【違うを知る、受け容れる】日本人のおもいやりとアメリカ人のおもいやり
ブラッドフォードゆり絵です。
読んでくださっている方、ありがとうございます。
名前を見ればすぐに分かると思うのですが、私は国際結婚をしていて夫はアメリカ出身です。
自己紹介の記事で少し触れましたが、私自身海外生活が長かったこともあって、私は自分が「海外慣れしている日本人」だという自負がありました。
英語だって分かるし文化の違いだって肌で感じて来た。外人の友達だって多いし、なんなら見た目や仕草・雰囲気も外人っぽい〜なんてよく言われて、自分のことを、国際理解をしている、グローバルで、インターナショナルで、外国のことをよくわかっている日本人だと、、、思っていました。
・・・本当のアメリカ人と生活をするまでは・・・。(ゴォ〜〜〜〜ンみたいな効果音)
国際結婚をして、いわゆる「外国人」と生活を始めることでまぁ出てくる出てくる日本人スピリット。
ほとんどの場合が『なんでそうなる!?!?!?(怒)』ということなのですが、でも実はこの『なんで!?』が国際理解、ひいては夫婦関係、さらに人間関係全般において非常に大切になるのではと感じることが最近多く、今日はそのひとつのエピソードをシェアしたいと思ったのでブログの筆をとっています。
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私「ねえ夕飯なににしようか」
夫「うん。僕はピザを食べるよ。」
私「・・・私は?(怒)」
夫「君はなにを食べたいの?」
私「なにをって・・・・・。」
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先日の夫婦での会話です。
確かに我が家では食文化が違うこともあって、夫→ピザ・私→納豆・子ども→素うどん、みたいにそれぞれがそれぞれ好きなものを食べることがよくあるんです。
でも、夫のこの発言には思いやりを感じずについ
「なんで自分だけなの?」
と、つめてしまいました。
私としては、
「僕はピザを食べるよ。」(断言)
ではなく、
「ピザなんかどう?」(提案)
だったらもう少し思いやりを感じる。
貴方の言い方は、自分のことしか考えていないように感じて私への配慮が欠けているようで寂しい。
そんなことを怒りながらも伝えてみました。
彼の答えはこうでした。
「ピザが食べたいのは僕の希望だから、それを押し付けないように君がなにを食べたいかを聞いたのは僕の君への思いやりだよ。」
!!!!!
なるほどと思いました。
自分のことよりもまず人のこと、の日本人。(もちろん人によりますが。)
「これがしたい」と主張をするよりも
「これはどう?」と問い掛け、調和の中で同じ答えを一緒に出す。
それに対して
まずは自分の主張をするのがアメリカ人。(これももちろん人によりますが。)
そのあとで相手の主張も聞き尊重する。その答えは必ずしも同じじゃなくても良い。
どちらも正しく美しい考え方ですよね。
ふたつの違った考え方です。
夫はこんなことも言っていました。
「僕が食べたいだけの理由で君もピザを食べたいと決めつけるのはそれこそ思いやりがないと思った」
私は、
ほぉ〜〜〜〜。と思いました。
私たちは無意識に
自分が良いと思ったもの=他人も気にいるだろう
と想像しがちです。
「これ美味しいよ!どうぞどうぞ!食べて食べて!!」
って、私もよ〜く言います。
でも、当然だけど
自分の常識=誰かの常識
とは限らないんですよね。
それどころか、思いやりがなく配慮に欠けた結果になる可能性も秘めている。
どちらが良いも悪いもない。
ただただ「違う」だけ。
そんなことを、
アメリカ人との夫の間のしがない会話から学び、改めて
人と生きていくことは
違いを知りそして受け容れること
なんだなあと感じていました。
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