アマチュアホルン吹きがホルンを新調する話【後編】

管楽器専門店「DAC」でローンの話を聞いた時点で、すでにホルンを購入しないという選択肢は私の中になかった。でもどうしても気にかかることが2つあったのだ。

1つ目は、夫に話を聞いてほしかった。夫に「やめとけば?」と言われて購入を先延ばしにするつもりはなかったので、相談ともちょっと違う。私は舞い上がりながらも、予算と月々の返済金額プランに無理がないことを冷静に判断していた。でもこんなに高い買い物をするのは人生初めてだったので、夫に話すことで自分のなかで整理をつけて決断したかった。あと、返済プランは5年に及ぶので、妻がこれからプチ節制生活をスタートすることを事前に知らせる必要があると判断した。
このとき彼は海外出張の真っ最中だった。ただでさえ忙しいというのに迷惑なのは百も承知で「どうしても話したいことがあるため、お手すきの際にご連絡いただけますと幸いです」と、夫婦間にあるまじきビジネスライクなLINEを送ったのち、無事話を聞いてもらったのであった。
ちなみに私が過剰に恐縮していただけで、夫はいつでもどこでも通常運転なのがすごい。海外出張中に高額な買い物を決断した妻に対しても、迷惑そうなそぶりを1ミクロンも見せない。彼のそういう器の大きさは尊敬に値すると感激する。いつも余裕のない私と違って、めったに取り乱すことなくどっしりと構え、かつ冷静沈着に思考を巡らし、中立な立場で物事を判断できる、そんな夫が大好きである。隙あらばのろけていきたいと思っているので、読者諸君は注意されたし。

話を本題に戻そう。もう1つ気になること、それは楽器の選定に関してである。まず選定してくれるプロ奏者とのコネクションがないので、音大卒・現高校音楽教諭をしている友人を頼って相談してみたところ、ありがたいことに、現在東京吹奏楽団に所属されている鈴木希恵氏に連絡を取ってくれた。そしてとんとん拍子で、翌週ダクで選定してもらえることになったのだった。平日だったが、偶然にもそのあたりで有休をとろうと計画していたのでむしろちょうどよかった。もうすべてのタイミングが良すぎて怖いくらいだった。
「希恵さん、すごくいい人だから(後述するがマジでとんでもなくいい人だった)初対面でもちゃんと対応してくれるよ!」と、背中を押してくれた友人。本当に良い友を持った。このご恩は一生忘れませんと伝えると、「そんなの必要ない」と、この期に及んで際限のない懐の深さを見せつけてきたので、「絶対恩返しするので覚悟しろ」と友人を脅迫した。これから友人をどうしてやろうか、人生の楽しみがひとつ増えた。

楽器選定にこだわりたかった理由は、購入を検討しているStomviがたった1本しかなかったからだ。
私が持っていた楽器選定のイメージは、まずメーカーを絞って、さらにそのメーカーの楽器数本の中からこれぞという1本を選ぶ、というものだった。実際それが一般的らしい。店に1本しかない楽器は選ばないように、との意見を提唱する人もいる。実際に試奏してみて、極端な鳴りムラはないように見受けた。しかし一介のアマチュア奏者でしかない自分の感覚が信用できなかったので、第三者の誰かに中立な立場でプロフェッショナルな判断してもらいたかったのである。

かくして私はちょっぴりの緊張とキャッシュカードを握りしめ、ある平日にダクへ赴いた。この数時間後には人生初の高額な買い物を決断しているかもしれない自分を想像しながら電車に揺られていた。なんとも言えない気持ちだったが、ただただ楽しみだった。鈴木希恵氏とホルン談議に花を咲かせている自分。マウスピース選びをしている自分。タガが外れてその他不要不急な買い物をしている自分。楽器を吹くことは決して安い趣味ではない。お金も体力も消費するばかりの未来しか見えないのに、不思議と久々に楽器をやっていてよかったと思えた時間だった。

ダクの試奏室で初めてお会いした鈴木希恵さんは本当に気さくな方で、図々しくも初対面とは思えないくらい打ち解けてしまった。私は楽しいとしゃべりすぎる癖があるので、ご迷惑にならなかったかが心配である。
希恵さんには、貴重なお話をたくさん聞かせていただいた。マウスピースには向きがあること。裏表に長さの違いがない管は、吹きやすさで向きを変えられること。直接ご連絡先を伺えなかったことが悔やまれるが、いつか個人レッスンをお願いしたいと思える方だった。とりあえず、東京吹奏楽団の演奏会には必ず行きます!!
心配していたたった1本のStomviだが、Stomviの楽器はひとつひとつの完成度が高いため、試奏してみたところ極端な鳴りムラはないようだし、過剰に心配する必要はないとの選定結果だった。私としても、プロであれば所属する楽団によってメーカーの制約があったり、使用する楽器を変えるリスクがあったりするだろうが、自分のように趣味の範疇でしかないのであれば、惚れ込んだ楽器を楽しく吹きたい、という気持ちが強かった。もちろん選択肢が多いことに越したことはないのだが、同じような理由で楽器購入を悩んでいる人がいるのであれば、私のように我を通した人間がいることもぜひ知っていただきたい。楽器とマウスピースを同時に変えたので現在絶不調だが、後悔は全くしていない。早くStomviらしい、のびやかで可憐な音を鳴らせるように頑張るね。むしろモチベはアゲアゲである。
それにメーカーを絞る時点で、ある程度楽器個体の影響を受けているような気がする。メーカーを決めたあと、同メーカーの別楽器を試したとしても、結局1本目を選ぶことが多いのではないか?アマチュアといえど、自分の感覚は存外侮れないものかもしれない。ぜひ自信をもって楽器選びをしてほしい。

こうして、私を取り巻く人々の優しさとタイミングの良さに後押しされ、ホルンを新調したのだった。今まで私を成長させてくれた銀ホルンへの敬意、そして複雑に絡み合う縁あって私のもとへ来てくれたホルンへの感謝を忘れずに、日々練習に励みたいと思っている。楽器をグレードアップしたことで表現の幅の広がりを感じるのと同時に、Stomvi本来の響きを引き出す難しさも実感している。音楽は一朝一夕でどうにかなるものではないことは、高校時代にいやというほど叩き込まれている。しかし私はもう、常に極限状態であった高校生ではない。コンクールの結果や校内アンサンブルコンテストの評価、オーディションによる下剋上に怯えることなく、自由に、楽しく、自分だけの理想だけを見つめて音楽に打ち込むことができる。いっぱい悩んで選び抜いたパートナーとともに音を奏でる、ただのアマチュア奏者なのだ。むやみに焦る必要などない。自分にプレッシャーをかけるのは自分自身しかいないのだから。
次の演奏会には、コンディション調整は間に合わないかもしれない。でも別にいいではないか。だってこの先の数十年、いわば一生の付き合いになるのだ。きっと分かり合えたころには、私にとっても、楽器にとっても、代えがたく楽しい音楽の時間が待っている。




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