「当事者」であること(2)”ジェンダーの当事者”とは誰か
前回、「当事者」であることと「研究」について書きました。
そうしたことを考えてきたときに、ふと浮かんできた疑問があります。
それは、
”ジェンダーの当事者”とは誰か?
ということ。
私の考えは、
「全員」
なのですが、おそらくそうはなっていないのではないでしょうか。
数か月前から、なかまと「ジェンダー読書会」なるものを続けているのですが、
昨日、ジュディス・バトラーの「恐れなき発言」についての論考を扱いました。
”私はジェンダーの当事者である” と、「発言」することにはどこか「勇気」が必要になっているように思います。
(実際、私がこのnoteを「公開」しようと決断するのに半年くらいかかりました)
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