見出し画像

ウズベキスタンdairy3「カラカルパクスタン共和国へ」

〇〇スタンという国は色々ある。ウズベキスタン、パキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタン、カザフスタン、タジキスタン・・・この「スタン」の意味は「〜の国」または「土地」を意味するペルシャ語だそうで、ウズベキスタンはウズベク人の国、という事になるらしい。

ではカラカルパクスタン共和国、は聞いた事があるだろうか。私は全く、1mmも記憶に無かった。30代になっても、まだ知らない国があるという事に、文字通り世界が広がったかのような、不思議な開放感があった。

ウズベキスタンの旅から帰ってきてもう2ヶ月近く経つけど、このカラカルパクスタンの事を思い出すことが多い。ガイドブックにも載っていないし、おまけのような扱いをされることが多い場所だけど、非日常感や異国を感じたい人にはオススメしたい。不思議な魅力があるところだった。

カラカルパクスタン共和国は、共和国とはいえ国とは承認されていない、いわゆる未承認国家らしい。ウズベキスタンの国内にあって、人口は約170万人。未承認とはいえ首相もいるし、独自の憲法も持っている。カラカルパク語もある。

ちなみにカラカルパクスタンの意味は「黒い帽子を被る民族の国」だそうだ。

何でまたそんなところに?と聞かれるけど、これは本当に偶然だった。前々回にも少し書いたけど、ウズベキスタンの主要都市の一つであるヒヴァに行くためには、通常は首都タシケントから飛行機でウルゲンチ空港に行くのだけど、その区間のフライトが取れなかった為に、ウルゲンチから更に西のヌクス空港まで飛んで、そこからタクシーでヒヴァまで向かうことにしたのだ。

この「ヌクス」という街がカラカルパクスタンの首都なのだった。

画像1

写真:ヌクスで泊まった宿「Jipek Joli Inn」の中庭。奥にユルタと呼ばれる遊牧民のテントがある。泊まれるらしい。

ここからは日記から引用。

2019.10.5 曇り時々晴れ

ヌクス行きの機内から外を眺めていた。私は飛行機に乗る時はなるべく窓際の席を取るようにしている。飛行機から見る雲の模様や夕暮れのグラデーション、宝石のような街の灯りを眺めるのが大好きだから。

大きな入道雲を抜けた後、細かい鱗雲が地平線の向こうまで続いている。外はもう暗く、灰色の波がどこまでも続く。もしかしたらヌクスに着いたら雨かもしれないなぁ、と思った。

遠くのほうに小さな光が見える。
あれ?あの辺は雲が無いのかな?と不思議に思っていたら、だんだん光が増えてきた。

私が鱗雲だと思っていたのは、全て砂漠の波模様だったのだ。

高度が下がってくると光の粒が線になって見えてきた。砂漠の中を通る一本の道。その先に灯りの集合が見えてきた。ヌクスだ。ヌクスは砂漠の中にある街なんだ。

ヌクス空港に着いたのは19:20だった。
昨日もそうだったけど、飛行機の着陸時に拍手が起こる。この感覚、好きだなと思う。

宿の中庭で夕飯。チャイハナと呼ばれるベッドのような座敷に座る。

画像2

写真:チャイハナ。大きなベットの上にコタツがあるようで、とっても居心地が良い。カフェにこのチャイハナスペースがある時は迷わずそこを使っていた。靴を脱いで上がるので、欧米人はあまり使っていなかった。

日本ではラグビーW杯の日本対サモア戦がやっていた。夫は試合状況をWi-Fiに繋いで確認していた。どうやらドラマチックな展開で勝ったようだ。
世界は広いんだか狭いんだか。

翌朝、ゆっくりと朝食をとった後、ホテルからほど近い「イゴール・サヴィツキー美術館」に向かう事にした。「カラカルパクスタン 観光」で調べると、ここか、アラル海を観にいくのが定番らしい。

何年か前にNHK-BSで特集されたというこの美術館は、旧ソ連圏の中ではロシア美術館に次ぐロシア・アバンギャルドのコレクションが有名という事だった。

(NHK BSプレミアム「知られざるロシア・アバンギャルドの遺産〜スターリン体制を生き延びた名画〜」(2003年制作)再放送して欲しい……!

暗い雰囲気の絵が多そうでそんなに期待はしていなかった。私は割と絵画の影響を受けやすく、暗い人物画が苦手だ。デンマーク現代美術館で自画像展を観た時は、あまりの視線のきつさや自我に当てられて、トイレで吐いたくらい。

あまり知識もないまま、特に期待もせずに入ったこの美術館が素晴らしかった。

画像3

写真:美術館外観。全く人がいない。というか、ヌクスの街自体人が少ない。

入り口で荷物を預けて、吹き抜けの階段を上がると所狭しと絵画が並んでいる。だいたい100年くらい前の絵が多い。暗く物悲しい色調。労働者を描いたものが多い。雪が積もった広場で歌う女の子、自動車の工場、視線を流す女達。

旧ソ連っぽく額縁もかなり質素。なんの装飾も無い木枠を釘で打っただけ、とか。

どれも当時の空気が痛いほど伝わってきて少し動揺した。自分が産まれるずっと前から人々は生活をしていて、それがずっと続いて行くことの果てしなさと儚さ。・・・ここ、もの凄く良い美術館なんじゃ・・・。

絵画コーナーの先には古い陶器、スザニ、アクセサリー、洋服などなど。大きなユルタもある。中央アジアはとにかく装飾が美しい。このコーナーは眼福だった。

画像5

画像5

写真:古い刺繍と、美術館内のユルタの内部

そしてサヴィツキー関連のコーナー。サヴィツキーのパスポートまで展示されている。パレットを持った写真が格好良かった。

ロシア・アバンギャルドは、19世紀末から始まったロシアの前衛芸術運動の事だ。1930年代に入るとスターリンによる過酷な弾圧を受け、多くの画家達がシベリアに送られ、作品は破壊されたそうだ。芸術より生産効率を上げることが良しとされた時代だった。

その弾圧から逃れてきた作品を、サヴィツキーは当局の目を盗み、取り憑かれたように収集&保護していたらしい。まさに命がけ。自分の使命だと思っていたんだろうな。

美大に行っていたので、日本美術や西洋美術は多少なりとも勉強してきた。けれどロシア美術は全く知らずにきた。調べれば調べるほど奥が深い。自分の頭の中の美術史に新しい文脈が出来た。こうやってたまたま訪れた美術館で興味を持つ事が出来て嬉しい。こういうのも旅の良いところだと思う。偶然っていうのが大事。


外に出ると相変わらず快晴。
でもこの美術館を観た事で街の風景が変わって見えた。多少だけど、この場所の背景や文化に触れる事が出来たから。

遠くまで来たんだな、とまた実感した。

ウズベキスタンDairy part3でした。なかなか更新出来ずにいますが、年内には書き終えたい・・・!いや、書き終える!!




記事を読んでいただいてありがとうございます。いただいたサポートは、次のだれかの元へ、気持ちよく循環させていけたらと思っています。