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マチネとソワレ

マチネとソワレは双子の球体関節人形であった。人形と言っても、ふたりは神様に愛された人形だったから、独りでに動くことができた。
マチネとソワレは町の仕立て屋であった。毎朝、日が昇ると、ソワレは寝床に入り、マチネが起き出して仕事を始める。日が沈むと、マチネが寝床に入る代わりに、ソワレが起き出して仕事を始める。
マチネとソワレはともに少年であり、少女であった。ふたりとも、艶やかな髪をおかっぱに切りそろえ、白いブラウスに膝丈の黒いコーデュロイのズボンをサスペンダーで吊っていた。
マチネの髪は太陽のような金色であった。瞳は晴れた日の空のような澄んだ青色で、よく覗き込めば、白くたなびく雲が青色に浮かんでいるのが確認できた。
ソワレの髪は月のような白色であった。瞳は夜空のような深い藍色で、よく覗き込めば、銀色のちいさな星々が藍色のうえで瞬いているのが確認できた。

マチネの仕事は、毎朝店を開け、やって来る客たちの注文を聞き、注文通りの型紙を作ることであった。客が店に来て注文すると、マチネは巻尺で客の寸法を測った。客が帰ると、マチネは作業台に薄く丈夫な紙をひろげ、さきほど測った寸法を元に型紙を製図した。
ソワレの仕事は、毎晩店を閉め、昼間にマチネが描いた型紙を元に服を縫い上げることであった。薄く丈夫な紙を、マチネが引いた線に沿って切り取ると、それらをひろげた生地の上にのせ、重石を置いて裁ち鋏で生地を裁断する。パーツごとに切り分けられた生地を、ソワレは足踏みミシンで丁寧に縫い、服を完成させた。
マチネとソワレは、言葉を発さなかった。ふたりは人形だったから、喉に発声器官をもたなかった。だからマチネとソワレの店はいつも静かで、ただ鉛筆で線を引く音や、鋏で断つ音や、足踏みミシンの動く音だけが響いていた。

ある晩、ソワレが店を閉めてミシンを動かしていると、扉を叩く音が聞こえた。この町の者は皆、日が落ちた後は仕立て屋が注文を取らないことを知っている。一体誰が何の用だろうかと、ソワレが作業を止めて扉を開けてみると、そこには立派な身なりをした半人半馬の女性がふたり、立っていた。ひとりは濃紅色のコート、もうひとりは濃紺色のコートに身を包み、ふたりともつばの巻き上がった黒の帽子をかぶっている。
濃紅色のコートが帽子を脱いで言う。
「夜分遅くに、失礼いたします。」
濃紺色のコートが帽子を脱いで言う。
「わたくしどもは、女王陛下の侍従でございます。」
続けて濃紅色のコートが、そして濃紺色のコートが、交互にこう言った。
「折り入ってお願いがあり、城から参りました。」
「女王陛下の開眼の日が、近づいております。」
「十五日後に、開眼式が行われます。」
「開眼式は、城で行われます。」
「庭に面したバルコニーで、女王陛下は開眼されます。」
「女王陛下の開眼は、城の庭から町の者たちに見守られます。」
「開眼式で女王陛下がお召しになる衣裳を、」
「どうか作っていただきたいのです。」
ソワレが音もなく肯くと、濃紅色のコートが言う。
「明日の朝、日の出後に、城へ来てくださいませ。」
濃紺色のコートが言う。
「門衛には、話をしておきます故。」

翌朝、日が昇ると、マチネは店を開ける前に城へと向かった。城は、町の真ん中を通る幅広い道の最奥にあった。
人間の体に狼の頭をもった門衛たちは、長い槍を片手に城の門の前にずらりと並んでいたが、マチネを確認すると左右に捌け、真ん中を開けた。門が開くと、ふたりの護衛官が「お待ちしておりました」とお辞儀をして、マチネを城の中へ案内した。
女王陛下の部屋に通されると、マチネは真っ直ぐ歩み、玉座の女王陛下に跪いて一礼をした。女王陛下は額いっぱいの単眼を閉じたまま、黙している。
「女王陛下、仕立て屋が参りました。」
「仕立て屋、採寸を。」
ふたりの護衛官が代わるがわる言い、マチネは女王陛下の側へ案内された。マチネはふたたび一礼し、巻尺を取り出した。
女王陛下は殆どが頭部で、四肢は枯枝のように退化していた。額を覆う大きな単眼は矢張り閉じられたままで、女王陛下はその瞼を時折ぴくりと痙攣させた。マチネは巻尺をたっぷりと伸ばし、女王陛下の広い首周りを採寸した。背中、肩、胸周りを採寸し終わると、マチネは一歩引き、恭しく一礼をした。

女王陛下の開眼が近づいているという噂は、瞬く間に町中に広まった。国はこれまで二百年以上、女王陛下の治世下にあったが、女王陛下は生まれて此の方瞼を閉じたままであった。
町の噂話は、もっぱら女王陛下の瞳の色のことで持ち切りだった。ある者は、女王陛下の瞳は夕焼けのような赤だと言い、またある者は、雪の日のような銀色だと言った。やがて噂話は女王陛下の瞳の色のことに留まらず、開眼式の衣裳のことにまで及んだ。マチネとソワレが衣裳を仕立てるらしいということは町の者なら誰でも知るところとなった。しかしその衣裳が一体何色の、どんな形なのかまでは誰も知らず、町の者たちは好き勝手に噂を囁き合った。ただ、マチネとソワレならば必ず女王陛下の瞳の色に似合う衣裳を仕立てる筈だと、誰もが確信していた。

開眼式の日は、夜明け前に喇叭の音が鳴り響いた。ファンファーレに導かれて町の者は起き出し、城の庭へと集まった。
庭に町の者たちが十分に集まった頃、城の楽団はいっそう高らかにファンファーレを鳴らした。それを合図に城の上階のカーテンが開かれ、護衛官に支えられた女王陛下がバルコニーに姿を見せた。
女王陛下の衣裳は、月の無い真夜中のような烏木色であった。すべての光を呑み込む色だから、衣裳の仔細は町の者たちにはよく見えない。袖は無く、首から下をマントで覆っているだけのようにも見える。
女王陛下がバルコニーの椅子に座ると、ファンファーレは鳴りやみ、楽団は静かなワルツを奏で始めた。町の者たちは固唾を飲んで、女王陛下の単眼を注視した。
しかし、女王陛下は瞼を痙攣させこそすれ、開眼する気配は無い。やがて日が昇り、朝が来て、日が高くなり、昼になった。庭に集まっていた町の者たちの中にはちらほらと、家に帰る者、居眠りをする者が現れ始めた。女王陛下の侍医の見立てでは、確かに今日開眼するということだったが、侍医も時刻までは特定できなかったから、夜明け前からの長丁場の開眼式を行うしかなかったというのが事の真相であったが、町の者たちの中には女王陛下の開眼に懐疑的な者も現れ始めた。しかし、ひとり、またひとりと城の庭から消えていく一方で、祈るように女王陛下を見つめる眼差しも多くあった。
日が低くなり、日没が近づくと、天穹は墨のように黒く塗られ、地平線のそばに浮かぶ雲は赤く照らされた。ついに明るいうちには開眼を見られなかったと町の者たちが思ったその瞬間であった。女王陛下は瞼の痙攣をいっそう激しくさせ、粘性のある音とともにその大きな単眼を見開いた。額いっぱいにひろがる白眼が見られたかと思うと、上瞼の下から、ぐりん、と大きな瞳が現れた。それはまさに、日没の瞬間、太陽が緑の光線を放つ瞬間であった。女王陛下の瞳の色は、地平線から輝く一瞬の光を浴びたかのような、翡翠色であった。
その翡翠色の輝きは、まず女王陛下の首元を照らした。烏木色でよく見えなかった衣裳の首元には、実は大きな黒真珠のような宝石があしらわれており、それらが女王陛下の開眼によって翡翠色に輝き始めた。
宝石の光はこぼれるように衣裳の上を流れて、衣裳全体を翡翠色に照らした。幾重にもかさねられたレースには、繊細な糸で星座の刺繍がなされており、流れ来る光を受けて細かく輝いた。町の者たちは息を飲んだ。豊かなドレープが、日没後の闇の中で、大きな翡翠色の単眼に照らされていた。

女王陛下の単眼は、その後幾世紀にも渡って開き続け、国の繁栄を見守った。そして町の者たちは、昼と夜のはざま、女王陛下の開眼、そしてマチネとソワレの仕立てた衣裳のことを、後世にまで長く語り継いだ。

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