エウレカ

IT系在宅勤務の派遣社員。いつか海外で暮らすことが夢。リタイア目前のオットと社会人の息…

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IT系在宅勤務の派遣社員。いつか海外で暮らすことが夢。リタイア目前のオットと社会人の息子、娘と同居中。日々の出来事を自分でよく考えるため、note投稿しています。

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私の職場の面白い人

職場に面白い人がいる。 その人はツーブロックの金髪モヒカンで チャリを漕いで通勤してくる。 会議の時ヘッドセットをやけに嫌がるから 理由を聞くと「トップがつぶれるから」 だからチャリ通勤でヘルメットは被らないという。 かぶろうよ、二児のパパなんだから! 通勤途中隣の車が危険運転していたから 赤信号の時運転席の窓をコンコンして ジェスチャーで下げさせ ひとしきり説教したと聞いたときは 皆で「やめなさい!!」と説教した。 あなたはパパなんだから!! 相手がタチ悪かったらどうす

    • 家事を分担しないという選択も有りで

      最近スーパーへ行くと、小さな子供連れのパパをよく見かけるようになった。奥さんに頼まれたものを買いに来た、というより、普通に献立考えて料理してるんだろうなあ、という自然さだ。 エライと感動する。 すごいなあ。 奥さんが。 もともとの出だしが違うのだろうが、予算を考え栄養を考えそれなりの手間をかけた夕食を作るだろう、とオットを信用していないとできないことだ。 我が家であれば(20年前を想定)、お総菜コーナーへ直行し唐揚げといなりずし、そして子供にせがまれるまま(あるいは自

      • そんな母でも餃子だけは買ってきた。完璧な社会人で妻である母の、私が見つけられる唯一のスキ

        子供のころ餃子はサブメニューだった。 なんかもう一品、というときに出てきたように思う。 それは手作りではなく今でいうチルド食品。 お手頃価格でどのスーパーでも売っていて、家族みんなが嫌いじゃない。忙しかった母にとって焼くだけでいいチルド餃子はお助け食材だった。 独身時代は、当時花形だった地銀に勤めていた母は、25歳の時父と見合い結婚して寿退社。仕事が続かない父に付いて西日本中引っ越した末、結局地元に戻って気難しい義父母と同居した。凝りもせず数年おきに失業を繰り返す父を支え

        • 親子で食事に行くとき、どっちが払う?息子とワリカンにした日

          家族で食事に行ったとき、支払いはだれがするか? 去年長男が短期契約ながら月給をもらえるようになったころ、ふとそんな疑問がわいた。 今まではオットがいればオット、いなければワタシが財布を開いてきた。 でも、いつまでもずっとこれでいいのかな? そんな疑問がわいてきたので、これも潮時と 「アナタはおかーさんよりもお金持ちなんだから、これからはゴハンは割り勘で行こう」 一方的な自立勧告であるが、そこそこ収入のあるムスコはそれも道理とOKした。 我が家は現在リタイア目前のオ

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        私の職場の面白い人

          私が働き始めたら「主婦のくせに・・・」と言っていたオットが変わった

          子育てが一段落つき、今の会社で働き始めたのは50歳のころ。ほぼ空白の履歴書を見てもひるまなかった会社側に感謝したい。 就職しようと思った理由は、 ・家族が学校や会社へ出ていき、帰宅するまで暇だった ・通っていた通訳学校のクラスメートが皆転職を考えていて影響された ・小遣いが欲しかった とてもイイ歳の大人が言う言葉と思えない。 でもほんと、暇だった。 家族それぞれがそれぞれの場所へ行って何なり刺激をもらって帰ってくるというのに、私は一日口開けてテレビ見てご飯作るだけ。脳み

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          お金で買える夢を買ったら神様がオマケをくれた

          お金で買える夢は買っておいたほうがいい この頃そう思う。 10年以上乗り続けていた車を買い替えようかという話になったとき、一生に一度くらい外車に乗りたいなあ、という思いが顔を出した。もう54歳。このタイミングを逃したら、きっとそのチャンスは巡ってこない。 その時私の頭にあったのは、ピンキリのキリのほう。あ、それも外車っていえばいえるね、くらいの。だからオットから「最近Audiもコンパクトカー出してるしね」と言われた時、がばっと起き直った。え?Audi?私がそんなのに乗っ

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          ママ友はいらない

          息子は小学生の時の交通事故で成人した今も障害がある。 新聞の掲載記事を通じて数年前に家族会の存在を知り仲間に入れてもらった。 一言に障害といっても原因や状況は様々だが、月に一回互いの近況を報告するひと時は和やかだ。互いのはなしをゆっくり聞きあう。 そんななか同じように障害を持つ息子さんの母、Tさんが話した言葉が忘れられない。 ある集まりで「こんなこんななのよ、って言ったら、”わかるぅ~”っていうの。あなたに私の何がわかる、って思うんだけどね」 アナタニ ワタシノ ナニガ

          ママ友はいらない

          思いもかけず人生のスタートを切るチャンスは年齢に関係なく訪れる

          10年以上通っていたコーヒー豆のお店が閉店してしまった。 1年ほど前こんなことを書いていた。 あの時店主は野心などなさそうな穏やかさで「毎日仕事して寝るだけですよ」と言っていたのに、業務拡大の夢をもっていたなんて。 福岡で出店計画だったが、なかなかそこを任せる人が見つからないこと、だったら子供たちも独立しているので自分が行こうかと、とんとん拍子に話が決まったこと、今まで生豆を輸入するたびに福岡空港へ検疫へ行かねばならなかったが、福岡へ移転すればそれが解決することに気づい

          思いもかけず人生のスタートを切るチャンスは年齢に関係なく訪れる

          出前もしてくれる町中華の名店を新規開拓した

          退院当日の夕ご飯は出前にした。 これまで出前=皿うどん一択だったが 我が家御用達の町中華名店が15:00までの営業だったため 新規開拓を試みる。 人手不足の折、そしてUbereatsなどないわが街で、Takeoutはあっても配達してくれるのはピザくらい。 慣れぬ検索作業でようやく探し当てたのは、ちょいちょい不安要素のある口コミのこのお店 ”一軒家を改装して、中はモダンに仕上げられているが、外装は昭和の香りがたっぷり漂う” ”ザ地元のお店です、車で走っていてもなかなか

          出前もしてくれる町中華の名店を新規開拓した

          結婚28年目にして初めて一緒にスーパーへ買い物に行った話

          子宮頸がんの手術から8日経ち、退院して自宅療養となった。 退院の時に「当面重いものは持たないように」と言われ、しばらくは食材配達サービスOisixに頼ることにしたが、やっぱりそれだけでは間に合わないものもあり、思い切ってオットにスーパー同伴を頼むことにした。 スーパーで一緒に仲良く相談しながらカートを押しているご夫婦を見る度、ちょっと不思議で、「自分には一生無理だろうな・・・」と思っていた。 そんなに、じゃなく、結構仲が良くない我々夫婦は、出かけるときは常に別。日常会話

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          「ぼくは君たちを憎まないことにした」どこまでも美しいフランス映画のリアリティに泣いた

          フランス映画って美しいんだ だから最後までひきつけられて見てしまうんだ そしてまっすぐメッセージを受け取ってしまうんだ そう思った映画だった。 2015年にパリで起こったテロで妻を失ったフリーライターが3歳くらいの息子と生きていくストーリー。 これは毎朝楽しみに見ている「キャッチ 世界のニュース」の月一の映画コーナーで知った。映画が好き、というより大学教授藤原帰一さんの解説が好きで見ているが、いつもちょっとニッチなものを取り上げている。 そのため地方ではほぼ見るこ

          「ぼくは君たちを憎まないことにした」どこまでも美しいフランス映画のリアリティに泣いた

          「着る服がない問題」の答えはnoteにあるかもと思う

          インスタや雑誌で一か月着回し術とか、服はスタメンだけ!とかを見て深く悩む。クローゼットに服はあるが、毎回出かける度に着ていく服がなく(何なら靴もなく)1時間くらい着たり脱いだりしているからだ。気に入って且つ似合う、何処へ着て行っても気後れせずにいられるスタメン服を数少なく持てるようになったら、どんなにいいだろう。 その1 洋服サブスクをためしてみた そこでインスタに出ていた、プロのスタイリング提案付きオンラインストアへ申し込んでみた。通常はスタイリング料として3000円か

          「着る服がない問題」の答えはnoteにあるかもと思う

          続続続・がん検診から子宮全摘までのアレコレ

          前回「これなら(手術翌日に)退院できるかも」と思うくらいだったと書いたが、もちろんそれは勘違いだった。 おかゆが呑み込めない。看護師さんも首をかしげるが、どういうわけか胸がつかえて何を飲み込むにもかなり苦しい思いをしないと喉を下りていかない。耐えられない程ではないが下腹も痛い。熱も出てきた。 けれどそれくらいなんであろう。もし開腹手術をしていたらこの比ではなかっただろう。あの思い出すのもつらい術後室で過ごした時間は×10だったはずだ。それに比べたら手術翌日にすべての管が外

          続続続・がん検診から子宮全摘までのアレコレ

          続続・がん検診から子宮全摘までのアレコレ

          入院当日は一人でタクシーで行った。 病院がまだコロナ対応を続けていて、見送りの人は正面玄関の前までしか入れないといわれたからだ。であればわざわざ仕事を休んで送ってもらうよりも自分でパッと行ってしまったほうが早い。 10時半までに病院へ行き、手続きを済ませて病室へ入ると後はすることがない。病室担当看護師さん、栄養士さん、手術担当の看護師さん、麻酔科医に主治医と入れ代わり立ち代わり来て、似たような問答を繰り返す。食品アレルギーはありませんとか消毒アルコールにかぶれたこともない

          続続・がん検診から子宮全摘までのアレコレ

          続・がん検診から子宮全摘までのアレコレ

          最初のがん検診で再検するよう言われた時、医師の説明がよくわからなかった。なんか出来てるんでもう一度それを取って細胞診しましょう、とのことで「癌ではないんですけどね」と付け足した。 そのナンカ、どは異形成というもので軽度、中度、高度とあり、私の場合高度と判定された。 何もしなければ癌化する可能性があるとのことで、選択肢は部分切除か全摘。部分切除だと、後で見つかったときに再手術になる可能性もあるそう。 がん検診→再検→再再検→手術のできる病院へ紹介 とここまでですでに3か

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          フォローしてもらってうれしかった話と翻訳出版界の謎について。

          長く遠ざかっていたNoteから新しいフォローのお知らせが届いた。 投稿どころか開いてさえいなかったのに。きっと指が滑ったとかなのだろう。。だって私の閲覧状況はコレ↓である。 でも指が滑っただけでもナンカの間違いでも、やっぱりうれしい。 それはフォローしてくれた人のお名前を見てさらに増した。 さる有名出版社に関係のある方らしかったからだ。 知識のない私にはすぐにピンとこなかったが、その由緒ありげな書体と〇〇書房の名にひかれて検索してみて、驚いた。 Wikipediaによ

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