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月を満たすとは

占星術では月は拠り所と言われます。確かにそうです。安心とも言い換えられます。月の扱い方や解釈の仕方はとても難しく、大きく「感情」と捉えてみてもいいでしょう。



感情の中でも、自己保存欲求や生存本能に関わるレベルの感情です。幼少期に満たされるべき、極めて原初的感情とするとわかりやすいでしょうか。美しいものに触れる喜び、恋をする高揚感、自己実現の歓喜・・・そういった拡がりゆく感情ではなく、自己が脅かされないで安心していられるための本能的感情であり、それ自体は進化や成長を齎しません。



しかし、月の安心感は重要であり、それは守られるべきものです。ですが、時代的背景や不思議な「意図的な何か」が相まって、現状、私たちは月の自己防衛反応があまりにも強くなりすぎています。そのため、月を守ろうとすることで、太陽獲得や自立的成長への妨げ、あるいは、健全で満たされた人生を歩むための足枷せになっています。



私個人は、素の自分と本来の自己保存的感情の在り処(本当の月)は、出生時の月の反転の位置にあると確信しています。出生時の月が双子座であれば射手座、牡牛座であれば蠍座です。(ですから、満たすべき本当の月は反転星座にあります)出生時の月は写し鏡です。そこに囚われすぎると、その後の人生の歯車がすべて狂ってしまうのです。月が蠍座にあれば、「私は洞察力があり、真実を見抜く目を持った、複雑でミステリアスな人間である」と思ってしまいます。そのように在ることで母親や世界から愛され認められるーーと錯覚してしまうのです。



しかし、摩訶不思議なことに、それは「偽りの自分像」であるのです・・・これは気が付きにくいことですが、よく自分自身を観察してみると、そこにアイデンティティの拠り所を求めていることがわかります。出生時の月は偽りの自己像であり、囚われなのです。(これは本当に巧妙にできています・・・)



私はガーゼ素材のタオルやハンカチが大好きです。幼少時に感じた「母親から守られている、柔らかく包まれている」という安心感を思い出すからです。この月の安心感や好きという感覚はとても甘く、重要なものです。しかし、そこに拘りすぎたり、そこに何らかの依存を残すと、私たちは世界へ出ていくことが恐怖になります。月の視点から世界を見ると、すべてが自分を脅かす可能性のあるものとして映るからです。



7歳を過ぎると水星期に入り、少し世界が拡がって、私たちは好奇心で満たされます。金星期で恋をして、自分らしさや自己価値や「私の美」を拡大していきます。そして、母親なる存在から完全に自立を目指す太陽期を迎えます。



私たちの社会自体が、また、親自身が、この健全なサイクルから外れているのです。親は子を囲い込み、見えない鎖で子を繋ぎます。社会は温かさと受容性を持って若者を受け入れず、愛のない監獄と化しています。だからこそ、私たちは月の世界に逃げ込むしかなくなるのです。



しかし、本来は、7歳で月を卒業していくのです。それなのに、一生涯、月の段階から離れることができず、月を本当の自分であるかのように錯覚したまま、人生を終えてしまう・・・そんな悲劇に満ちた時代です。



でも、よく見てみると、新しい時代が訪れています。月は本当の寄る辺などではなかったのです。広大無辺な未知なる可能性である世界が拡がっていることに気づくでしょう。月がアイデンティティなどではなく、あなたには太陽があります。恐れを知らないバイタリティです。太陽は何にも寄る辺を求めません。たった今、裸一貫で歩き出すことができます。



傷つかないように自分を守る必要はない、母親の鎖に縛られている必要もない、安全に見える小さな世界に閉じこもっているなんてもったいない・・・そんな感覚が湧きあがってくるのではないでしょうか。



でも、ガーゼのタオルを捨てる必要はありません。それはふとした時に、あなたをそっと癒してくれます。自分は守られている、私はここにいていい、何も私を脅かさないーーガーゼに顔をうずめると、そんな感覚に包まれるでしょう。いつでも取り出せる柔らかいガーゼ・・・そんな位置に「月を収めておく」ことが、ちょうどいいのではないかと思います。月を満たすーーとはそういうレベルのことではないかなと、私は思っています。



ガーゼは月のゆりかごです。この世界のどこか一か所に(自分の内側に)月のゆりかごを作ってしまうと、いちいちそこに逃げ込むことになります。でも、自分自身が自分を支え、自分を包めるならば、どこにいたって、世界は安心できる場所になります。ここではないどこかへ逃避する必要もなくなるのです。それが太陽が月を内包した状態であり、大人になるということですね。



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