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第三の目について。そして、"第三の耳"を考える。

どうも、自己存在領域におけるノンバイナリー音楽家・井塔由梨です。

今日私はある実験を行いました。
それは、”1つの動画に対して3本のマイクで録音した音声をくっつけてみよう”というものです。

よく、第三の目がどうのこうのって、いろんなジャンルや領域で見聞きすると思うのですが、それを耳でやってみようという実験です。

使用した機器はiPhoneXとTASCAM DR-40X。
iPhoneでビデオ録画をするとまず外カメラ付近にあるモノラルマイクで1本の音声が録れます。
さらに、同時にDR-40Xでマイクを左前・右前に向けて録音を行いました。
累計3本のマイクを使って録音し、三方向の音を合体させたわけです。


さて、そもそも第三の目とかってどういうものなのかについてざっくばらんに考えてみます。
我々人間は平均的にみて左右に同じセンサーを持っているのは、皆さんお分かりかと思います。


目、耳、鼻、手、足…これらは左右に1つずつありますね。
目が一番わかりやすいので目で説明すると、1つしか目がないと我々は像の大小はわかっても奥行きを感じることができません。2つあることで2つの像を脳で処理して距離感を取ることができる。
耳も同様で、もし仮に耳が1つしかなかった場合、音の大小は分かるもののその距離感を図れません。
つまり目であれば像の世界を、耳であれば音の世界を、それぞれ2つのセンサーの存在によって2次元で認識できるようになるわけです。

では、第三の目とは何なのか。

手塚治虫さんの漫画で”三つ目がとおる”という作品があります。主人公の写楽くんの額に目があり、普段は絆創膏で隠していますが、外して開くと超能力が使えるようになり、頭脳も明晰になる。親友の和登さんと一緒に様々な謎を解き明かしていくという話です。

スピリチュアルの世界に視点を変えると、脳の中に「松果体」という部位があるのですが、これが人類の進化の過程で残った3つめの目のことであるという話が見つかります。脳について私はそんなに詳しくないのでよくわからないですが。

インドのチャクラの話の中では第六チャクラが第三の目と言われてますね。

どれもだいたい、第三の目を開いたり、見つけたり、活性化したりすることで「直観力が上がる」とか「なんらかの能力が開眼する」とか「運気が上がる」とか、そういうことが言われがちです。そして位置はおおむね額にあると言われることが多いっぽいですね。通常の視覚以上のものが見えるようになったりするって話に大体落ち着いているのかな。

私は思うのですが、これって、"2Dの視界を脳内補正して3Dでとらえようぜ"っていうのを、それぞれの領域っぽいカラー(表現)で書き換えてるんだろうなと。

2Dは二次元(面)で、3Dは三次元(立体)…つまり、世界の軸が3本(縦横高さ)になる。

目が2つから3つになるということは、軸がもう一本増えるということで、それによって映像の世界が立体になるよなと。

言い方を変えると、普段は平面で捉えている世界を俯瞰して立体的に見ることで、それまで見えなかったことを発見していこうと。そうすると、物事を的確にとらえることにつながり、結果的に直感の確度はあがるよなと。さらにそれを行動に昇華すれば発揮できる能力の信頼度も上がるし、それによって最終的に表れる結果(運気)もあがるよな。みたいな話なんだろうなと、私は思っています。


人間の脳は人体についている各種センサーを統合する場所ですが、さらに思考ができるので、意識的にでも無意識的にでもセンサー以上の情報を重ねてモノを見たり考えたりできるじゃないですか。多次元的な思考が可能になるというか。その“そもそも多次元的な脳内"を説明するにあたって、わかりやすく「目が3つになったと仮定しよう!」というのが第三の目の世界観の発端なんじゃないかなと思うわけです。

話は耳に移ります。皆さんは普段、自分が目と耳どっちを優先して使ってるかとか考えたことあるでしょうか。視覚にどれぐらい頼っているか、聴覚にどれくらい頼っているか、みたいなこと。

あんまり他人のセンサー事情は分かりませんが、こと、私に関していえば聴覚を駆使するのがとても好きです。(得意とか優位とかは測りかねるけど好きなのは間違いない)

分かりやすいところで言うと英語の文法や長文読解は全く集中できませんが、リスニングは得意だし、会話や音声を自分が再現する(まねっこ)のも得意です。

他の例を挙げると、隣の家の住人のケータイのバイブの音が聞こえると、どの機種かわかったりします。
イントロ当てクイズが得意で、イントロが始まる前の無音の段階で録音された時代やどの界隈のアーティストかの当たりをつけたりできます。

それから"そんなことあるかよ"と思われるかもしれませんが、携帯電話の音声通話(LINEとかではなく通話)をかけたときの"呼び出し音の揺れ"で、相手が着信に気付いてスマホを触ったか無反応かどうかがわかります。
さらに呼び出し後の"ブツッ"という音で、その次に留守電になるのか、"つながらないです"ってアナウンスが流れるのかもわかります。

(これがすごいことなのか当たり前なのかは謎ですが、わりと変なのだろうとは思っています。)

つまり私は普段、音によっていろいろなことを感じて把握しています。言いようによってはヒトに聞こえない音が聞こえているとも言えますが、私が思うにこれは耳をめっちゃ使い倒していて解像度が高い状態を保っているにすぎません。

このように、私は耳を駆使して生きてるなと考えたとき、ふと思ったのです。

"第三の耳"を持つとどう世界は変わるだろう?と。

先ほどまで語っていた第三の目と同様、耳を3つにした世界ではどのような世界が自分に聞こえるのだろうと思ったわけです。

そしてそのふとした疑問を理解するべくさっそく動画を作ってみたと。

頭で考えれば大体わかります。音も俯瞰する感じになる。その音像で動画を作れば、映像にプラスして、立体的な音声をつけることができるよなと。やってみて得た気付きを音楽などの表現に応用すると面白いのではと。

近ごろ私は音楽以前に音についてとても興味がありいろいろと実験を繰り返しています。

実験で、音と人体、音と自分、音についての周囲の認識のようなものの解像度を上げようとしているわけです。

音に対する理解を深め、音と世界、音と人間の関係性を理解することで、より変態的な音楽が創造できるのではないかなと思っているという。

…はい。


ところで、第三の鼻があったら。

匂いの世界を俯瞰するとどうなるのか。

おや、なんだか気になるけど全く想像がつかないですね。

元々別に記事にする気はなかったので本当にメモ程度の記事展開で終わります。

動画貼っときますね。30分ちょい喋っています。

第三の耳へのファーストアプローチ。

では、また。



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