空は青く

この感じ久しぶり

かたい畳の上で起きる

まぶしいひかりが目にしみる

おばあちゃんは朝ごはんをつくっている

うすい塩かげんの卵焼きとそのままの味の豆

おきたらトイレにちょっこうしてじょぼじょぼ

そのあと足の長いテーブルの周りに4つあるうちのひとつにすわる

あ、そのまえに弟をおこすんだった

しかもそのあとは食卓に着く前におじいちゃんとラジオ体操をおどるんだった

でも今日はなんか違うらしい

おじいちゃんがラジオ体操をおどらなくなったからそんまま朝ごはん食べろと言われた

ハエがたかるのをおばあちゃんがはたく

朝ごはんにしておかずが5種類くらいある上に、刺身がその一つだからもう「朝ごはんだからこう」とか「昼ごはんだからこう」とかそういうのは関係ないらしい

ごはんが終わったら

おじいちゃんの自転車の後をついて牛小屋に行く

もう2頭しかいない

昔は牛小屋のはじからはじまでいたのになー

ぞうりにうすちゃいろのどうろは僕にとってここの象徴みたいなもんだ

サトウキビ畑と、車が2分に1回ぐらい走る道路

牛小屋と平屋の家

僕が最近忘れていたものはここにしかなくて、ここにあるのがすべてで、写像が全反射しているようなもんだ

僕の純粋経験は8割くらいここで体験された気がしている

人はこんなにも環境で精神がかわるのもかと

頭では当たり前と思っていたけどやはり想像するのと実際にダイブするのとでは違う

なにもないからやることがないことがない

自転車で海のほうまで行ったり

牛と触れ合ったり

テレビのある部屋で昼寝したり

充実してないのが充実してる

大学の寮でギターを弾くのとここでギターを弾くのとではやっぱり違うんだなと思う

僕が大学に入学して1年がたった

高校の時はとにかく大学に入りさえすれば最高だろうと思っていたし、そうでなけりゃ受験は乗り越えられなかったかもしれない

第一志望ではなかったがまあまあいいと言われるところに合格した

地元は離れたかったし、高校はそんなに好きじゃなかったし、家もそんなに好きじゃなかった

一人暮らしもしたかったし、ライブに気軽に行きたかったし、大変だけど乗り越えたら最高というような経験もしたかったのでチャレンジ精神はあった

自分は打たれずよくて、負けず嫌いで、果敢に挑戦するタイプで、地元のこいつらとは違うんだと思っていた

だから都会の荒波といわれる幻想にもおくさなかった

たしか羽田空港についてから、すぐバスに乗った

重い肩掛けバックを下げて寮に向かった

やはり人々のパラダイムが地元と違うのは感じた

率直に言うと

つめたくて

すぐに怒りそうで

言い方がきつくて

顔がうつろで

怖い

空港からバスで横浜に向かってるとき

都会は汚いと思った

黒ずんだ高架線や単一色のビル

ここでしか生きない人は本当にかわいそうだと思う

東京が世界でも中心地であることを誇りに、ここで仕事して、週末に都会っぽい遊びをして、黒い海を見ながらやっぱり自然はいいなとおもう

そういう人が悪いわけではないが本当にかわいそうだなと失礼ながら思う

ただ、バスから見える大きな夕日は不覚にも美しかった

そういう、二つの意味のノスタルジーを感じながら沈む夕日を見たのは何となく覚えている

寮についてシーツも布団もないベッドで、持ってきたコートをかぶって寝た

寒かったが電気代を気にして暖房はつけなかった覚えがある

翌日、消費社会を象徴してるような隣駅まで歩いて行って、電化製品をそろえた

ぼくはそこの駅にも嫌な感じがした

汚くないのに汚い感じ

消費社会に内包されてる人は怖かった

純粋な恐怖ではなく

自分とは違うから無条件に怖いという感じ

ぼくは大学に入学したら、一眼レフを買って旅がしたかったのでバイトをしようと動いたのは自然な流れだった

大学にも生活にも慣れてきたころにゴールデンウィークがきて、とりあえず派遣で単発の仕事をすることにした

高校ではバイト禁止だったので初働きだった

派遣会社に登録して説明会に行って少々手荒な対応にも心折れず

「とりあえず明日朝7時から鶴見で宅配便の仕分けがあるからそこいれとく?」といわれ、はい、といった

朝早いのにもまけず少し緊張しながらヤマトの流通センターにつき、場所がどこかわからず入っていいのかわからない工場のようなところに恐る恐る入っていき

「派遣できたんですけどーー」

といいながら進むと、工場長くらいの立場っぽい人にそこの部屋にいといてと無事発見された

その部屋に行くと、47歳くらいのおじさん、60歳くらいのおじさん、36歳くらいの年齢不詳の女性がいた

もうその三人はよく会う間柄らしく、社員のだれだれさんはいい人とか明日給料取りに行くけど一緒に行くかだとか派遣トークをしていた

60歳くらいのおじさんはぼくは若いころから経営者一筋で今は派遣だから人に雇われたことが1度もないと薄汚れたチェックのシャツに使い古したようなジーンズ姿で語った

47歳くらいのおじさんは、親戚の娘が女子大に行っててその子は高校の時は生徒会長で、すごく品があって、やっぱ違うんだなと語った

年齢不詳女は相槌を打った

仕事自体は労働って感じだった

別に無理ってわけではないけど労働に精神が絶望し始めていた

絶望とはこういうことを言うんだと思った

小5の時にスパルタの塾に春期講習だけ行ったときは、先生が怖くて宿題が多くて内容がわからない上に授業中もほかの生徒同様に当てられて泣きながら宿題をやって、机の上で寝落ちしたのはその時が初めてで、親にあと1週間で終わるのに泣きながらやめたいと訴えたのだけれども、最後までやり通して、その結果別に達成感もなんもなくただ嫌な経験をしたことがあった

あのスパルタ塾と同じくらい、またはそれ以上に絶望した

その後、働くことにおびえながらも、それは自分に甘いということに違いないと精神を押さえつけて、

派遣先からのメールにあった

「高級イタリアンレストランでかっこいい制服を着るホールスタッフ!まかない有り」

にシフトを入れた

黒のチノパン、黒の革靴でシフト先のレストランについた

おびえながら恐る恐る入っていき

「あのー、派遣できたんですけど…」

「そこでまってて」

まってると経営者っぽい人がきて

「お前誰や、ポケットからてー出せ、何様やてめえ、謝れや」

「すみません」

終わったと思った

さっき待っててと言われた社員さんGに、ついてこい、と言われた

「さっきみたいにしてると怒られるから」

「なんか部活とかやってたの」

「軽音部でした」

「軽音部か。とりあえず返事ははっきり大きな声で言え」

「ここに制服あるから着替え終わったら、カギ閉めて、そのカギをもって、すぐ上がってこい」

もう恐怖

本気で逃げ出したいと思った

着替えていったらものすごいスピードでやることを教え込まれた

運ぶ料理は気難しそうな赤黒いシェフが作った高級料理

高そうな赤身肉が乗った重くて黒い正方形のプレートを両腕の筋肉をプルプルさせながら、落としそうにもなりながら運ぶ

どんどん放り投げこまれる使用済みの調理用具や皿を、いそいで洗い、業務用のでかい食器洗浄機にいれる

社員さんGにもっと丁寧に早くやれといわれて、緊張感を持ちながらフォークをタオルで拭く

行動が恐怖心にのみドリブンされた

とにかく返事はしっかり言った

慣れない革靴でホールを駆け回るので足はぼろぼろに分解しそうだった

人生であれほどつらい5時間はない

悪いことだけでもなかった

最初に怒られた経営者っぽい人には最後は笑顔で対された

ある偉そうな社員さんは僕が怒られた直後に「あんなに細かいとこはいいのにね」とちょっと意地悪そうな笑顔でぼくにささやいた

一番怒られた社員さんGはジュースをくれた

「意外とちゃんといい返事してくれたしいい働きぶりだったよ、もし君がよかったら、夜までいない?それとあしたも来ない?」ともいった


丁重に断った


僕と入れ替わりの派遣の女の子もおびえてる様子で突っ立っていたので、「頑張ってね!」と笑顔で言って、レストランを出た

しばらく放心状態というか、耽りながら、近くのベンチで海を眺めながら時間の経過を見守った

そのままでは足が痛くて歩けなかった

あんまり覚えてはいないがその時間に僕はこんなことを考えていたのかもしれない

「つらいことを頑張って喜びを感じるのが最高なんだ、というような、あきらめない人が言うようなことが、今日の僕の経験を含むのなら。僕はあきらめる人だ。そこまでも超越して頑張れる人にはなれないし、なりたくもない。ああ、お金を得るってこんなにも大変なことだったのか」

そのあとも何度かお金が必要で何回か派遣に行った

そのたびに精神が疲弊した

65歳くらいの老人が腰を痛めながらもイベントのテント撤収作業をしてるのを見るとなんて嫌な社会なんだと思った

入れたシフトを嫌すぎて前日にキャンセルのメールを派遣会社に送ったら「考え直してください。これで明日行かなかったら次はないと思ってください」という返信がきた

そっから派遣はやめて、バイトを探した

飲食系のとこでは、初バイトでここは正直言って結構きついと思うよ、と言われ、すでに労働に絶望していた僕は恐怖を抱いた

が、不採用となり内心ほっとした

結局、塾講師のバイトに落ち着いた

最初こそ恐怖だったり、決まった時間に労働があるのがつらかったが、慣れてきて、半年続いている

大学に入学して一年、僕の精神は大学生活よりもむしろ「労働」に対して消耗された

唯、今お金が必要ということだけでなく

やたら電車の中で目がうつろなサラリーマンが気になる

将来このままだと僕もサラリーマンになるということである

しかも職ということになると何十年も一日8時間×週5で働くことになる

労働から解放されたくて

「楽して自由になろう!」というネットビジネスを勉強して12万もの教材も買いそうになった

ブログを書いてアフィリエイトも張った

投資の勉強もした

金持ち父さん貧乏父さんという本を読んで不動産投資でお金に働かせることもできると知った

自己啓発本を精神安定剤のような感覚で読みまくった

でもなんか違くって、お金から自由になるためだけに生きてる気がして

ぐるぐる思考して

悩んで

悩んで

悩んで

自分に甘いのかもしれないと自己嫌悪に陥った

しかし、幸いにも尊敬できる人と、その人たちの言葉に出会い、希望を持てるようになり救われた

だいたい何になりたいのかの選択肢も狭まってきた

ただ、正直言って、自分なりにいろんなことに挑戦してきて絶望もして頑張ってきた1年だったと思うが、大学生が楽しいと心の底から思ったことは一瞬としてなかった

友達と真剣に将来について語ったり、同郷の友達とカラオケに行ってアイドルの曲熱唱したり、一人で自由に行動したり、好きなアーティストのライブに行ったり、たしかに高校の時に望んでたことをした

でもなんか大学にくる前は、たまーに腹の底からの喜びを味わってた気がしてならなかった

時々楽しいけど空喜びのようなかんじでなんか腑に落ちなかった


この1年でいろんな経験をし、悩みまくって、知識も増えて、だいたいなりたいものも見えた

1年前に戻ってまた昨年度をもう一度過ごしたいですか?と聞かれたら、全力でいいえという

今までの人生で1番つらい1年だった

いいことも精神の疲弊のせいで、心の底からの喜びを感じなかった

大学生の春休みは長い

いっかい実家に帰省して、そっからおじいちゃんとおばあちゃんのいるちっちゃな島に来た

ここは小さいころから夏休みには毎年のように兄弟できていた

前にも言ったが僕の純粋経験の8割はここで経験された

何の予定もなく

やるべきことも

所属組織もないうえに

自然に囲まれている

周りを精神の目で見るとすべてが輝いている

ああ、これが本当の喜びだ

もし、親もその他の親戚も友達も、僕のことを知っている全ての人から僕に関する記憶を消せるなら、この瞬間に消えてしまってもいい

そう思った

外も晴れていて3月にしてこんなにもあったかい

お気に入りの白いTシャツの中を泳ぐ風が気持ちい

ちょっと自転車で海のほうまで行ってみようかな

おじいちゃんが年老いて若干元気がなくなったことと、飼育してる牛の数が激減したこと以外は何にも変わらない

自転車でしばらくいったとこにある商店や刺身屋さんもまったくそのままだ

この島の海はとってもきれいだ

しかし人食いサメがいるという危険もはらんでいる

ぼくは釣りがしたいと思った

竿と針を用意して、エサはそこら辺のヤドカリ

石で殻を割って、お尻がくるんとなった本来のヤドカリの姿をあらわにすると

こっちまで恥ずかしくなった

僕はなんて無責任なのか

さらに中にいる生物に針を突き通すのだから。

エサは魚の様子を見て変える

貝がいいかもしれないし

フジツボかもしれない

はたまた場所が違うのかもしれない

こうやって時間を忘れて試行錯誤するのが楽しい

その結果一匹釣れると最高な気分になる

ぐぐぐっと竿先を押し下げる生命の力を針を伝って感じる

その感覚はなんともいえない

自分が生態系に組み込まれていて、たったいま一つの命と真剣に戦っている

ぴちぴちと尾を振りながら水面から上がったその魚体を目で確認する

魚体が海の真上から人間界の地面上に来た瞬間、ゲットしたことが確定するわけではない

針を外した瞬間に魚が飛び跳ねて海へポチャンはよくあること

だからバケツの真上までもってきて針を外す

ピンクいからだにひげをつけたこの魚はおじさんと呼ばれている

自然との真剣勝負一回戦に勝ったという感じか


この島は自然を制御しない

サトウキビが台風でダメになることがある

でもしょうがないじゃないかと思考停止をする

なぜ近代化の波がここには押し寄せないのだろうか

もしかすると科学が先導する未来があんまりよくないと気付いた影の支配者が近代化を阻止しているのかもしれない

嘘っぽい陰謀論をこんなにも自然に思いついてしまう自分に驚いた

しかし近代はあらゆる面でのアップデートが幾何級数的に進んだ時代だったのは確かだ

「すべてを疑う」ことから始まった

デカルトの「我思うゆえに我あり」という方法的懐疑が私たちを近代化に誘った

だが本当にそれで世界はよくなったのだろうか

そこにも「方法的懐疑」を持ち込まなければならない

僕は大学生活をしている横浜よりもこの島に住んでいたいと思う

そういう感情を抱いたとしても近代化の流れには逆らえないのもわかっている

熱力学では一度起こったことに不可逆性はないらしい

そういう物理法則がこの世界を規定している原理的法則に思えることもそうだし

実際今を見ても、ほとんどの人々は発展を望んでいる

こうなるとしょうがない

もう僕が感じる嫌な流れには逆らえないのなら、とことん科学を発展させて、機械と人間の差別を超越し、逆に自然的なところに回帰したい

と思うのである

それを、全く近代を感じさせない畳の上で思うのだから僕もかなり変人だ


もう外は薄暗い

今見ている夕日が東京のそれにはかなわない感じがするのは不思議だ

この島の夜は無条件に楽しい

虫の雄たけびと

白電球の周りを回遊するコオロギと

つまらないNHKの健康番組と

ソファーで寝落ちするおじいちゃん

すべての要素が個別で存在するのではない

それらの関係性が存在してるだけなのだ

すべてに意味なんてない

おじいちゃんもおばあちゃんもこんな晩を繰り返してきたのだろう

何かを疑うこともなく自然と時間の流れにのって

僕は「AIは牛の管理を劇的に変えるんだ」とおじいちゃんに力説するほど変人ではなかったようだ

それよりも肩をマッサージしてあげる

両肩から感じるのは触覚だけではなかった

数年前にお父さんからこの島で過ごしていた幼少期のエピソードを聞いたことがある

「ないものがある時代」だ

かえるやセミ、バッタは唐揚げにする

蜂の子は最高においしいが、何十か所も刺されるという代償がある

一番強烈なエピソード

ある日、お父さんが家に帰ってきたら、兄弟が嗚咽しながら泣いていた

食卓の中心には鍋

鍋の中心には肉

当時肉なんて贅沢すぎてめったに食べられなかったそう

でもなぜか様子がおかしい

喜びの涙ではなさそうだ

そういえばさっき玄関に入ってくる前に、いつも迎えてくれるあいつが吠えてこなかった

その瞬間にすべてを悟ったんだ

飼い犬が砕かれてそこに押し込まれてたんだ

それほど「ないものがあった時代」

おじいちゃんはやもなく、牛や山羊を屠殺するのと同じ感覚で犬を精肉にしたらしい

お父さんのお兄ちゃんは一口も食べないというかたちで頑固おやじに抗議の意を示し

お父さんは肉を食べ、涙が塩味だということをその時初めて知ったのだそう

僕の手がギュッとつかんでいるこの両肩はその頑固おやじの体裁をとっくの昔に失っている気がした


お父さんが十九のころはどんな青年だったのだろう

おじいちゃんが十九のころはどんな青年だったのだろう

生物学的に見れば人の思考回路も遺伝するらしい

普段は保守的で、割と安定志向な父ではあるが、僕が投資を始めるといったときはポンっと元金をくれた

19歳のお父さんと今の僕はあんまり変わらないのかもしれない

おじいちゃんも同様に。

僕は決っして飼い犬を鍋に突っ込もうという発想には至らないが

僕もおじいちゃんも変人であることは確からしい

お父さんはわからないが…


この島の夜は短い

老人は規則正しいからさっさと寝てしまう

ぼくは蚊帳には入ったものの寝れない

ではちょっと考え事をしてみようというわけなのである


そもそもなんで春休みに往復の飛行機チケットを買って、この島に来たのかって?

ただ自然が恋しかったということもあるがもっとしっかりとした理由がある


僕は塾講師のバイトを辞めてきた

正確にいうと辞めるとは言いにくかったので、大学の勉強が追い付いてないので半学期休みますという嘘を真顔で言い放ってきた

つまり、フリーダムおれ状態

所属組織は大学しかないし

やるべきこともレポートくらいしかない


実はお金にある程度の目途がついたのだ

投資を始めたのは11月1日

元本10万円で始めたのが今は100万円余りになり税金計算をしても90万円はある

これからも増やしてはいきたいが、今の資産でも仕送りも含めれば十分大学4年間は暮らせる

そう、つい6日前で塾長に嘘をついた瞬間から僕のフリーダム人生が始まったのだ

僕は人生で今後一度もサラリーマンにはならないと決意した

この島に来たのはその人生戦略をゆっくり練るためだ

いくつか参考本を読んできた

これからの未来を予見したり、人生100年時代を考えたりする本だ

僕は今までにないくらいワクワクしている

どうも寝れないわけだ!

外を見ると白電灯に続々と虫がタックルしている

がむしゃらに大変なことに立ち向かって諦めずに頑張る人生もあるのかもしれないが、精神が疲弊すると良いこともなんも感じない僕にとっては性に合わない

今のところは暫定的にそう自覚している

大した成功も経験してないのだが…。

逆に自分にとって大変なことに立ち向かう方が変だと思う

僕はサラリーマンには向いてないが

これは自分に甘いというわけではないと

今ならはっきり言える。

こんな僕も働きたくないわけではない

むしろ頑張ってたい人種ではある

0時44分

明日はどんな1日なんだろうか

まぶたがゆっくりと下がる

もう寝れる


風が僕の体を頭からなぞっている

実はぼくは空を飛べる

普通の人には理解されないが

こう両手を小刻みにできるだけ速く動かすんだ

最初はうまくいかないんだけど大体3回目くらいの挑戦で、

ふっ

ふっと

ほわっと

なんかいっきに力学がはたらく感触なんだ

別に羽がついてるわけではないよ

ってかみんなもやってみるとできるんだけどやろうとしない

できないと思うからできないんだよ

象の話知ってる?

動物園の象の赤ちゃんは足をチェーンで繋がれて地面に固定されちゃうんだ

繋がれた直後は必死に金具ごと地面から引っこ抜こうとするんだけど、できないと見るや一切抵抗しなくなる

2,3トンの体にまで成長してももう抵抗しないんだ

そこまで大きくなった象が抵抗すればすぐに引っこ抜けるのに。

ちょっと長くなっちゃったけど

実は人間はみんな空を飛べる

僕は家でよくやるんだけど、必ずと言っていいほど、いきなりはたらいてくる力学のせいで軽く天井に頭をぶつける

突風に吹かれるとすごく危険なので外ではあまりやらないようにしている

上空は思ったより風が強いんだ

まあ空を飛んだことのない人にはわからないだろうけど…

必死に手をばたつかせることで上昇下降の移動はできるんだけど方向は定められないから突風には絶対に抵抗できない

体力が持てばとことん上昇できるのだが、大気の温度が低く凍りつきそうになるのと、もう手が限界となったときには死を意味するので、2度くらいやって怖くて封印した

もし挑戦してみて自分にもできるとわかっても、その時は嬉しくてできるだけ上に行きたいんだけど危険なのでやめた方がいい

宇宙まで行こうとして死にかけた僕が言うんだから信じて


3月にして早すぎるセプテンバーさんの鳴き声で目が覚める

あ、

またあれか

ぼくは空飛ぶ夢をよく見る

その翌朝は本当に飛べるんじゃないかと思うくらい全身に感覚が残っている

夢には現実の感触を、または現実以上に感度強く味わえる明晰夢というものがある

僕にとっての明晰夢が空飛ぶ夢なのだろう

感覚は残っている

これは本当だ

さっきの「実は僕は空を飛べるんだ」は夢での話だけど

感覚が残っているのは

本当の

本当だ

信じてほしい


おばあちゃんはあさごはんをつくっている

うすい塩かげんの卵焼きとそのままの味の豆

おきたらトイレにちょっこうしてじょぼじょぼ

そのあと足の長いテーブルの周りに4つあるうちのひとつにすわる

あ、そのまえに弟をおこすんだった

ラジオ体操はない

席につく

おばあちゃんがヤンキーのように片足を椅子にのっけて芋の皮をむきつつ実を食べている

今日も朝ごはんのおこぼれを狙ってきたハエが果敢におばあちゃんの芋にアタックしている

僕のおばあちゃんはハエたたきの天才だ

ハエたたき棒という専門の道具もあるのだが、彼女の領域になってくるともう使わない

いかに素手でかっこよくハエをつぶせるのかという競技になってくる

いちおう、ハエたたき棒か新聞を丸めたやつを握るのだが、それはダミーだ

それを見せておいてそっと置く

ハエの真正面と真後ろから両手でピシっと挟む

両手のはざまで振動音を鳴らすハエを両手をすり合わせて抹殺する

もしおじいちゃんがすでに席についていたらその時は連係プレーだ

おじいちゃんがダミーをもっておばあちゃんが仕留める

長年連れ添った二人だからできる技だ

ちなみに真正面と真後ろから挟むのはハエが前後運動しかできないかららしい

自由に飛んでるように見えるハエもしょせん、空飛ぶ人間と同じくらい不自由なんだ

ハエの屍は無残にゴミ箱に放り投げられた

おばあちゃんは何事もなかったかのようにハエの体温が残った手で芋を握った

せめて洗ってほしい

この家系には変人しかいないのか


僕は人生戦略を整理しておくためにパソコンと充電器を持ってきたのだが

Wi-Fiがないからそれほどこいつらが意味を持たないことに今更気づいた

どんなに便利なものでも、ゴミ同然にしか機能しない環境もある

近代化で西洋人が東洋人にいらない価値観を押し付けたのと同じ行為を自分が無意識にしてしまってることに嫌気がさした

ただの、かきとめなんだから、この家にある紙と鉛筆でいい

エスノセントリズムはこんなにも無意識に形成されるんだから、ある程度はしょうがないのかもな、とかつての西洋人に一定の譲歩をせざるを得なかった


人生戦略という仰々しい名前を付けるほどの事でもない

ただ自分が歩みたい未来を論理的に再現性をもって計画し

それに覚悟を含ませるんだ

別に計画自体はすぐに変わってもいい

そこに含まれた理念などの芯をしっかりと固めることが重要だ

芯が定まればそこに粘土をくっつけていくだけ

芯は僕にとって優先順位の高いもので構成される

幸せとか曖昧なものではいけない

さんざん自己啓発本で読んできた不確実なものは芯ではない


などと思いながら

自分にとって大切なもの…






僕はお父さんについてあまりよく知らない

寡黙ではないが昔を語らない父だ

断片的なことは知っているのだが


例えば

島の工業高校を卒業した

東京で電柱や電線の工事をしていた

リストラされた

地元のパチンコ店で働いていた

その時代にお母さんと出会って結婚した

新婚旅行はディズニーランド

僕が2,3歳の時

父は健康に支障をきたしてパチンコ店を辞めた

30代から建築業で手に職をつけるのは遅いスタートだった

若い人が真剣にやったら絶対に勝てないと言っていた

僕が小学校高学年の時くらいに師匠からはなれて独立した

僕が中学生の時に、父のたった一人の弟子が自殺した

そのころの父に変化はなく、ただ少し元気がないような感じだった

ここまでで一つ抜けている事実がある


僕が高校生になったときに父から話があると言われた

どんな状況だったかは忘れたが父と二人きり

今までこんなことはなかったので、心臓が沸騰しそうな血液を全身に染み渡らせていた

性の話だったらもう知ってるからしなくてもいいと強く思った

お母さんとの結婚が2回目の結婚であったという告白だった

ほっとした

大体、僕をわざわざ呼び出して二人きりで話すことか?と思った


父の過去について知ってることはこれくらいだ

そもそも世の中の人が自分の親の過去をどれだけ知っているのかは知らないが

少なくとも私は母の過去については結構よく知っている

一見父についても知っているようにも思えるが

各事象のつながりがブラックボックスで間の細かい話も全然聞かないのである

語りたくない事実が隠されているのではないか

とも思ったりするが

大してこれ以上知りたいとも思わなかった

知るのが怖い気もする


父の年齢から計算するに東京に出てきたのは1980年頃だろう

そしてリストラされたのはバブル崩壊の時期とぴったり重なる

父が保守なのはそのせいなのか


父が高校時代まで過ごしたこの家で想像してみる


やっぱり涼しい風が吹き抜ける畳はいい

甲子園と、13:00からの連ドラと、昼寝をする祖父母を含めていい

僕は北京オリンピックをこの部屋でみた

中学の夏休みだった

ヤドカリが取れたころだった

夜におじいちゃんの運転する軽トラに乗って穴から出てくるヤドカリを探しに行くのはワクワクした

ライトが黒い地面を照らす

10m先がかろうじて見えるヘッドライト

道路わきの茂みにいることもあるため、道路を見る役、わきを見る役は弟と分担するのだけれど、

ほとんどおじいちゃんが先に見つける

あの人は白内障を患っているはずなのに...

ヤドカリのごつい体がライトに照らされたとき、胸が躍る

胸が躍ることがあるんだとびっくりするくらい胸が躍る

軽トラから出たおじいちゃんが草履で踏みつけて甲羅をつかんで袋に放り込む

指を挟み切る力を持っているので気をつけながら

ヤドカリを捕獲した次の日の朝は蟹臭が家に立ち込める

紫の不気味なやつは、熱湯の中で足掻いているうちに、きれいな赤よりのピンクに変色する

実は絶品だ

2時間かけて取り出したすべての実とミソを白ご飯に混ぜるような贅沢すぎることはしない


ただ数年前に、やつが絶滅危惧種に指定されてから捕獲することができなくなった

毎夏に、確認できる個体も少なくなっているのは感じていたのでしょうがない

同時に観光地の色を帯びてきたこの島に高級ホテルが乱立してきたのも影響してるんじゃないかと感じた



突然だがここまでが第一章だ。

ここからは第二章になる。

この行を書いている私は今大学二年の夏休みが終わるころである。

一章までの文章は大学一年の春休み前の私が書いたものだ。


人には追い込まれたときにしか生み出せない危うさがある。

それは鋭利な美しさである。


私はこの夏休みにおじいちゃんとおばあちゃんのいるあの島に行った。

この書きかけの小説の存在は忘れてはいなかった。


グーグルのブックマークに登録してあったので事あるごとに、パソコンを操作する私の目に反射していた。


それなのに半年間小説の続きを書こうとしなかったのには理由がある。

精神が安定しているからだ。


実際には私は一年の終わりの春休みにおじいちゃんとおばあちゃんのいるあの島へは行かなかった。

それを含めて、第一章には事実と反するフェイクが3割ほど幅を利かせている。

だからといって、それを改めて今からは事実しか書かないというわけでもない。

この世界はフェイクと言われればフェイクだけど事実かのように言われている言説が山ほどある。

学校で教えられていることのどれだけが事実なのかというのを真剣に考えたときに、それは恐ろしく少ないだろう。

そもそも人間の知覚能力には限界がある。


人間は限られた波長の波しか、聞いたり見たり言ったりできない。

そのようなビッグクエスチョンに取り組む余裕があるほど精神に余裕がなかったのが大学一年生の頃の私だ。

哲学を経済学と結びつけ、資本主義を疑い、ブロックチェーンやAIに魅了された。

どんな偉人も若い頃は流されやすいものだと思う。

それが人間存在にとっての限界でありジレンマである。


一人称を「僕」と語っていた大学一年生の私はミルフィーユの層のようにまた薄い一枚分だけ刷新された。


瞬間を生きる人間存在にとって、薄い1枚の層の影響力はとても大きいものに感じる。

人生というのは半年という薄い膜が200枚重なるものであることを踏まえると、ある人間存在の精神が一生を通してどれだけ変化するのかを考えたときにゾッとしてしまう。


物理的には我々を構成する約60兆個の細胞はニ年で生まれ変わると言われている。


物理的にも精神的にもそれだけ入れ替わるのなら、人間存在に一貫性はない。私たちは一生を通じて数えきれないほどの人間存在に移り変わりながら生きているのだ。

それは赤からいきなり青になるわけではない。しかし、赤と青はスペクトル的には確かにつながっている。私たちは一生において一貫性を持っているように見えて、実は赤と青くらい変化しているのかもしれない。


第一章を書き終えてから、この瞬間、つまりあと数日後に大学二年生の秋学期が始まる、とある深夜の1:01まで

そのエアポケットを回想しながら記していくというのが、小説としての展開のひとつであろう。

「僕」だったらおそらくそうしていた。

しかし、今この文章をかいているのは「私」だ。

精神的には大幅アップデートが施された「私」だ。


アップデートというのは必ずしもポジティブにとらえられるものではない。

人間知性に限界があることからも、そもそも物事に良い悪いというステッカーをはることは確実性が無い。

その良い悪いというのは、ひとつの月だ。


「僕」の文章は、危うさをはらんでいる。精神的に安定していなかったからこそ紡ぎだせたクモの糸だ。

近くで見るとガタガタなより合わせで、規則性が無いように思える。一本の糸を一生懸命紡ぎだしている主題にもそうみえているだろう。しかし、その精神性から離れたところから振り返って見ると、とても鋭くて一本の力強い糸がいくつも重なりきれいに網を張っている。


知らず知らずのうちに紡ぎだされた網はしばらく放置されていたが、物理空間とは違って電子データとしての網は風化しない。


あの時にしか書けなかった文章だな、とつくづく思う。

追い込まれたときにこそ心の深遠な核の部分に触れられるアートが作られるというのは、ありうる現象だと感じる。

追い込まれたときというのは体裁を気にする余裕がない。

そのときに合理的近代人としての知性をこえた無意識が穴の奥底からやっとのことで手を伸ばし我々の知覚する物理的世界に影響を及ぼす。

しかもそれは一瞬だ。少し気を抜いたとたんに無意識の手は一生引き出すことができない闇の底に加速度的に引っ込む。


アーティストはデビューする直前に名曲を生み出すということがよくある。

その名曲というのは私の基準だが…


デビューし多くの人に認知されたアーティストがいたとする。ファンが増えたことによって、もちろんコアなファン層というものも生まれる。そのコアなファンがデビュー前の曲を掘り起こし、それに対して価値付けを行うということがある。


価値というのはあやふやだ。一般的にはより多くの人が認めれば、それだけ大きな価値とみなされる。または、より多くの人が価値を感じれば、それだけ大きな価値とみなされる。

その理論を行使すると、だれもが知るわかりやすい名曲が究極的な価値になり、コアなファンが隠れ名曲と呼ぶものは価値が比較的低いということになる。

これは非常に民主主義に似ている。みんながよいと認識しているものが正しいはずだという民主主義の理論と、より多くの人が価値と感じているものに価値があるという理論である。


集団殺戮を行っているファシズム的な国家が全国民の賛成の上に成り立っているとしたら、集団殺戮はその国家にとっては正しいということになる。

このような論理を多くの人は拒絶するだろう。


そのような人は、何が価値で何が正しさなのか、オルタナティブとしての何かしらの論理を持っているのだろうか。

予想されるのはこういう論理だろう。

「価値や正しさというのは主観的なものであって客観的に語れるものではない。つまり、みんなにとって価値があり、みんなにとって正しいというのは語れないのである。」

というものである。


そうなると、価値や正しさを語るときは必ず”~~にとって”という枕詞が必要になる。

つまり、「人を殺すことは正しいことである」という論理が、Aさんの主観的には正しいという判断が下されるのならば、成り立つものになる。

そのときはちゃんと「Aさんにとって、人を殺すことは正しいことである」と言わなければならない。


しかしそれは全て誰かに教え込まれるものである。人は生まれた瞬間はなんの価値基準をもっていない。

生物の本能的には「より生き延びて、よりたくさんの子孫を残す」という性質があるが、それは意思や目的ではない。その機能がその性質故に生き延びたというだけの自然である。

よって、人の判断基準や価値基準は大人によって教え込まれる。

学校で「人を殺すことは正しい」ということを教育すれば、それは多くの人にとって正しいことになる。

どんな手段をつかってでも、その人にそう思わせればその人にとってはその論理が正しいという状態にすることができる。

「人を殺すことが正しい」ということを日本の教育で実施し、信じ込ませることができれば、民主主義という仕組みによって日本にとっても正しいという風にすることができる。

それは、悪いことだ!、と多くの人は思うかもしれない。しかし、それが悪いというのはあなたの主観だ。あなた以外が悪くないと思っていたら、日本全体としては「人を殺すことが正しい」というのが悪くないという判断になりうる。

つまりは、民主主義というのはゾッとするものである。それが良いか悪いかは人それぞれだ。

何が価値か、何が悪いか、というのは個人の主観によるもので、一般化することはできないという論理を信じる人がいるなら、その論理を信じないという人がいるというパラドックスが起きる。


このように読者の頭をかき混ぜて何がしたいのかというと、絶対な論理を語ることはできないということを私が思っているということを理解してほしい。


現実的には、「人を殺すことはいけないことである」という意見に対して、それは悪いことだ!、と多くの人が感情的に反論する世界は思ったよりも容易に存在しうる。と私は思う。


現状の私は死にたくないし、人を殺すなんて恐ろしくて考えたくない。


ただ、私たちが無条件で信じている確固たる論理は、物質があるようでないような空であると思うのだ。


久しぶりに思考にふけってみたら、深夜の2:35。物理的空間にもどって、限界という壁に囲われた小さくて狭い人間という物質に宿ることにする。


人間には睡眠という行為が必要らしいので、その睡眠とやらを行ってくる。





























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