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川崎アネット桜餅事件

「『アネット』(21)でレオス・カラックス監督が来日登壇する」という発表が3月27日になされた瞬間、映画ファンたちは一気に沸き上がった。
カラックス監督は『汚れた血』(86)、『ポンヌフの恋人』(91)、『ポーラX』(99)、『ホーリー・モーターズ』(12)など、独自の世界観を持つ作品で世界的に評価されている映画監督で、日本ではミニシアターブームが起きていた頃にもより一層人気が高まって以降、その比類なき作家性がファンを虜にして止まない。
そんな前置きはさておき、カラックスが登壇するのだから、オンチケット発売開始の瞬間に座席を抑えたい、抑えなければならない。3月30日になった瞬間、渋谷 ユーロスペース、角川シネマ有楽町、グランドシネマサンシャイン 池袋のオンラインをチェックしたが、同じ想いを抱えた多くのファンの熱さにより即完していた。しかし、109シネマズ川崎だけはなんとか奇跡が起こり買えたのである。最高だ。土曜日の朝10:30からの上映ではあるが、行くしかないであろう。前日、深夜12時近くまで労働していたが元気に起床し川崎へと向かった。

4月2日。109シネマズ川崎では、開場少し前になると入場口に長蛇の列ができていた。恐らくタイミング的にほとんどの人がこれから共にカラックス登壇回の『アネット』を観るのだな、と思うと何だか勝手に胸が熱くなった。
スクリーン1での上映だったので、満席だとすると200名はゆうに超えるキャパシティである。きっと何年も前からずっと監督のファンだった人もいるのだろう。こんな時勢だけれど、来日した映画監督を大勢で見られるのは嬉しい事だなと思っていた。
予告編が終わり、いよいよ本編へ――。映画然とした始まりとSPARKSによる楽曲に心が躍り、冒頭から一気にテンションが上がり、感極まって涙が出そうになる。
と、その時聞こえてきた(キーン、トントンというマイクをオンにしたような音)テスト、テスト。こんにちはー、おはようございます、マイクテスト」という音。一瞬で、「ん!?これは、そういう演出なのか?日本や日本人キャストが少し出てくるとも聞いているし……」という疑念から、「いや、ラゾーナ川崎プラザの何らかのイベント前のマイクチェック音声が混線して入ってしまっているのでは!?」という確信へと変わった。
しかし今日は記念すべきカラックス登壇回かつ初鑑賞日である。一瞬たりとも目を離したくなかった私は、それが最初で最後のトラブルである事を祈りつつ本編に再び集中した。

だが、それを上回る悲劇が再び起きる。しばらくして、めくるめく展開に心を奪われていた矢先、今度は先ほどとは違う女性の声で「このように桜餅を……(曖昧な記憶)……使い終わられましたら針は針山にお戻し下さいね~~……(曖昧な記憶)……三色団子もこのように……(曖昧な記憶)……」と、まあまあ大きなボリュームで聞こえてきた。桜餅というワードが何回か連呼されている。

これは、絶対に何かのイベントの混線、間違いない。しかも、全然止む気配がない。一体何のイベントなのか。もう桜餅というキーワードが強すぎて内容が頭に入って来ない。アダム・ドライバーと桜餅。マリオン・コティヤールと桜餅。レオス・カラックスと桜餅。SPARKSと桜餅。あり得なかったはずのコラボレーションが実現してしまった。本作のコピーは「愛が、たぎる――。」だが、今や桜餅がたぎっている。
自分の座席は中程の位置にあり、どうしようか思案していると、周囲の人々が映写室に気づかせようと挙手したり、スタッフに知らせに席を飛び出したりしていた。
それでもなかなか止まない桜餅の何らかのイベントMC。仕方ない、この声の主のお姉さんだって、今、映画館にも中継されてしまっているだなんて想像すらしないのだから。だけどどうか、109シネマズ川崎のスタッフよ、早めに気付いてくれ、『アネット』が桜餅で埋め尽くされてしまう前に――。
そう願い続けて永遠にも思えた体感1分間近くが経過した頃、朗らかなMCは消えた。良かった、もう桜餅×『アネット』は免れたんだ。ありがとう、スタッフに知らせてくれた人たち。そうして場内全員の一体感を感じつつ、意識は本編に戻った。かなりの桜餅への意識をも残しながら。

心震えるような余韻を持った終映後、照明が点くと観客席からの大きな拍手が起こった。言葉にできない素晴らしさをこうして表現する瞬間は、制作者や劇場に敬意を感じるので何度見ても実に美しくて好きだ。
『アネット』はめくるめく人生と愛、暗部を覗いてしまった人間の悲劇などがダイナミックかつファンタジックに描かれており、あたかもギリシャ神話に於ける"オルフェウスの冥府下り"のようだった。ミュージカルという手法を用いた事により、より感情がフルに表現されて圧巻としか言いようがなかった。言いたいことは沢山あるが、登壇時について話を戻したい。
スタッフが現れ、黙々と登壇イベントの準備が始められていく。「あ、さっきのトラブルの説明はしない方針なのかな、最後にするのかな」と思っているうちにカラックス監督、通訳の方、MCをつとめる矢田部吉彦氏が登壇し、いっそう強い拍手で迎えられる。
「カラックスはさっきの桜餅事件を知らないといいな……」という一抹の不安が頭をよぎる。MCの矢田部さんが話し始め、通訳さんとカラックスがそれに続こうとした瞬間、マイクがハウリングして「キーン」という音が鳴り響く。カラックスと通訳さんのマイクがハウっているのだ。
イベント時に、こうしたトラブルは時折どうしても起こってしまうので仕方ない。無線は混線するので有線マイクに急遽切り替えたため、準備が間に合わなかったのだろう。先ほどの桜餅事件も、もう終わった事。素晴らしい新作をこうして観られたし、しかも生カラックスが目の前にいるのだし、今は嬉しさしかない。早速Q&Aが始まり、それぞれの質問に真摯に答えていくカラックス。通訳さんと1本のマイクを共有しているので話しにくそうではあるし、質問用マイクの準備は間に合っていないしでてんやわんやな状態だけれど、熱心なファンとの交流の時間は心地いいものだった。
しかし、そこでも悲劇は起こる。またしても、何らかの別イベントの音声が、不定期で薄っすら混線している。アニメの声優さんのような、ハツラツとした男性の声が……。ハラハラしながら見守ったり、カラックスの回答に頷いたり忙しい感情に身を委ねているうちに、時間は終了。色んな事が同時多発し過ぎて、謎の高揚感すら生まれていた。
最後に日本に向けたメッセージを求められたカラックスは「メッセージというものは苦手なので何を言ったらいいか分からないけれど、私は今日、川崎に初めて来て、正直自分が今どこにいるのか分からないです」というような事を言っていたのが、とても良かった。
ようこそレオス・カラックス監督、これがKAWASAKI。カラックス最新作と桜餅をマリアージュさせる磁場を持つのが川崎。

この上映には別の座席で知人も観に来ていたため、お互いの存在を認識してすぐさま「桜餅!!!!」とハモってしまった。周囲の人々も「どうなるかと思ったよ~」と漏らし、結構な割合があまりの斜め上過ぎる出来事に笑っていた。
かなりのエネルギーを要した気がしながらスクリーンを出ると、トラブル対応としてロビーでは109シネマズの招待券を配っていたので遠慮なく頂いた。
スタッフの方々も今日は生きた心地がしなかった事だろう。怒っている人もいるだろうけれど、個人的には一生忘れない“生っぽい”体験ができたのでエンジョイできた。ただ、登壇セッティング前に誰か何か言った方が印象は良かっただろうとは思う。

ちょうどお昼ご飯の時間帯になっていたため、知人とは『アネット』への感想と共に、この歴史的珍事件について大いに語り合った。
解散後、知人により桜餅というのは「香るちりめん和菓子作り」の事だったと判明する。

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そうか、だから桜餅で三色団子で針山だったのか。謎が解明され、ますます『アネット』とのギャップが味わい深く思えた。まさかレオス・カラックス監督作で日本の春を感じる事になるとは。
今夜は恐らく、『アネット』と桜餅の事を考えながら眠りにつくだろう。
明日は桜餅が食べたい。
そして桜餅抜きで『アネット』も再度鑑賞したいと思っている。
いつの日か、あの場に居合わせた人々も含めて『アネット』川崎桜餅エディションと通常版について語り合いたい。

『アネット』公式HP
https://annette-film.com/

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