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寂しいけれど、楽しかったよね

子どもの頃、「地図が読めない女、話を聞かない男」みたいな本が流行った。

真偽のほどは置いといて「女の脳は地図に向いてない」とかなんとか。

だけどじつは私、地図を読むのが得意だ。簡単な地図ならだいたい暗記できるし、初めての場所で迷うこともない。

たかが地図くらいで堂々と自慢するような場面はないけど、自分の中で、ちょっぴり誇らしく思っていた。

だけど最近気づいてしまったのだ。この「特技」の致命的な欠点に。

最短ルートばかり辿っていて、回り道や迷子をやたらと毛嫌いしてしまうようになった。仮にまっすぐ5分で来られる道を、うねうね10分で来てしまったとしたら、必要以上にイライラしてしまう。

勝手に自己嫌悪タイムに陥り、「私の時間を返せ!」と地図に対して毒づく。隣の人には呆れられるし、自分のテンションも下がる。つくづく損な態度である。


地図だけならまだいい。じつは恋愛についても同じことを思ってしまう節がある。


「この人と一生一緒にいたい」と思って気持ちや時間を費やしても、残念ながらフラれてしまうことはある。こればっかりは自分の意志だけじゃどうにもならない。

そんなとき、つい「私の時間を返せ!」と地団駄踏みながら叫びたくなる。あの時間はなんだったんだ、結局フるなら最初っから近づいてくるなよ、と。

だけど、そうやって嘆いてる時間こそが損なのかも、と最近になってやっと気づき始めた。(というか親しい人に教わった。)

回り道しちゃったなら、その道の景色を楽しめばいい。すでに選んじゃった選択肢は変えられないけど、そこにどういう意味づけをするかは自分次第なのだ。そういう意味では、過去だって変えられる。いいようにも、悪いようにも。

かつて一瞬でも「運命かも」と思えた恋を、無駄だった時間とカウントするのはやっぱりもったいない。それが若気の至りだったとしても。

一緒に授業をさぼって河原でアイスを食べた思い出だったり、財布をすっからかんにしてまで深夜タクシーで会いにいった記憶だったり。確実に私の心を温かくしてくれた小さな物語の数々を、なかったことにしてしまうなんて、それこそ損でしかない。

「私の時間を返せ!」ではなく、「楽しい時間だったよね、別れるのは寂しいけど」と思えるくらいの器でありたい。

・・・なーんて偉そうに言っておきながら、まだまだ修行中の身なのだけど。


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