演じて、無くなって、わからなくなった
何から話していけばいいのかわからない。
自分と向き合ってこなかったから。
いつも本音を隠して、人の目を気にして、嫌われないように生きてきた。
何も考えてない。バカそう。軽い。感情がない。
こんなことを言われるのが“いま”のわたし。
それが人に嫌われない方法だと生きてきた中でみつけたから。
本音でぶつかり合うなんて自分ではできなくて、まず自分の意志が心の奥底に眠っていて自分でもわかっていない状態なのに本音ってなんなのって話。
わたしは、自己主張が強すぎる人が怖い。自分はこうなんだ!自分は、自分は、自分は・・・「わたしには関係ないし。」これで壁を作って終了。
でも、よくよく考えてみば自分ができない自分の主張を当たり前のようにできている人を羨ましく、いや妬んでいたのかもしれない。
*****
わたしは中学生の時に365日マスクをつけて生活していた。
今思えば『顔面コンプレックス』みたいなものだろう。
中学の時に部活を1週間で辞めるという学年最速を叩き出し、部活をして当たり前だった中学校をざわつかせた。
案の定、友達は減ったし、自分からも離れてしまった。
部活というクラス以外でのコミュニティを失ったわたしは毎年、クラス替えの時に友達の関係構築をしなければならなかった。
毎日、わたしは誰かに嫌われてるんじゃないか悪口言われてるんじゃないかって被害妄想に悩まされどんどん闇が深くなる。
だから自分を隠す最強の盾がマスクだった。
自分が悪口を言われているのが自分が可愛くも綺麗でもないこの顔のせい。
って言い訳を作って逃げていたから。(悪口を言われていたのかどうかもわからなけどね笑)
歪みに歪んでいく自分の性格に拍車がかかったのは中3のいじめ
友達だった人から無視され悪口を言われ仲間外れにされた。
仲が良かった友達はそれぞれのクラスの友達を作っていてわたしは完全にひとりになった。
なぜか知らないけど毎日学校には行っていた。
逃げ方を知らなかったから。
死にたいとも思ってなかった。
苦しむことが怖かったから。
その頃から、わたしの心には
「顔が可愛いことが正義。ブスは底辺。」
「ブスなら明るいブスでいろ」
「いじられるだけ花がある」
という格言ができていた。相当歪んでいる。
自分がいじめられていることはすべてブスが引き起こしたことだと決めつけマスクで顔を隠して、自分を隠し出すスタートになった。
学校の中で顔が可愛いだけでカーストが上になると思っていた。
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高校生活、マスクからの脱却。
マスクはさすがにやばいと思って捨てた。
中学校の時の漫画も全部捨てた。
服も捨てた。
部屋も変えた。
全部今までのもの捨てた。
自分を変えたくて。
でもコンプレックスって消えるものじゃなくて心の奥底に残っていくもので、今でも消えてくれることはない。
未だに写真に映ることも苦手だし
笑顔(作り笑顔)を作ることもできない
今では改善されてきたよ。
メイクも覚えて(中学の時もこっそり研究していた)可愛くなる努力も本当にした。
高校ではいつのまにかキャラを作るようになっていた。
バカで、ドジで、何も考えてない女
不思議なことに、自分が無意識に作っていったキャラクターは本当の自分になっていったの。
言葉は自分を変えていく。
本当にその通りで、成績はだだ下がりで昔より鈍臭くなったし、考えることもできなくなっていった。
仮面が剥がれなくなって、いつのまにか自分の一部になってしまったみたいな感じ。
それでも、素の自分を出すよりかは100倍ましだと思えた。
*****
何年も(無意識に)演じていたら本当の自分がわからないくなっていった。
自分はもっと心の奥深いところで熱い想いがあったのかもしれない。
顔より大切なことがあるはず。
素の自分を受け入れてくれる人が欲しかった。
・・・
素の自分を受け入れてくれる人。
誰からでも好かれる人になろうとするあまり自分を消してしまった。
高校の時も八方美人で友達が数人疎遠になってしまった。
大切な人だけでいいのに。
みんなに、嫌われないように。
みんなに好かれるように。
ここまで話せば親のことも話さないといけないのかもしれない。
みんなから好かれようと思っちゃう理由とは。
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最近はむしろ人に興味がない。
いつかは離れていってしまうから。
なんて思っていたけど自分の内面と向き合いながら文章を書いていると自分は人に興味が人一倍あることがわかった。
でも、人に興味がないってことにすることで自分を守っていた。
最初っから突き放していれば自分が傷つくことがないから。
ここまで、なってしまったのにはやっぱり親の影響が強いんだろうなってわかる。まだ私は子供で、親の愛が欲しいんだ。
詳しく書けば親のことを否定する文章になってしまう。
だから、気持ちの整理ができるまでネタにすることはできない。
こうやって書いている時でさえ、涙が止まらなくて手が震えているから。
今言える精一杯のことは、『親にもっと愛されたかった。』
言葉ではなく行動で。
こうやって、自分が人と違う人生になっているのは間違いなく親の影響で、とても苦しんだし、感謝もしている。
悲劇のヒロインを演じているわけではないことだけはわかって欲しい。
こうやって親からの愛を求めすぎて、私は人から好かれようと思っちゃってたんだと思う。
この人に好かれているなら他の人に嫌われてもいい。
その圧倒的な支えである親からの愛が私にはちゃんと届いていないことが1番大きなことなんだろうな。
どんな親でも、子供のことを心配しない親はいない。
そうだとしても、言葉や態度で伝えてくれないと子供はわからないのです。
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いま、私は世界一周するためにいろんな行動を起こしている。
人に会いに行って、直接話を聞きに行ったり、企画を考えたり。
それを発信している自分も自分が演じているキャラの中にいることがわかるんです。
みんなが求めているだろう、勢いとノリで行動力がすごい女の子。
演じているというか、このキャラクターも自分の一部だけどこれがすべてではなくて、画面の奥では批判が怖くておどおどしている私もいるし、うまくは行かなくてうじうじしている私もいる。
2週間、家に帰らず旅をしながら生活してみてわかったのは、みんなが求めている自分を演じている時の楽しさと、苦しさと、虚しさで、精神が病んでしまったこと。
自分の素てなんだ。
自分が本当に望んでいるものはなんなのか。
私のしたいことって?
そんな悩みでいっぱいになってしまった。
それから、ある方とお話させてもらった時に
「世界一周するのをやめたら?」
と言われてしまった。
自分の核となるもの。
それがないのに、する意味はないと思う。って。
実際に振り返ってみれば、私には核なんてないことに気付かされた。あっても奥深すぎてわからない。
『世界は危ない。それなのに簡単には応援できない。』
「自分が支援して、感想を聞いた時に『楽しかった』だけだと本当に信用がなくなる。」
そう言われて、行って楽しかった♪だけではなく、『何をしたか』『何を得たか』が重要なんだって改めてわかった。
ここまで言ってくれる方も中々いないのですごく嬉しかったし、現実を突きつけてくれてとてもありがたかった。
わたしは自分の核となる部分を隠して生きてきた。
いろんなキャラを演じて、自分の素を出すこと、否定されることを怖がって。
自分の核となる部分。
それがなんなのか、自分の内面と向き合うためにこの記事を書いてみた。
顔面のコンプレックスに触れたが、私には数え切れないほどのコンプレックスがある。小さなものから大きなものまで。
全てから逃げてきた私だから、これから発信していきたい。
もっと、自分自身のことがわかるために。
自分が被っている仮面を剥がすために・・・
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