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あきらめる、という悪くない選択肢

ここ最近、いろんな不安が押し寄せてきて、頭の中がぐちゃぐちゃでした。

具体的な内容を書くと一部の方に心配をかけてしまいそうなので、抽象化して書きますね。

勝手に肥大化する悩み

最近ずーっと悩んでて、久しぶりに胃がキュゥぅぅってなりました。

特に初めてやることはものすごく怖くて、周りの人が(別に普通の態度なのに)威圧的に見えたり、他のことが全く手につかなくなったり。

でもやってみたら、大したことなかったんですよね。

勇気を出して自分の考えを伝えたら、予想以上に優しい反応をもらえて、あっさり道標が見えて拍子抜けしました。

別に心配する必要なんてなかったんです。

私が勝手に悩みを心の中で肥大化させていただけでした。

こういうことがあると、自分は物事を考えすぎてしまうタイプだな…とつくづく思います。

振り返ると、別に失敗しても命がなくなるわけではないし、たいした問題じゃなかった…という経験はよくあるんですよね。

でも肥大化した悩みに心が支配されると、周りが一切見えなくなって、絶望的な気持ちになって泣き叫びたくなります。鬱になるってこういう気分なのかな…みたいな。

あきらめる、という行為

病み期にいつも思うのは「もがいてもどうもならないので一旦あきらめよう」ということ。

最近この「あきらめる」という行為について考えを巡らせていました。

「あきらめる」という言葉は一見ネガティブな響きに聞こえますが、私にとってはプラス要因になってるんですよね。

思い描いた未来が手に入らず悩み苦しんだとき、「一旦あきらめる」という行為を挟むと現実的な思考にリセットされます。

そうすると「今何をすればいいか」がわかるようになるので、意外とスッキリします。

今回めっちゃ悩んだ件も、一旦あきらめたら脳みそのスイッチが切り替わり「あとは淡々とやるしかない」と思えました。

あきらめることは、冷静に周りを見渡して自分がやるべきことを整理する行為なんじゃないかなと。

だからあきらめる、という選択肢も悪くないと思うんです。

多分今後も試行錯誤するなかで適度にあきらめつつ、自分にできることをやっていきます!

おわり😆

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