、園長先生。ご無沙汰デース」
「しかしながら、しかしながら・・・」園長はことばが見つからず、しどろもどろになった。
「オイラ、オンナになってん」
「ほ、ほんとに、あのカズけ」
「そうよ、疑り深いんだからモウ!」
「か、かあさん!カズが帰ってきた!きた!」エプロン姿のケイコさんが手をふきふきでてきたが「k」をみてそのまま失神してしまった。


ONE YEAR LATER
オカシ菜チンゲンはもう一歩のところまで来ていた。あと、糖度2度、
葉緑葉部分のサクサク感があれば完成に近づく。
この一年で二人の生活も変化していた。カズヲは角刈りからセミロングの三つ編みに変えており、生活圏では畑を買い足し、馬、牛など草食動物を飼いだしていた。サダオとの関係も良好でカズヲはあくまでサダオのアドバイザー的存在もしくはプロデューサになっていた。例えばサダオの畑仕事のユニフォームはカルバイクラインの特性ツナギ、日よけ帽も長靴も軍手もすべてDCブランドで固められていたように。スタッフも20人雇い、畑から家事まですべて彼らがやってのけてくれたのはありがたかったに違いない。すべてのスタッフはカラフルなたんぽぽ苑の子供たちでなりたっていた。

無論二人の約束事もきっちり守られていたはずだ。

ある日カズヲは一通の国際郵便を受けとる。差出人はバルセロナ、
joan quijote市長からだった。
「シンアイナルミセス「k」ヘ。ワタシドモハライゲツ、セイドウイツセイショウガイノセカイシンポジウムヲ、ココ、バルセローナデカイサイシマス キジョニゴサンカイタダキタク オテガミト コウクウケンヲオクラセテイタダキマス オアイデキルコトヲタノシミニシテオリマス joan」
「?」
「どうしたんカズ?」
「これみてん・・・・」

イベリア航空のファーストクラスなどサダオは乗ったことがないどころかこれが人生初の海外旅行でもあった。借りてきた猫のようにそわそわといごこちがわるそうであった。カズヲはそんなサダオを内助の功よろしくかいがいしくサポートしていた姿がほほえましい。
「カズ、飛行機落っこちないんけ、大丈夫け」
「サダチャン、ダイジョウブイ」
二人は新婚旅行よろしく、紋付き袴のサダオと万葉集から抜け出たような振袖のカズヲはひと時の幸せを噛みしめていた。お腹いっぱいの機内食をたいらげ、ひと眠りしたら飛行機はすでに滑走タイヤを下しているところだった。イミグレーションは混んでおり、大きな荷物を抱えた和装の二人は空港で異彩の光を発していた。
「シンポは明日だから今日はホテルでゆっくりしようねサダ」

翌朝フロントに降りて行くとすでにお迎えのものが二名待機していた。
「senora [k] la verda?」(「k」様でいらっしゃいますね)
黒塗りの高級車は会場めがけて走り出した。

総勢千名の歓迎の拍手のもと着物姿の「k」はゆっくりとしゃべりはじめた。
「私は、幼い時に両親と死に別れ孤児院で育ちました。幸いいじめにあうことも社会からの疎外もなく何の分けへだてもなく今まで自由に生活をすることができています。それはたんぽぽ苑という素晴らしい施設での暖かい教育をいただいたからだと心から感謝しています。自分がなんとなく男性を意識したのは施設を出てすぐでしたが・・・・・。
AHAA!ムズかゆい、痒い!
こういうしゃべり方はアタイらしくないんで変えマース。
アタイは自分が性同一性障害でもそうでなくてもどうでもいいかな。
みんなさ、おとこでもおんなでもいいじゃない、いきてりゃいいじゃない。そりゃみんながオカマやゲイなんかの同性愛に偏見を持たない世の中が来ればいいよ、でもこないわねキット。本能として子孫が遺せない状態はDNAとしては拒絶があるのよ。それはわかる。でもアタイにはどうでもいいこと。だってアタイは「ココロ」。愛で生きてるからね、損得のない無償の愛なんだよ。これから世の中を変えていくにはアタイタチのこの愛の結晶が必要なんだ。だからみんなで愛をかたっぱしからばらまいて性別や国境や人種を超えた世界をつくりたいよ。みんな深く考えないで、アホになりましょうね。眉間にしわ寄せてこんなチンポやったって意味ないよ。いや、シンポね。それよりここは国際お見合いパーティーなんだから楽しくね。楽しくなければカマ人口増えないし、優雅に煌びやかにいきたいわ。アタイはもうアソコはとっちゃったけど女性になりたくてとったわけじゃないの、単純につかわないブラブラしたものが邪魔でとっちゃったのね。Ahahaha!!。親知らず抜くのといっしょかな。さあ、みんな、愛の種をまいちゃうよー!いいですか!
!vamos!
さながら会場はコンサート会場と化していた。
“life is raku chin chin”
「k」がLIFE IS RAKU?と掛け声をかけ右耳に手をあて会場を促すとCHIN CHIN!!の大合唱。
”life is most aho”
LIFE IS MOST?瞬間ホテルが揺れるほどの音量で

「AHO AHO アホー!!!!」

アトラクションで控えていたオーケストラのコンダクターがつられて思わず指揮棒を振ってしまい大演奏が始まった。「k」は合唱に合わせて着物姿で勝手に踊りだしていた。知ってか知らずか、ここスペインではチンチンは乾杯、発音でのアホ(AJO)はニンニクの意を持つ。
「アホデチンチン」は大受け、SNSでの拡散も手伝い「k」の舞踊とともにあっという間に世界へと伝搬してしまった。これは閲覧回数の記録をやぶり、三日後にはアフリカの山奥でも「アホデチンチン」を知らぬ者はいないほどで、挨拶がわりにこの言葉が使われていたりしたとあとで聞いた。

三日後、二人はぶじに鹿児島空港に到着した。カズヲは角刈りにだぶだぶのニッカボッカ。サダオも無精ひげを伸ばしスペインの闘牛士の衣装をまとっていた。アッケラカーンの晴天であった。
「あー、やっぱ鹿児島落ち着くね」
「ああ」真っ赤なポルシェは闘牛のごとく九州自動車道をかっ飛んでいった。だれも止めることが出来ない速度で・・・・。

A YEAR LATER
たんぽぽ苑のガキ大将おさむが駆け込んできた。
「サダさん、できた、できたよ!」土のついたサンローランの手袋の上には見事に結実したオカシ菜チンゲンが握られていた。宝石かとまごうほどの輝きと甘い香りを放っていた。

みんなの笑顔と、その香りを今でも忘れない。

みんなの楽園は「AJO DE CHINCHIN」と呼ばれていた。
その後オカシ菜チンゲンは爆発的ヒットとなり、地域に活気が戻った。
カズヲの旗振りのもと、あれほど非協力的だった行政も一変して仲間になり、役場には地域創生を目指す「CHINCHIN AJO DEっ課」が新設され、特任でスペインからRODORIGESがやってきた。フランスからはMICAERAドイツからはLAURUアメリカからはBOBタイからはPONPA.。
特任選考はたんぽぽ苑に入って一カ月間生活を共にし、たんぽぽ苑の子供たちから選ばれたものだけが残れる流れである。偶然か否かわからないが特任となった面々は全員なんらかの障害を抱えていたのだ。応募数はゆうに千人を超えていたと記憶している。
ある晩耳に障害をもつRODORIGESが星空に向かってギターをつま弾いていた。その音色はカズヲの耳元で微妙な不協和音に変わっていった。

THREE YEARS LATER
「AJO DE CHINCHIN」は頓挫しかかっていた。あのアホのサダオがやらかしてくれたのだ。一昨年から入園した中国人キョンさんとできてしまったのだ。カズヲは疑うことを知らない。疑うという学びをしてこなかったのだ。それはたんぽぽ苑の菊池さんの教えでもありそれを貫いてきた純粋な「K」がいたからだった。むろん「AJO」の仲間も同じ感情で生活を共にし、深い絆をつくりあげていたはずだった。
経理を任せていたサダオはキョンに資金を吸い取られるハメになっていった。

ONE YEAR AGO
キョンさんは、入園半年でサブリーダー的な存在になっていた。
たんぽぽ苑の子供たちや仲間からも評判がよく、いつもニコニコで困った人をみれば自分のことは差し置いて駆け付けるような25歳の女性であった。しかしサダヲはキョンに一抹の何かを感じていたのだ。
それは、彼女がオカシ菜チンゲンの管理に入ると必ず翌日に萎れてしまうのである・・・・。ある日
「サダオシャン、ハハが上海で交通事故で意識不明。ワタシ心配」
頑張っているキョンさんに同情し急遽サダオは航空券を手配し彼女を上海の病院まで連れて行ったのだ。上海の街並みはどこかヨーロッパを彷彿とさせ、かつアジアの猥雑ないやらしさと都会のセンスを持ち合わせていた。キンポ病院までは空港からタクシーで向かった。
車中涙を流しながら、一点を見つめたままサダオの手を握っていた。
「アリガト、サダオシャン」
「困った時はお互い様。家族なんだからね、心配ない。おかあさん大丈夫だから」
キョンのおかあさんは個人部屋で酸素マスクと無数のチューブで繋がれていた。泣き崩れるキョンをサダオはしっかと受け止めていた。
看護師らしき怪しい男がなにかキョンに話しかけていたが意味はわからなかった。キョンは泣きはらしたうつろな目で母親の呼吸を確かめていた、と思う。暫くすると親族かと思われる面々が次々にお見舞いに訪れては泣き崩れていった。感情の伴わない豪快で大陸的な泣き方にサダオは圧倒されていた。
「サダオシャン、ワタシ覚悟できた。日本帰ります」
「え?キョンちゃん、二、三日は母さんに付き添ってあげなさい、僕は大丈夫だから」
「サダオシャンをみんな待っている。私のために時間とるよくないこと」
サダオは押し切られるカタチで、航空券の日程変更を行い、夜遅く鹿児島に戻ってきた。帰りのポルシェは大雨に見舞われ、締め切った窓の隙間から雨水が車内に侵入してきた。
「サダオシャン、お願いがあります。病院代貸してくれませんか?」
「あ、ああ。いくらぐらい」
「上海の病院高い。50マンいる」
「わかった。出来る限りはするからね。心配イラナイ」
「ああ、たすかります、アリガトゴザイマス」
カズヲには夜、上海での一部始終を語ったが・・・・。お金のことはいいそびれてしまった、というか過去の定男の負い目、お金にだらしない自分を認めたくなかった・・・・。
「そーか、サダ、いいことしたんだね」カズヲの励ましが心に突き刺さったままいつまでも抜けなかった。

それからもキョンからはお金の打診がたびたびあった。そのたびにコンビニのキャッシャー支払限度額まで引き去った。無論このお金はAJO苑のものであり、スタート時にサダヲがポケットマネーから出した五千万円である。オカシ菜チンゲン発売以後農園も順調で資本金はスタート時まで盛り返しているはずだったが、すでに預金は二桁まで降下していた。
サダヲがたんぽぽ苑のパーティーで遅くなった晩にキョンがサダオを訪ねていた。
「サダオシャン、オカネありがと。母もだいぶ良くなってきました。でも、でも、ワタシ借りたお金どうやってかえせばいいのかワカラナイ」
「キョンチャン、ゆっくりかえせばいいよ」
キョンはサダオに抱きつき泣きだした。胸のふくらみが自動的にサダオオを勢いづかせサダオはこの時純粋なる童貞を亡くしたのだ。ほんもののオンナを抱いてしまった。以来、カズヲとの関係がいささかぎくしゃくし始めたのも頷ける。

数日後キョンはみごとに消えた。預金もこれまた見事に消えた。
「サダさあ、みんな頑張ってくれてるから全員で慰安旅行でもどうかしらね」サダヲが伸ばした髪をときながら言ってきた。
「で、どこ行く?」一瞬不安がよぎった。
「そうね、プーケットでも行ってみますかあ」
「あ、ああ・・・」
「最近売上伸ばしてるからみんなにもボーナスとバケーションをプレゼントしましょう、ネ」
昔カズヲが「k」時代にしこたま稼いだ金はAJO園の初期投資やら運転資金ですでになくなっていたはずだ。カズヲはあるなりの生活で満足できる。だが今回は次元の違う謀反行為だ。なんとかせねば、サダオは焦った。まだサダオはこのときアホになりきっていなかった。それが災いしたのだ。
「サダにおかねのことはまかせちゃったからね、アタシはスケジュール組んどくから。そーね、来月あたりにしましょう!」
総勢30名の旅行かあ、いるなあコリャあ、とサダオは一人ごちていた。
「あとさあサダ、ここになにか、うーん・・・、たとえば音楽のようなものがあふれ出るといいね、最近カンジルんだナあ」すでにサダオにはその言葉はとどいていなかった。

ONE WEEK LATEAR
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告知
「第一回CHINCHIN FESTA開催。参加自由。夜七時から始まります。みんなオフンドシをしめましょう。カラフルに食い込むオフンドシ。軽食と飲み物はこちらで用意します。家に楽器のある人は持ってきてくださいね。みんなでアホになりましょう!」
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誰も来ないと思われたこのFESTAは意外にも盛況であった。車椅子の老人たちはみごとなオフンドシを締めまわしていた。ばあちゃんたちもちょっとおしゃれに大島紬で決めてきた。手には鍋の蓋だの、木魚など音の出るものはこれでもかといわんばかりにてんこ盛りで持参していた。養護施設からもふだん表に出る機会の少ない重度利用者も参加していたのがウレシイ。彼らは手造りの貝殻カスタネットを奏でていた。特性黄金オフンドシが気にいったようで、おもわず踊りだす若者もいた。さながら彼岸あとの盆踊りのようであった。
♪アホデチンチンフンドシ締めて
♪あーほ、あほあほこれでもか
♪アホデチンチンフンドシしめりゃあ
♪あっというまにあほ、あほあーほ
♪アホデチンチンフンドシとれば
♪あっというまにもろ出しだあ。
サダオは遠巻きに聴き眺めながら、無意味なフンドシを締めなおした。
「ヨシ」

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ひとまず作品ここまです。

賜読ありがとうございました。もしこの続きを読みたいと思われる方がいらっしゃいましたら書きます。小生臆病な生産者でございます。


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