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「生きる」ことに自分なりの意味を

どうもカルアです。

もうすぐ年末です。
冬休みに、バイトでもしようかなと考えているのですが、なにがいいんでしょうね。
コロナ禍で雇ってくれるところがあるか不安ですが。

そんなこんなで今回のテーマは、「生きる」です。
皆さんは生きることにどのような意味や目的を持っているでしょうか。
そのあたりを私なりの考えで書いていきたいと思います。

生きるということ

生きるとはどいうことなのか、辞書で調べてしましょう。

①「人間・動物などが、生命があり活動できる状態にある。生命を保つ。生存する。」

②「そこを生活の本拠として暮らす。また、意識的能動的に毎日を過ごす。」

③「そのことに生きがいを見出して日々を送る。」

 ④「あたかも命があるような働きをする。生き生きする。また、理念などが失われずに後世まで伝えられる。」
の4つがあげられます。

つぎにそれぞれの意味合いを考えていきます。
①はただ生きているだけで、植物状態でも意味としては当てはまります。
②は群れて生きる生き物には必須の内容。
③は生きがい、生きる目的のようなものです。
④も③と似たようなニュアンスですが、その人の生きた功績が、人々の心に残るという意味に感じます。

この中で、①は本当に生きているといえるでしょうか。
①番の状態は一様は生きているが生物としては死んでいます。

これらのことから、他人と意思の疎通ができ、なおかつ日々をなんとなく過ごすのではなく、どんな些細なことでも価値を感じながら、暮らしていることに意味があると思います。そして、それが自分の人格に昇華されてはじめて、本当に生きているといえるでしょう。

生きる

これまでさんざん生きるという意味について書きましたが、
正直今を生きることに意味はないと思います。
しかし生きた意味は後からついてきます。

それは死ぬ瞬間です。
死ぬ瞬間に悔いがなく、満足できたならその人の生きざまには意味があり、価値があり、そして美しいものであったのだろうと私は思います。

逆に未練たらたらで、満足できなかった人生なら、それは自業自得です。
年齢とか関係ありません。
なぜならそれは、本当にしたいことをせずに、ただぼーっと何も考えずに日々を過ごした代償だからです。
本当に日々を自分のしたいことのために努力し、また少しでも日々の生活に意味を見出せていたなら、後悔はしないはずです。

そしてただ過ぎる日々に、意味を見出せなかったり、苦しみから逃れようとした末に、死を選ぶなどあってはならないことです。

意味を見出せないのは周りを見ていないから。しっかりとみれば些細なことでも気になり、何かしら自分の価値観に影響を与えるはずです。

そして苦しみから逃げるのはいいですが安易に死を選ぶべきではありません。
誰かがあなたを必要とするかもしれません。
あなたの中の価値観を、芸術や文章にすることで評価してくれる人がいるかもしれません。

この世に価値がないものなんてありません。すべてに何かしらの意味があります。たとえ辛くても、苦しくても、その経験は、かけがいのないものになる可能性があります。そしてそれは似た境遇の人を救う一因となれるでしょう。

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