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前向きに生きるには、いかに後ろ向きな自分を許せるか

私はスーパーポジティブ人間だと思っていた。

最近、それは違うとようやく気がついた。

常にポジティブで前向きであることが素晴らしいことだ、と決めつけると、ものすごく人生が生きづらくなる。そういう人(わたし)は、大抵、ものすごく大きな力を持ってして、後ろ向きな自分を闇に沈めている。

後ろ向きな自分が出てきそうになったら、いかん!と蓋をしたり、凍らせてみたり、泉の奥底に沈めてみたり、見て見ぬ振りをしてみたり・・・あらゆる術を講じて、後ろ向きな自分を感じないようにして、前向きに切り替えようとしている。

最近、友人が「嘆き」というニーズにスポットライトを当ててくれた。誰もが持っている、すべての人間の本能的なニーズの中に、「嘆く、悼む」というものがあるのだ。

これに気づいてから、わたしはひたすら、自分の嘆きを受け取ることができるようになった。それは、昨日起こったどうしようもなくネガティブになっている自分の嘆きでもあり、大昔、闇に葬って凍りついたものが溶け出してくるような嘆きでもある。

昨日のことを書いてみる。

何をやってもやらなくても、どうしようもなくイライラして、自分をダメ人間だと嘆き、寝ている間ですら不安と恐れと焦りを感じて何度も目が覚めてしまうような、そんな週末だった。

過去のわたしなら、そんな後ろ向きな自分が出てきたことにひたすら焦り、絶望し、やっぱりわたしは変わらないダメなやつなんだ、というように、後ろ向きな自分に乗っ取られ、まるで自分の全てが後ろ向きであるかのように捉えて、すべてのことをくっつけあって、負のスパイラルに飛び込んで行っていた。そしてどうしようもなくなって、それをねじ伏せて、スーパーポジティブパワーに切り替えていたのだ。(書いてるだけで疲れる・・笑)

昨日のわたしは、もちろんそういう負のスパイラルに飛び込んでいくような自分もいた。でも、どこかに、それを見守り、「うんうん、今はひたすらネガティブなんだよね」とあたたかく眺める自分がいたのだ。

夜中に目覚めて眠れなくなった時には、お気に入りの腹式呼吸のYouTubeを聴きながら、このネガティブに塗れている自分が自分の全てではない、これはわたしのほんの一部の自分であって、その一部の自分はとてつもなく愛しく大切にされるべき一部なんだ、ということを、その瞬間は、「言い聞かせていた」という感じ。

100%後ろ向きな自分を、100%許して抱きしめる、もう1人の自分。

なんとなくまどろんで目が覚めると、体は睡眠不足で重だるくあったものの、心は健やかで軽かった。よし、今日も生きよう、という前向きなエネルギーが満ちているのを感じた。そして、ひとり感動した。

わたしってネガティブな人間なの
わたしってポジティブな人間だからさ

そんな風に決めつける必要は全くない。どのひとの中にも、前向きさんと後ろ向きさんがいて、他にもいろんな○○さんがいて、共存している。それをどれだけ感じられるか、いかにどんな○○さんも許してあげられるかが、健やかに人生を生きるヒントなのではなかろうか。

そんなことを感じながら、「嘆き」にスポットライトを当ててくれた友人とたまたまやり取りをしたら、こんな言葉をもらった。

「自分の中のいくつもあるロール、自分ファミリーのハーモニーをまずは奏でていこうよね!!!」

おおおおおおおおおっ!
自分ファミリーのハーモニーを奏でる。なんて美しいんだ。

わたしはわたしという、一つの肉体を持った一人の人間であるが、そのわたしの中にはいくつものロールがあり、共存し、共鳴している。わたしは一人であって、一人ではないのだ。なんて心強いんだろう。

self orchestra

一人ではない自分を感じたら、友人から優しい言葉をもらったり、別の友人とつながりを感じられるコミュニケーションが生まれたり、鬱陶しいと感じていた雨音が優しく響いてきたりした。

世界の見え方はわたしによって変わる。
How wonderful


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