どこが好きかなんてどっちでもいい

「まりかは俺のどこがいいのかねえ?
もっといい男、いるだろ?」
「全部!
タカシはまりかのどこが好き?」


まりかのメッセージはすぐ既読になったけれども、タカシからの返事はなかった。


いったい、恋に落ちるときはみな、どこを好きになるのだろう。

優しいところ?
かっこいいところ?
頭のいいところ?

まりかは、相手のどこが好きなのだろうと考えた時点で、それは恋ではなくなってしまう気がする。
それはそう、もっと動物的なものであっていいと思う。


同じ時代に、同じ場所にいて、人生が交差する。
その中でも、どういうわけかおたがいに引かれ合って、気持ちを寄り添わせ、唇を重ねたいと思うから。
それだけで十分だ。


そんなふうに思うようになったのは、1年に及ぶマッチングアプリ生活の賜物なのかもしれない、とまりかは思う。
写真もプロフィールも、ときに嘘をつく。
でも、生身の人間どうしが出くわせば、思考を超えて、動物的な勘でおたがい必要な人を嗅ぎ取る。
マッチングアプリは、パートナーを求める人どうしが出くわす場を提供する装置にすぎなくて、それ以上でも以下でもない。


なぜ恋に落ちるかなんて理屈はそこにはないし、ここが好き、あれがいいというのはすべて後付けで、要は好きになった人だから好き、なのではないか。
何かのきっかけでめぐり合い、目の前に現れた人が、動物としての自分に反応するか。
減点法にしろ、加点法にしろ、パートナーとして人生、たとえ部分的であるにせよ、をともにすごすに足る存在だと思えるかどうか。
それがすべてだ。


タカシは頭のよい人だ。

仕事を熱く語る彼の瞳はきらきら輝くし、必ず一緒に働く人への感謝が添えられる。
会社勤めで成功した人だけれども、それは肩書きを目指したのではなく、目指すところを極めていった結果、ついてきたものだ。

趣味の世界を語りだすと、止まらなくなって、まりかの話なんてそっちのけだ。
一緒に暮らす子どもたちをだれより大切にする。

背は高くないけれども、165cmのまりかがハイヒールをはいても文句を言わない。
器量がいいわけでも、スタイルがいいわけでもない51歳のまりかに、かわいいを惜しみなく注いでくれる。

わりとまめにLINEもくれるし、状況が許せば声が聞きたいと電話もくれる。
片道3時間かかるけれども、気にもならない。

そして、まりかのことが大好きだ。


どれも、きっかけにこそなれ、好きになる材料としては不十分だけれども、好きでいる材料としては十分すぎる。
恋は、丸山眞男がいうところの、「であること」ではなく、「すること」なのだ。


恋は落ちるものであり、するもの。
恋していれば、どこが好きかなんてどっちでもいい。
まりかはタカシが愛おしくて、タカシはまりかが愛おしい。
それはであることではなく、おたがいつねに思いやる中で、育ててゆくもの。
愛されている現状に甘えるだけではなく、おたがいつねに相手を愛し、愛される自分でいることが大切。


「まりか、今日は仕事?」
「ううん、これから仕事関係の研究会。
そろそろ行くね」


恋は始まったばかり。
息をするたび、恋をすることがすすんでゆく。

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