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伴田良輔「passacaglia 道」

昨年末、伴田良輔監督のお誘いを受け、Tokyo Cine Centerを訪れた。
地下に下り、迷路のような通路の果てに、潜水艦を思わせる丸窓のある、カーボンブラックの壁に囲まれたミニシアターが存在していた。
ロビーはまるでサロンのようなソファの置かれた寛げる空間で、この上映会場が既に、映画の導入としてお誂え向きだと思った。

細かい黄色の粒子が、穴に降り注いでいく。
穴を埋め尽くしてもそれは降り続け、やがて盛り上がり、小さな山をつくる。
光を放つ黄色の粒子は、砂時計の砂だ。

砂時計の時間は、可逆的である。
相対性理論を持ち出すまでもなく、この映画「道 パッサカリア」のごとき魔術的リアリズムの作品中では、自明の法則であるといえよう。

映画には3人のウクライナ人ダンサーや、針山愛美最上和子らダンサーが出演している。
ダンスとは時に、時間と重力に逆らった身体表現ではないか。

この、極めて詩的に見える映画には原作がある。
伴田良輔著『アリスのお茶会パズル』。
数学の絵本の中に迷い込んでしまった少女みどりは、『不思議の国のアリス』の登場人物たちと、いろいろなパズルを解いていく。

映画はシーンの羅列のようになっていて、ストーリーが明示されることはないが、本に出てくるパズルの説明が、イタリア人の帽子屋によって語られるシーンがあったりする。
伴田氏の好む、正方形を7つの断片に切った「タングラム」というパズルも登場する。

神秘主義的世界観に見られるマクロコスモスとミクロコスモスの照応が、この映画には現れる。
画面に現れるバス(模型と実物が混在している)が果たしてどのような大きさなのか、観客は戸惑うことになる。
すべてが夢の中みたいに曖昧なようでいて、実は緻密に計算されて構成されている。
世界はすべて数字によって成り立っていると唱えたピタゴラス学派の思想が、通奏低音を奏でているのかもしれない。

そう、音楽も素晴らしかった。
タイトルの「パッサカリア」の語源は「通りを歩く」ということだが、楽曲としては反復される音形を持つ。
繰り返しということが重要なのだ。

「でも、その怖いおかあさんがいなければ、あんたはいなかったし、おかあさんのおかあさんがいなかったら、おかあさんはいなかった。おかあさんのおかあさんのおかあさんがいなかったら、おかあさんのおかあさんもいなかった。おかあさんのおかあさんの、……(中略)どのひとりのおかあさんのおかあさんがいなくても、あんたはここにいることができなかっただろう?」(『アリスのお茶会パズル』)

上演後のヴィヴィアン佐藤氏とのトークショーで、伴田氏は「これまでいろいろな活動をしてきて、何をしたいのか、と言われることもあったが、映画ですべてが集約できた」というようなことを仰っていたが、確かに、総合芸術として映画以上に適したものはないだろう、と思える。
「魔術的リアリズムを知った時、自分の育ってきた環境がまさにそのようなところだったので、自分にとっては馴染みの表現方法だった」とも話していた。

映画に描かれる自然の描写は、まさに魔術的リアリズムの精緻さで、驚異のまなざしに溢れている。
そうだ、この映画は、世界を記述する試みだ。
こんなふうに世界を体験することのできる、伴田良輔という人が、心底羨ましいと思う。


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