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就活をやめて放浪した大学最後の夏 前編

中秋の名月の夜。
大きいお月様に夜道を照らしてもらいながら、私は誰もいないだたっぴろい道路の真ん中を1人、ほろ酔い気分で歩いていた。
「なんも見つからなかったけど、ここに来てよかったなあ」とぽろぽろ泣いていた。


この夏、私はコロナ感染者が増えて張りつめていく大阪を離れ、北は北海道東川町でCompathのプログラムに参加した。
約1年前にご縁がありCompathを知った私は、なりふり構わずCompathでインターンすることを直談判。晴れて、インターン生としてCompathの運営を手伝っていた。


とはいっても、移動が制限されているこの世の中。インターンはリモートで大阪から参加し、念願叶って現地入りできたのが、この夏のワーケーションコースとミドルコースだった。

今回は参加者としてではなく、ハウスマスターという立場での参加。ハウスマスターって、なんかポケットモンスターみたいな響きでよくわからない役目だが、簡単に言うと参加者と同じ場所で暮らしながら、生活面をサポートする寮母さん的な存在のこと。
東川のことも、Compathのこともまだよくわかっていないのに、見切り発車で寮母さんをスタートした。

Compathのnoteには「私個人」ではなく、「Compathの運営側で、ハウスマスターとしての私」として記事を書いた。なので、出来る限り出来事ベースの中立的な記事を書いたつもりだ。


でも、プログラムが終わった後に生まれるメンバーのnoteを見て、私も書きたいことがむくむくと膨れ上がり、自分にとってのミドルコースはどんなものだったのか書いてみることにした。

なので、今回は私の主観全力投球でお送りします。多少ネガティブだったり、こじらせている部分もありますが、温かい気持ちでご覧ください。


前日談:「もう東川には帰ってこない」

はい。早速のネガティブ発言ですが、ミドルコースの話をする前に前日談を少し。なぜならこの前日談が私の中では結構大事な期間だったので。

ミドルコースが始まる2週間前、私は初めてCompathのワーケーションコースに参加していた。この時も私はハウスマスターという立場だった。

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とはいうものの、東川町は初めてだったし、Compathの運営4人に直接会うのは今回が初めて。フォルケホイスコーレに留学したり、フォルケをモデルにしたプログラムに参加していたけど、運営側としての参加ははじめて。
「はじめて」づくしだった私は、ワーケーションコース中、常にパニック状態だった。私は何が出来るのだろう。何を求められているのだろう。ハウスマスターとして、Compathの1人として、そんな力んだ想いが先行していた。

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もっと言うと、私は大学5年生で卒業後の進路を決められずにいた。
なんとか答えを見つけないといけない。
なんとかここで手がかりを見つけたい。
そういう個人的な想いもあいまって、自分で自分を追い込んでいた。

同時に、運営側としてプログラムを作っていくうちに不満に思っている自分にも出会う。
私はフォルケや東北で「参加者」としてこういうプログラムに参加していた。だけど、今回いざ運営側として入ると、どうしても楽しめない自分がいることに気づく。参加者のために何かしたい。そういう想いが、自分の想いを抑え込んでいることに、不満を感じているようだった。


「これが本当に自分のやりたかった事なのかな?」

プログラム中に私の中でその問いが浮かぶたびに、打ち消そうと違うことを考えた。だって、その問いに向き合ってしまうと、就活を放棄してインターンしたこと、その前に東北で移住生活をしていたこと、そのもっと前にデンマークのフォルケに行ったこと、すべてを否定してしまいそうな気がしたから。

「そんなことをする前に、もっと自分がやるべきことがあったのではないか?」

そんな厳しい自分の言葉に耳をふさぎ、でも自分は選択肢を知らぬ間にたくさん失ってしまったのではないかと怖くなった。

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結果、ワーケーションコースが終わった後、私はヘトヘトに疲れ、落ち込んでいた。コース後にCompathのみなさんと別れる時も、「また近々!」なんて言いながら、心の中では「もうここには戻ってこれないかもしれないな」と思った。
そして、その夜私はホテルで一人号泣しながら、焼酎やビールをあおり、気絶するように眠っていた(へこみ方がおっさんぽくて我ながら笑える)。


「ああ、これが絶望なのかな」
夜中の3時に目を覚まし、気絶していた自分にあきれながら、私は胸に大きい穴が空いたような、喪失感と閉塞感を味わっていた。


ミドルコース前半:何もしない寮母さんに私はなりたい

とはいいつつ、2週間後には東川町に戻ることに(笑)。
なぜなら、私に残った選択肢が「ミドルコースに参加すること」しかなかったから。

大阪から帰った後もショック状態は続き、何も手につかず、ただただベットでごろごろする日々。
ギリギリまでミドルコースに行くか悩んだ。普通ならここで断って、遅ればせながら就活とやらをしたほうがいい。

でも、なんとなく自分の感覚的にここで就活をした方がもっと悪い状態になるような気がした。それなら、今自分が出来る最大限のことをミドルコースに使ってみよう。私はミドルコースにしがみつくように、すがるように東川に戻ることを決意した。

8月24日に始まったミドルコースでも、私はハウスマスターとして参加した。

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私のコンセプトは「何もしないハウスマスター」。理由はもちろん、自分に余裕がないから(笑)。

ワーケーションコースでは自分に出来ることがあると思っていたけど、それは過信で、自分はできないことばっかりだと気づいていた。それなら、その出来ないことをあえてさらすことで、みんなと繋がることは出来ないのかなと考えた。


あと、自分がのんびりしている背中を見せられたら、みんなももう少しゆったり構えて、学んでいけるのではないかとも思った。このコースは何かに一生懸命取り組むというよりは、心も体もほぐしながら、自分と社会と向き合う時間。それなら、みんなに一番近い運営側の私がゆったり構えないと、そんな空気出ないよなあとも思っていた。

そんなこんなで、私は自戒を込めつつ「のんびりいこうよ」とみんなに話しながら、心ではもやもやを抱えて前半の時間を過ごしていた。

みんなは私の思惑通り?、私が何もしなくてもいろんなことをどんどんやってくれた。お好み焼きを作ってくれたり、コンポストを始めたり、朝ランニングを始めたり。自分のやりたいことを自分なりに表現していくみんなはとてもまぶしかった。

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(後編に続く)


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