結葵

飽きないがくたばるまで。4月から高校英語講師…

結葵

飽きないがくたばるまで。4月から高校英語講師…

最近の記事

お腹いっぱい(20240429)

世界はほしいモノであふれている 見るものすべてに魅了され わたしをあたたかく、やさしく包み込む 見ているのは、ただ画面を通した映像だけなのに 心地のよい心拍が胸をうつのはなぜだろう わたしの知らない世界のなかに わたしを幸せにしてくれるものが詰まっている それを知っただけで、わたしは幸せなんだ いま、わたしが持っているものでは わたしは幸せになれない? そうやって人は、もっともっとと幸せを追いかける わたしたちは幸せになることを諦めてはいけない 明日の

    • 綺麗事を言って満足するやつが一番キライ

      4月13日(土)  結葵(ゆうき)と申します。 これは自分のことかもしれない。  周りの人間が普段使っている日本語に注意深く耳を傾けてみれば割とすぐに気づくことだが、我々はどれだけ気軽に、何の躊躇いもなく「頑張る」という類の音を口から漏らしているのだろうか。  入学式があった。  生まれてこの方入学式というものを、小・中・高・予備校・大学と(おそらく)5回ほど当事者として経験してきて、今回は生まれて初めての立場で入学式に参加することになった。  相も変わらず冗長的

      • 忘れかけていたもの、乗り越えたもの、抱きしめたいもの

        3月31日(日)  結葵(ゆうき)と申します。 — 孤独に沈潜する  大学の卒業式を迎えてから、はや2週間が過ぎようとしている。2週間目を迎える次の月曜日は、ちょうど4月1日。仕事が始まる日だ。  ここ数週間、色々な著者の本を読んでいた。中井久夫、浅田彰、小林秀雄、立木康介、などなど。特に、今月は精神分析に集中していた。医者に世話になったことはないけれども、どこか神経症っぽい症状があると感じずにはいられない。中井久夫の描写する分裂病(統合失調症)患者の姿を読んでいると

        • 少数者として胸を張って生きていきたい

          3月26日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 「こうあるべきだ」という社会規範を全力で拒絶する  「〇〇的マイノリティ」というものが定義できるとしたら、僕はそこには類別されないのかもしれない。でも、マイノリティというものが定義できない以上、つまりマジョリティとの境界をはっきり策定することができない以上、僕はここ最近ずっと、自分がもしかしたら何らかの点でマイノリティなのかもしれないと繰り返し問答している。  自信を持ってマイノリティだと自認することはしない。自分が多数に

        お腹いっぱい(20240429)

          頼むからみんなでぼくを笑ってくれ(笑)

          3月21日(木)  結葵(ゆうき)と申します。 笑い飛ばしてくれたら、それが禊になるからさ。  何なんだろうな、なんでこんなに上手く行かない?  先週、ちょうど今日から1週間前、納車した。新車だった。それからほぼ毎日、乗った。いろんなところまでドライブした。いろんなところといっても市内で、高速で遠出したり、ましてや県をまたぐ移動はまだしたことがない。  それが…… それが…… 今日、さっき、つい3時間くらい前、ぶつけた。しかも、自宅の車庫で(笑)どこにぶつけた?——

          頼むからみんなでぼくを笑ってくれ(笑)

          頑張らなきゃいけないらしい

          3月19日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 で?頑張るって一体、何をすればいいのさ?  本日付けで、ついに大学を卒業する。現在時刻、18日23時26分。もうすぐ本日付けではなくなってしまうので急ぎめで書き連ねるのだが、今日もいつものように不貞腐れたことを書く。  ああ、よくない。この「不貞腐れた」と自分で言ってしまったせいで、いろんな余計なことを書こうというモードになってしまった。ここで断ち切る。「不貞腐れた」と言っているものの、「不貞腐れ」ているつもりは一切合切な

          頑張らなきゃいけないらしい

          意味がありすぎる無意味な言葉

          3月12日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 やりたいことを粛々と、訳の分からなさに悶々と、向き合わないことに堂々と。  「コミュニケーション能力」なる言葉は一体何を語ってくれるのだろうか。  高校生くらいのときからかな……「コミュ力」「コミュ障」という言葉が盛んに会話のなかで頻繁に登場するようになった(という曖昧な)記憶があるが、世間一般的にはそれよりもっと前から、すでにこの言葉は使われ始めていただろう。  僕が知るかぎりでも、この「コミュニケーション能力」なる

          意味がありすぎる無意味な言葉

          ニヒルにならなきゃ何も始まらない

          3月5日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 「理解」できるわけではないが「納得」できる、なんてことあり得るだろうか。  ここ数日、少し体調を崩していた。具体的に言うと、喉をやられた。痛いというわけではないのだが、唾を飲み込むと少し引っかかりがある感じ。たぶん前に、カフェで読書していたときに、エアコンが直撃する席に1時間ほど座っていたからだと思う。昔からエアコンにめっぽう弱く、冬場の暖房は加湿器をつけていても喉が乾燥する。  あと、体も少し気怠くなった。完全に風邪をひい

          ニヒルにならなきゃ何も始まらない

          若さについてのひとりごとっ

          2月27日(火)  結葵(ゆうき)と申します。 ひとをまだまだ若いと揶揄しながら、自分はまだ老いぼれていないと鼓舞する。  僕は’99年生まれの24歳。世間的にはまだまだ若い。自分でもそう思う。色々と若い。何をしても説得力に欠けるだろう。青二才。芦田愛菜ちゃんの語りに妙な説得力を感じるのは、彼女が若くて若くないからだろう。歳を重ねるとは落ち着きが増していくことのようにも思える。いつまでも感情の起伏が激しい大人は若い。いや、この場合は幼いになるのか。幼いやつは若く見えるだ

          若さについてのひとりごとっ

          懐古と宣誓

          2月24日(土)  結葵(ゆうき)と申します。 いや別に嫌われてはないんだろうけど… ま、まぁ嫌われてても仕方ないかぁ…  友達がこの記事を読んでいるだろうか… 読んでいるのなら、キミだよ!また既読無視しやがって!今度もまた返信するのすっかり忘れてたんだろ!無視される身にもなってみろっつーの!忙しいとか関係ねぇ。テキトーにスタンプひとつ送ってくれりゃいいんだよ!返信なんてのは雑でいいの!  友人たちとはLINEを介して連絡を取っている。が、たいていは既読無視されて終わ

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          精神分析とファシリテート(+省察)

          2月23日(金)  結葵(ゆうき)と申します。 「意識的な努力」は途方もない。無意識的に。知らぬ間のこだわり。  今、片岡一竹著『ゼロから始めるジャック・ラカン 疾風怒濤精神分析入門』(ちくま文庫)を読んでいる。第1部「精神分析とはどのような営みか」まで読んだ。ここまでは、精神分析という臨床が、精神医学やカウンセリングとはどのように異なるのかについての話で、本格的にラカン的精神分析の理論に入っていくのはこれから。  精神分析に関する初めての本で、実際に文庫が出版されたと

          精神分析とファシリテート(+省察)

          今年もTOEICの季節がやってきた

          2月17日(土)  結葵(ゆうき)と申します。 TOEICの勉強をしようと思っている? いやいや、代わりに英検にしとけ。  カフェで本を読んでいると、近くで一生懸命に何かを勉強しているひとがいる。  かなり若い。高校生くらい。チラッとテーブルの上に広げているテキストが見えた。「TOEIC対策」と書いてある。すでに大学合格が決まった子か。  息つく暇もなく、新しい勉強を始めている。受験勉強も、こんな風にきちんと真面目に取り組んだのだろう。その結果が身を結んだのだ。僕なんか

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          マシュマロのアカウントをつくってみました!なんでもいいから、なんか書いて! https://marshmallow-qa.com/4oc10pn5itvct8x

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          「質」より「量」、圧倒的に

          2月12日(月)  結葵(ゆうき)と申します。 自分のが「質」が良いだなんて、ウソに決まってる。 ここ最近、記事を書くペースが上がっている。普段の生活のなかで、キーワードがポンっと頭に浮かび上がるか(ん?ストンっと降りてくるか?)で、タイトルらしきものが仮にではあるけれど決まる。そこから、連鎖的に書いていきたい言葉が次々と出てくるようになると、1回の作業では最後まで書き切ることはできなくても、少し別のことをして時間を空けて、もう一度戻ってきたら、すっと出来上がる、という

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          拗らせクソ野郎の克服開始

          1月5日(金)  結葵(ゆうき)と申します。 人生楽しんだもん勝ち  現代は「個人」がもっとも前面に現れる時代である。  戦前の大戦期のように、「国家」に忠誠を誓う時代ではない。また戦後の経済成長期のように、「会社や企業」に忠誠を誓う時代でもない。  「個人」が「個人」へ(その個人で自分自身である場合もあれば、別の人間個人である場合もある)忠誠を誓う時代である。  いや、忠誠を誓うというよりも、希望を見出す、と言ったほうが分かりやすいかもしれない。  国家や企業は、も

          拗らせクソ野郎の克服開始

          「優秀」とか「有能」という言葉遣いについて

          2月8日(木)  結葵(ゆうき)と申します。 人は互いの存在を功利的な尺度で測るが、自然からすれば全員が無用でしかない。  日々仕事に勤しんでいると、否が応でも「優秀」や「有能」といった言葉を耳にする。「優秀な人材を育てる」とか「彼は非常に優秀だ」「有能な部下を失った」。人々は、自分がいつか「優秀」だと認められたいという承認欲求、あるいは反対に「無能」の烙印を押されたくないという恐怖に苛まれながら生きている。  ここ最近、Youtubeにも、そのような類の動画が増え、

          「優秀」とか「有能」という言葉遣いについて