yuri_i

手羽先テレビジョン(バンド)やってます。

yuri_i

手羽先テレビジョン(バンド)やってます。

最近の記事

  • 固定された記事

人という生き物や人生について思ったこと

この文章で言いたいことを短めに表すと…「自分を信じる。自分の身体で感じた情報を信じる。そして、他者もまた同様に、当人のセンサーを信じているという意味において他人を信じる。そうするとだんだん楽しくなってくるよ。」です。  こんな簡単なこと、ずっとしてきたし、できていると思っていたのだが、その精度に問題があったなと思うことが近ごろ多く、気づきを元に私の行動選択も変化してきている。  焦っているときや、慌てているときは、今ここにある自分の感覚を無視して、これまでの経験や知識から

    • ”親ガチャ”という単語を心の辞書に登録できない理由を考えてみた

      ”親ガチャ”というワードが巷で流行しているらしいですね。 友人からこの単語を聴いたときは「なるほど、確かに子どもに親は選べないという意味では、理解できる。」と思いました。 いかにもインターネットで流行りそうなジャンキーなワードという印象。 それ以上でも以下でもない。 だけど何故だろう、私はこの単語が自分の言葉のストックに落ちてこない。自分の心の辞書登録機能は、この単語には適用できないと感じる。 余談:私と親私自身、親との関係には割と悩んだ方ではあります。おそらく反抗し

      • 声のコントロールと意識のキャンバスの関係性について

        (現段階ではまだ考察と仮説を立てたのみですが、たぶんこれは結構自分なりの正解なのではないかと思います。ややメモ書きに近い文章ですが公開。) ラジオでしゃべったり、インターネットで配信したり、電話で誰かと話したり、歌をうたったり、私はいろんな場面で自分の声を使っています。 さらに、その中でもさらにいくつかのバリエーションの”声”が私の中にはあったりします。 実はこのバリエーションの極端な違いについて長いこと悩んでいました。 声のキャラクターが多すぎる問題自分としては”声”の

        • 正義とか多様性とかの話

          正義がぶつかった時の対処法正義は人や組織の数だけある。それは皆さん生きていれば薄々わかってくることですよね。 そんな中「あいつは自分が正しいと思っている」(だがそれは間違いだ!)というあきらめ文句なのか悪口なのかわからない言葉があるじゃないですか。 私、実はこれをよく言われるんですけど(笑)…この言葉を言われるたびに「自分は正しくない」と思いながら生きてる人なんているんだろうかということを思います。 「自分なんてダメなんだ」「何もうまくいかないのは全部自分のせいなんだ」とい

        • 固定された記事

        人という生き物や人生について思ったこと

        • ”親ガチャ”という単語を心の辞書に登録できない理由を考えてみた

        • 声のコントロールと意識のキャンバスの関係性について

        • 正義とか多様性とかの話

          たった1曲の流行歌にも人類の歴史が見える話~マツケンサンバⅡから見る世界、音楽、日本の大衆文化、ある家族の歴史~

          J-POPってそもそも何だっけ?音楽ジャンルの定義なんて考えるだけ無粋であるというのが、私の前提としてあるのだけど、今日は少しそこに触れざるを得ない内容について書きます。 日本人が生まれて死ぬまで無意識に触れ続けることになる”J-POP”というジャンル。皆さんはその定義についてどのように考えているでしょうか。 ・日本人がやってたら全部、J-POP。 ・日本の芸能事務所、レコード会社から出てるポップスならJ-POP。 ・そんなん考えたこともないし考えたくもない! などいろ

          たった1曲の流行歌にも人類の歴史が見える話~マツケンサンバⅡから見る世界、音楽、日本の大衆文化、ある家族の歴史~

          ハリボテの国、日本。

          彼が 「ミュージシャンになりたい」 なんて思う若者だったとしたら。   ビンテージのギブソンレスポールを買って 立派な衣装を着て ジミー・ペイジのCD音源をバックでかけながら エアギターをして 「ジミー・ペイジです!」 と本気で言うのだろう。       ジミー・ペイジを知らない人たちは、 へぇ、日本人なのにその名前なんだ!と言う。   ギターを弾いたことのない人は ギターすごく上手ですね!と言う。   音楽をあまり聴かない人は 作曲もしてるなんてすごい!と言う。   日本

          ハリボテの国、日本。

          身体と思念の断絶・菅義偉さんの挨拶・この国の病理

          家族や友人たちと言葉を交わすときに、自分の言葉が自分の本心から乖離していると感じる…皆さんも多かれ少なかれこういう経験はあるのではないでしょうか。 そんなとき私は、タイミングやその重さは違えど「あ、まずいな…」と思います。 まずいから、口をつぐんだりする。 まずいとわかっていても勢いに任せて話し、後で後悔したりする。 とにかくその”まずさ”を放置すれば、遅かれ早かれ他者とのあいだや自分の中に「よくない気」が満ちて最悪の場合大きな失敗が発生することになったりします。 心にも

          身体と思念の断絶・菅義偉さんの挨拶・この国の病理

          第三の目について。そして、"第三の耳"を考える。

          どうも、自己存在領域におけるノンバイナリー音楽家・井塔由梨です。 今日私はある実験を行いました。 それは、”1つの動画に対して3本のマイクで録音した音声をくっつけてみよう”というものです。 よく、第三の目がどうのこうのって、いろんなジャンルや領域で見聞きすると思うのですが、それを耳でやってみようという実験です。 使用した機器はiPhoneXとTASCAM DR-40X。 iPhoneでビデオ録画をするとまず外カメラ付近にあるモノラルマイクで1本の音声が録れます。 さらに

          第三の目について。そして、"第三の耳"を考える。

          私の領域展開~歌は祈り。表現は次元のレイヤー。生きることは芸術そのもの~

           あらゆる表現の中で歌が最も簡単に祈りの様相を呈するという話を数日前にちらっとTwitterでしたけど、その歌の中にもいくつか種類がある。そのことは数回前のRadioひらいしん(ラジオ番組。埼玉のコミュニティFM、775ライブリーFMで毎週放送中)で相方のさえさんと話したりもした。  ヘッドボイス、ミドルボイス、チェストボイスという言葉がある。西洋的な音楽理論を用いた解釈では高い順に音域で分けられている指標のひとつだね。でも、歌唱する当人の持つ声帯によって音程を高く感じるか

          私の領域展開~歌は祈り。表現は次元のレイヤー。生きることは芸術そのもの~

          死にかけた私と存在しなかった友だち

          自分の人生について書くと言ったが、さて、どこから手を付けたものかと戸惑っている。自分で広げた風呂敷のでかさとその解像度の不安定さがすごい。 人生を時系列で語ることがこの場合適切だとは思えない。だが、手始めに自分が記憶している最古の自分の思考を書き記そうと思う。 時はおそらく1994年ごろだろう。1991年に生まれ、3歳になる年に私は川崎病という全身の血管炎症を引き起こす病気にかかった。おそらくはこれがきちんと語ることのできる最初の記憶だ。(ビジョンのみ残っている風景のよう

          死にかけた私と存在しなかった友だち