神は見ておられる


※動揺しているので、校正がいっぱいいっぱいとなり途中放棄しました。所々乱文となりますがお許しください。

教会へ行くと、今日はなぜか人が多かった。というのも、今日は久しぶりにしばらく教会に来ていなかった人も教会に来るようなイベントがあったり、ゲストスピーカーが来ていたり、または遠方に住んでいるが、久しぶりに訪問してくれた人も多数いた。どうやらそれでまた彼らに会うために久しぶりにやってきた訪問者も多かった。少しだけプチ同窓会のような感じになった。久しぶりに、同年代の若者(とされるような)世代の人とも話をすることができて嬉しかった。

さて、その中に元某カルト化教会の時に同じ教会だったご夫婦が来ていた。始め全然気がつかず、そちらから声をかけてくださったが、私が教会にいけなくなる少し前ぐらいにだんだんフェードアウトしてきていたご夫婦であった。


なので、私に何があったかを全く知る由もなく(私も彼らに何があったか知る由もなかった)、この人たちには話しても大丈夫と言う安心感があり、断片的にいろいろ、どういうことがあったか話をすることがきた。その方も何があったか話してくれた。


なんだ。私にだけじゃなくて、みんなにもやってるんか、とある意味安心した。苦笑。

なんだ、その安心の仕方って感じだけど、
教会を離れようとする人には、みんな同じ手法でやってることに気づいた。
基本的には、やり方の内容は異なるけど、やってる事の本質は一緒だった。

フーバリングとか脱価値観とか、こき下ろしとか。自己愛性虐待の教科書どおりであった。

たとえ建設的な内容であっても、
牧師と違う意見を持ったら許されず、
なぜか

①こっちが折れる
②教会去る

二択になる。

無理だから、後者②にします。って言うか、
めんどくさいから言わないで宙ぶらりん状態にすると、

色々モラハラっぽいことを言ってくる。そして、ちょこちょこ何かの機会をうかがって誕生日にメッセージしてきたりとか、

子どものお試し行動的なのがある。

彼らがされたことも聞いたらちょっとほんとにやべえ内容だったんだよ。人としてもはや有り得ん、と言いたいレベル。

「ここの某カルト化教会でこんなことされました」。
それは別に悪口ではなく「こんなことがありました。言われました」ということ。これは悪口とかじゃなくて「事実」なんですけど、
ただの「事実」なんですけど、すごく罪悪感があったんですよ。それをねー、言っちゃいけないって思ってたんです。

私が言うことで、
変に傷ついて信仰から離れる人が教会員に出てきたら、私のせいになると思っちゃったんですよね。どんだけ自意識過剰なんだ、自分😅
いやいや、本物の信仰なんやったらそんなこと心配しなくて全然いいんだけど。

でもね、彼らがね、すごくあの必死に私の口封じをしようとした理由は、彼らのヤバさが他の人に伝わるとやばいから、むしろ彼らが私のことを恐れているだけだったんだなと思いました。だから彼らは教団の拡大の集まりとかに基本来ないんですよね。化けの皮が剥がされるのが怖いのかな。

私に何かあったらしいと知っていた今日久しぶりに来ていた別の方は、風の噂で知っているようだった。

そう、私は何も悪いことをしていないのだ。悪いことをしてきたように濡れ衣を着せられていた。彼らが本当は悪いことをしているのに、それを認めない代わりに私のことを悪者にしていた。生贄、見せしめとして利用したのだと思う。お前も俺に逆らったらこうなるぞ、と。(※私は逆らったりしないし、ただ話し合って落としどころを見つけたかっただけ。信仰に勝ち負けとかもありません) 彼らが悪いということの責任逃れをするために、身代わりになったみたいだった。ただそれだけであった。神は見ておられる。私が全く無実であったということを。

だってほんとに悪い事してないからさぁ。

全く何も悪い事していなかったってことがやっと、数年経って明らかにされてきたなって思います。

それに対して、彼らがどのように考えているのかな。謝罪も埋め合わせも一切ないんだけど。

今、そういうわけで、恐れをなしてきっと気が気ではないのかななんて思う。そして私はいつでも訴えることができる準備ができている。証拠はとってある。多分訴えないけど。

私は無実であった。あの時決別していてよかった。そして私はこのカルト化教会の元教会員で慕っていた方とも再会し、その人を励ますこともできた。新しいステージである。今自分がここに立てている事を感謝だし、誇りに思う。
よくここまで頑張ったと思う。


ここまでいろいろあった。パニック発作があった。パニック発作はひどかった。今もたまにあるが、相当良くなった。カルト化教会を出たことで、私は自分の人生や、自分の独立した信仰について探求し始めたし、むしろ私の信仰を理解し尊重してくれる教会とか理解してくれる仲間とつながるほうがずっと良いことを、今享受し、その喜びを噛み締めている。

某カルト化教会牧師のした事はそう考えれば、私にとっては100%益であった。そこまでひどいようなことがなければ、私はあのまま温室に何十年も入ることになったかもしれない。それはそれで幸せだったのかもしれないが、しかしながら私はなんだかんだ結構鋭いので、途中で気づいて結局出る羽目になったのかな。

くよくよ前のことを考えても仕方がないので、これからどうするかは、これからどうするかだけだ。

ただちょっと、
前何があったかを話したから、その時の記憶もいろいろ思い出されて、少し辛くなっている。

呼吸が浅いし、動悸がするようだ。

だからこうやって書き留めて整理しているのだ。

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