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家事を分担しないという選択も有りで

最近スーパーへ行くと、小さな子供連れのパパをよく見かけるようになった。奥さんに頼まれたものを買いに来た、というより、普通に献立考えて料理してるんだろうなあ、という自然さだ。

エライと感動する。
すごいなあ。

奥さんが。

もともとの出だしが違うのだろうが、予算を考え栄養を考えそれなりの手間をかけた夕食を作るだろう、とオットを信用していないとできないことだ。

我が家であれば(20年前を想定)、お総菜コーナーへ直行し唐揚げといなりずし、そして子供にせがまれるまま(あるいは自分の好みで)アイスクリームを買って帰ってくるのは目に見えている。

夫婦で家事を分担しましょう、と聞くたびに、メンドクサ、と思うのは私だけだろうか。

上記想定されるリスクを回避するには、まずどんな家事があるかリストアップし、手順や、仕上がりのレベルをお互い納得して共有する。・・・聞いただけでも気が遠くなりそうだ。

それどころか、オットにはそのマインドが設定されていない事が判明した。

つい先月、私が入院している間にお風呂洗剤が切れたので、オットが買ってきた。オットは「シュシュっと吹きかけ1分置いて流すだけでよいヤツ買ってきた」と自慢げに報告する。

「それだけじゃあやっぱり汚れは落ちないし、一分待ってる間にこすったほうが確実で早いよ」

オットはアナタノニホンゴワカリマセンみたいな顔をしていたが、のちに娘が通訳してくれて合点がいった。

「オトーサンは自分がお風呂掃除をするという概念がそもそもない。君たちの家事が楽になるようにオレがいい洗剤を買ってきた、って思ってるから、おかーさんの言葉はオトーサンには通じない」

こんな我が家に家事分担という言葉は浸透する素地がない。

家事分担と聞くたびに、調理家電を連想する。

「材料を切って調味料と一緒に鍋に入れるだけでできます!」

えーと。

メニューを決めて
材料を買ってきて
洗って切って
調味料を入れて

ここまでが大変なんです。
鍋に入れるとこまでが。

その先なんてチョチョイノチョイですよ。

そもそもそんなかさ張るものをキッチンにだしっぱにできない。

それと同じことが家事分担にもすっぽり当てはまる。

家事分担のスタートに立つまでが大変。

オットの育て方を間違った。
もう取り返しがつかない。
そして私にはその気力が、もうない。
この落とし前はツマである私が責任をもってつけようではないか。

だから娘よ息子よ、
育った環境を良き反面教師として活かしてください。


#家事分担の気づき

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