ゆりあ🥂♥︎︎

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最近の記事

西欧からみた「きもの」:日本趣味のコケットリ

まえがき  きものの何の要素が起因して、ジャポニスムとなったのか。そこにはどのような価値観があったのか。東洋趣味(オリエンタリズム)および日本趣味(ジャポニスム)を構成する、日本の衣の服飾特性・文化史的特性を明らかにする。    そもそも、19世紀末頃の西欧における、「東方(オリエント)の女」に象徴される「(単独で)踊る女」とは、社交界のペアダンスを除いて、西洋の貴族社会においては、お金で買われる娼婦のような身分の女性であり、貴族の女性たちが禁じられたものを体現する生き方

    • 【本日の萌え言】 『念仏に舞う巫女はまやかしか』 踊念仏と巫女の関係編&ドラマ所感

      「現世の罪は、現世限りよ。」 しなを作って松潤家康を唆(そそのか)す、何やら蠱惑的な巫女が踊り念仏の舞手となっております、2/19(日)放送の『どうする家康』。 視聴者からは、「巫女が念仏を舞うのはどうなの正しいの?」という声がちらほら上がっている模様。 芸能史を齧った受付嬢なりの見解を、すこし発信したいと思います。 まず、『どうする家康』公式サイトを見ますと、踊念仏を舞う巫女は、「歩き巫女」という設定になっています。⇩ 「歩き巫女」とは、かつての日本でよく見られた

      • 【本日の萌え言】『か弱き王子は白兎のように儚く美麗』劇中の髪型編

         先日このような記事をアップしたわけですが…⇩ 『【本日の萌え言】 岡田信長様の色気に発狂編』 本日の萌え言( 'ω')ギャァァァァァァ距離が近い🖤🖤🖤 美しいまんま衆道やん松潤家康の髷が女性の垂髪風なのとか、岡田信長が先進性を意識して 月代… ameblo.jp  感性のみで発信したため、服装史的な事実に対して誤認を招くような書き方だったので、室町時代の武家男性の髪型について、すこし発信してみたいと思います。 松潤家康の髪型 正面 よこ  松潤家康の、月代(

        • 光源氏の美しさ 『窯変源氏物語』にみる光源氏の容貌・舞楽・装束

          1.彼の美貌  彼は語る。  彼とは誰だろう。 また、女に擬えられる彼の容貌とは、どのようなものであっただろう。  「女の様に美しい男」であり、「神をも魅入らせる美貌」を持つ「彼」とは、光源氏である。 2.曲舞・白拍子・能『杜若』と、舞人としての光源氏の類似  曲舞・白拍子、いずれも中世の芸能で、一般的には男装の女性が舞うことに特色があるとされるが、筆者は女性に男装の装束を用いることで、実質的には少年装の効果を意図していたのではないかと考えている。少年の持つ

        西欧からみた「きもの」:日本趣味のコケットリ

          コケットリの表象;貴族社会を主流とした西欧女性服飾において

          裸身への罪悪感の無さから、幕末頃「原罪前の楽園の国」と評された国、日本。その裸身とは、官能美への賛嘆を喚起する理想的身体を意味するヌードというよりか、そうでないネイキッドと呼ばれる種類のものであったがしかし、現在の日本ではどうだろう。理想的身体なるヌードというものは指標として間違いなく存在するが、まだまだ裸身を官能美よりも猥雑な視線で捉え、消費する価値観のほうが、割合として優勢ではないだろうか。以降、女性の裸身による官能美と着衣の美との関係性について、どう発展し、最終的に日

          コケットリの表象;貴族社会を主流とした西欧女性服飾において

          女の隠喩としての花;芸術と倫理の狭間で

          【問題提起】  フェミニズムを語る時、とかく女性美を象徴する服飾を、男性の需要により造られたものとして、服飾における女性美=女性蔑視の表象とされる意見がしばしば見受けられる。これは美術作品にも近似のことが言えて、女性をモデルとし、とりわけ理想的身体なるヌードを描写した作品は、男性による女性蔑視に連なるものだとされる。  その意見は、社会学の視点において、【征服者と誘惑者】の構造に由来しているものと筆者は考える。社会的弱者が生存するためには、美でもって誘惑し、媚態を生ず

          女の隠喩としての花;芸術と倫理の狭間で

          コケットリの表象;貴族社会を主流とした西欧女性服飾において(全文)

          裸身への罪悪感の無さから、幕末頃「原罪前の楽園の国」と評された国、日本。その裸身とは、官能美への賛嘆を喚起する理想的身体を意味するヌードというよりか、そうでないネイキッドと呼ばれる種類のものであったがしかし、現在の日本ではどうだろう。理想的身体なるヌードというものは指標として間違いなく存在するが、まだまだ裸身を官能美よりも猥雑な視線で捉え、消費する価値観のほうが、割合として優勢ではないだろうか。以降、女性の裸身による官能美と着衣の美との関係性について、どう発展し、最終的に日

          コケットリの表象;貴族社会を主流とした西欧女性服飾において(全文)