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ドッペルゲンガー

あれ、篠原さん? と、後ろから声をかけてきた彼女は、振り向いた私の顔をたっぷり一秒間眺めてから、人違いでした、ごめんなさいと詫びた。
だって、あんまりそっくりだったので。

彼女は今週から、この部署で働き始めた。以前は別の部署にいて、篠原さんというのはそこで働いていた同僚らしい。今度篠原さんのことご紹介しますね、本当にそっくりなんです、と彼女は言う。正直に言って興味は無かったが、興奮して彼女が言うものだから、ありがとうございますとお礼だけ言ってその話はお終いにした。

数日後のお昼休み、社員食堂で定食の載ったトレイを手に席を探していると、奥の席に座った彼女が私に大きく手を振っている。軽く会釈をして、彼女のほうへ歩み寄る。
ほら、前話してた篠原さん。
彼女は隣に座っているひと・・を私に紹介しようとした。
はじめまして、と挨拶しようとして、そのときようやく私は違和感に気づいた。
ひと・・ではなかった。そこにいるのは大きめの鳥、アオサギだった。長い首をへこと曲げて、私に頭を下げている。挨拶しているようだ。
ねえ、似ているでしょう? と彼女は楽しそうにアオサギと話している。冗談にしては手が込みすぎている。
私はなるべく冷静に、彼女の隣の席に座り、昼食をとり始めた。彼女は私のことを篠原さんに話したり、篠原さんのことを私に紹介したりした。篠原さんは六年前からこの会社で働いていて、彼女とは同期らしい。くちばしの先で器用に定食の焼き鯖を食べては、彼女の話に相槌を打っている。

初めて見たとき、てっきり篠原さんかと思ったの。すごく似てるんじゃないかなぁ、篠原さんはどう思う?

篠原さんは問いかけられて、ゆっくり瞬きをして肯いた。彼女は、そうそう、背格好とか、髪型とかね! と言って笑った。

これまで生きてきて、誰かに似ていると言われたことはあまり無かった。強いて言うなら、私は誰にでも似ていた。これと言って特徴の無い容姿だ。美しくもなければ、かと言って醜くもない。私の見た目はあまりにも平凡で、どこにでもいそうである。
篠原さんに初めて会った日の夜、私はベッドの上で、食堂にいたアオサギのことを思い出していた。すらりと細長い体。黒く、ひかえめな冠羽。
たしかに私も痩せ型ではあるし、黒いロングヘアをいつも後ろでひとつに束ねてはいる。けれど、そんなにはしゃぐほど似ているだろうか? そもそも私は鳥ではない。
そんなことを考えながら、いつの間にか眠りに落ちて、私はその夜動物園の夢を見た。

私と篠原さんが似ているという話は、あっという間に部署内に広まった。私も篠原さんにお会いしました、そっくりですね、とよく話しかけられた。私は曖昧に、そうですかね、と笑うことしかできなかった。社内で篠原さんを見かけると、軽く挨拶をするようになった。篠原さんも私のことを認識しているようで、私を見るとへこと頭を下げた。

ある日、仕事が終わって会社を出ようとしたとき、ちょうど篠原さんと鉢合わせた。お疲れ様です、と声をかけると、篠原さんはいつものようにお辞儀をした。
そういえば、篠原さんはどうやって毎日ここまで来ているのだろうか。行き帰りの電車や駅で見かけたことがないな、と思っていると、篠原さんは大きく両方の翼をひろげて空に飛び立った。一瞬のうちに空の塵みたいに小さくなって遠くへ行ってしまった篠原さんを見て、そうか、鳥だもんな、と私は独りごちた。

その日の夜はなかなか寝付けなくて、ベッドの上で何度も寝返りを打った。ふと、また動物園の夢を見そうだと思い、上半身を起こした。枕元の目覚まし時計が、夜更けの時間を刻んでいる。私は両手を翼みたいにひろげると、ぶん、と羽ばたいて、夢と現の狭間に飛び立った。

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