ミュージカル『FACTORY GIRLS』【女たちの邪魔をするな】

1回目に観てボロ泣きし、リピートして1回目よりもさらにボロボロに泣き崩れました。
現在東京公演を終わり、10月25日〜27日に大阪公演を控えているミュージカル『FACTORY GIRLS』です。

19世紀半ば、ヨーロッパからの産業革命の流れを受け急速に変わりつつあるアメリカ社会で、実在した工場労働者の女性たちの寄稿集「The Lowell Offering(ローウェル・オウファリング)」を元に、当時の女性労働者の闘争を描いた本作。

音楽・詞を担当しているアメリカ在住のクレイトン・アイロンズ&ショーン・マホニーが、ニューヨーク大学の学位プログラムのために書いた作品を下敷きにしているそうです。
その企画をブロードウェイの有名プロデューサーがサイトで紹介し、それを日本のスタッフが発見して、新たに日本版として再構築したという、非常に珍しい経緯の日米合作新作ミュージカルです。

歌の掛け合いが…百合!!

柚希礼音演じるサラ・バグリーは1840年代に「ローウェル女性労働改革協会」を創設した実在の人物。
故郷の農家からローウェルへ出稼ぎに来たサラは、ソニン演じるハリエット・ファーリーという「女性が自由に生きられる社会を目指す」同志に初めて出会い刺激を受け、女性労働運動のリーダーへと成長していきます。

ハリエット・ファーリーもまた実在の人物で、「ローウェル・オウファリング」の編集者です。
サラが女工たちの労働運動の中心となっていく一方で、ハリエットは女性の地位向上のためには権力者の男性たちの理解を得なければならないと考え、2人の道は決裂していきます。

この2人が、出会い同志を見つけられた喜び、それぞれの思いのすれ違い、対立する思いのぶつかり合いをすべて歌で表現するのですが、これがまたものすごく…百合!!

2人の歌の掛け合いに私が想起したのは、「ウィキッド」のエルファバとグリンダ。
互いを初めて出会えた唯一無二の存在として思い合いながらも、すれ違い煩悶する。
対立するシーンも、ミュージカルファンは「歌で喧嘩」に興奮してしまう生き物なので大変に百合でありがたかったです…!

「ウィキッド」のグリンダは体制に逆らわない保守的な女性で、エルファバとの道は永遠に別れてしまいますが、ハリエットは元々、方法論こそ違えど、女性が自由を得る平等な世界を目指す人です。そこで2人が最終的にどんな結末を迎えるのか。

個人的には、物語の中の女性同士の絆って、古今東西、引き裂かれて終わって切なさを消費されるようなことが多いので、そうならなかった物語としてこれは大事にしたい作品になりました。

運動の中でさえ弱者同士が権力者によって決裂させられるという構図も、現実によくあることですが、理想論であっても決裂したままでは終わらない、再び手をつなぐことはできると示す物語が存在することの意味は大きいと感じます。

女たちの物語

圧倒的に女たちの物語です。
サラとハリエット以外にも、たくさんの女性たちが過酷な労働と女性の立場の弱さの苦しみを表現し、2人に関わっていきます。

プリンシパルキャストとしては、サラと同じ工場で働くアビゲイル(美咲凛音)、グレイディーズ(谷口ゆうな)、マーシャ(石田ニコル)、ヘプサベス(青野紗穂)、フローリア(能條愛未)、そして語り役のルーシー(清水くるみ)と、ルーシーの母親ラーコム夫人/40年後のルーシーを剣幸が一人二役で演じています。

この作品は、「女2人物語」でもありながら、女性たちの群像劇でもあるのです。
この女性たちの変わっていく姿や絆もこの物語の中核となっていきます。

清水くるみ演じるルーシーは、純心で心優しい少女でありながら、当初は肺を病んで工場を追われる仲間がいても、仕方ないことと気にかけません。
無関心とは、心の冷たさによってでなく、学習によってもたらされるという明示だと思います。
社会によって私たちは何を学習させられているのか、何を学習させてもらえずにいるのか。現代人の在り様にも通じるように思えます。
そんなルーシーも、サラとのかかわりによって少しずつ変わっていきます。

いつも小競り合いをしていたマーシャとヘプサベスも、互いの痛みを受け入れて抱きしめ合える仲間となっていきます。
世間では「女子あるある」として見られがちな「キャットファイト」も、社会的な要求に影響されていると気づかされる瞬間です。

男性たちの反応

こういう物語では、少数の「理解者の男性」がヒーロー的に助けてくれるのが定石ですが、この作品では少し様子が違っています。

ハリエットに惚れ込む青年ベンジャミン(猪塚健太)や、移民労働者として労働運動の面からサラの協力者となるシェイマス(平野良)もいるのですが、彼らとの関係性の描写には多くの時間は割かれません。

ミュージカルでの歌は想いが昂り溢れ出した時の表現といわれますが、彼らとサラやハリエットの関係は、歌にすらなりません。
(結局恋愛面でも百合勝利って感じになるので百合オタは安心して見てください)

彼らは男性である自分の立場から、恋愛や利害関係で彼女たちを見ているだけで、本当に彼女たちと共闘する存在は、あくまで女性たちという描き方なのです。

しかしそれ以上にリアルなのは、13時間、14時間と長くなっていく労働に、女工たちの窮状を訴えるサラへの男性工員たちの反応です。
「俺たちも同じ条件で働いているのに、女だからって楽をしようというのか!」
と彼らは怒り、経営者側に付いて、暴力でサラを押さえ込もうとさえする。

えっ同じ条件で働いてるならあんたたちも運動に加わったらいいんじゃないの??バカなの???

と、同じことをサラもその場で指摘します。(バカなのとは言ってないけど)

でも、よくわかります。
現代でも、女性が何かアクションを起こすと「男だって辛いのに女だけ優遇されようとしている!」と騒ぎ立てる男が必ず現れるのです。

そして私はよく知っています。そういう男性は、たしかに辛い現状を抱えている。
それと同時に、女性が別の辛い現状にいることで何らかの得をしていたり、溜飲をおろしたりしている。だから、女性たちに闘って権利を勝ち取ってほしくないのです。

「男性が味方になることで救われる」というラインを完全に否定しきった作品は、日本のあらゆるジャンルにおいて、まだまだ希少な存在なのではないかと思います。

改善するなら…

とはいえ、この作品にもいくつか改善してほしいポイントはありました。

1.シェイマスがロリコンに見える!

シェイマス演じる平野良さん、とてもかっこよくて声も良くて素敵な役者さんなのですが、「天使」のような「少女」のルーシーの相手役としては大人に見えすぎて、ロリコンっぽさがやばい。
労働運動のリーダーってことで多少手練れ感を出すことも必要だったんだろうけれど、もう少しアンジョルラス風な青年っぽいリーダーでも良かったのでは?

2.教材としての意識の低さ

これは本当に声を大にして言いたいんですけど、
パンフレットに歴史解説がない!!
本当に、パンフレット何回かめくって「本当にこれだけ?」と確認してしまいましたよ。
歴史的事実、実在の人物を扱っている作品なのに、パンフレットにその考証や解説を一切載せてないとは思いませんでした。
ましてや、日本版Wikipediaに主役2人の名前が出てこないくらい日本ではあまり知られていない歴史なのに、なぜもっと彼女たちの時代を、史実を、運動を知ってもらおうとしないのか。もっと頑張ってくださいよ。

そして、映像化も商業的な成功とは関係なく教材として行って欲しいと思います。
私が労働運動で関わっている若い子たちに見せたいと思ったって、チケット代の高いミュージカルにみんな連れてこれるわけじゃない。

この作品に限らずですが、ミュージカル作品はもっと文化資本、教育資本としての自覚を持って広める努力をすべきです。
アミューズが本気になったらできるでしょ!

3.固有名詞が入ってこない

まず「ローウェル・オウファリング」。日本人にとって覚えにくいカタカナ語極まりないです。
どちらかというと英語表記の「The Lowell Offering」を見てから音声で聞く方が頭に入ってくるような気がします。

プロジェクションマッピングでカタカナ表記の字幕を映したりもしていましたが、芝居に夢中になっていると見逃してしまうくらい投影時間が短かったし、一瞬で読めるカタカナじゃないんですよね、「ローウェル・オウファリング」って。
セリフの中で「ローウェルの寄稿集、つまりオウファリング」みたいな際立たせ方をしてたら良かったかもな〜と思ったり。

あと、プリンシパルキャストの女性が結構多い芝居なので、最初のうちは誰が誰なのか覚えるのに必死になってしまうのも難点かな。
上手いこと、わかりやすい人物紹介を最初の方に挟んでくれたらいいのになあ…と思って見ていました。

4.「奴隷じゃないわ 娼婦でもない」

これはかなり重要な場面で歌われる歌の歌詞なのですが、聞いた瞬間やっぱりウーンとなりました。

この歌詞を歌うのは、奴隷状態のような労働をさせられている女性たち、また権力者によってセックスワークを強要された女性も中にはいます。
セックスワーカーを「娼婦」と呼ぶことも差別的表現なので、ある意味差別撤廃の訴えとして筋は通っているのかもしれませんが、これが現代に作られた新作ミュージカルだと考えると、もう一歩踏み込んで現代のセックスワーカーへの視点から表現を精査しても良かったのではないかと思います。

と、いろいろ物申したいことはあるのですが、パンフレットのインタビュー記事を読むと、脚本・演出家が女性差別への問題意識は持っているものの、まだまだ全然理解が足りない部分が多くあるのがわかるんですよね。
むしろキャストインタビューの方がしっかりしているような印象。

特にソニンは、別の取材で

「板垣さんのご理解もあって、歌詞とか言葉を作り上げる事を、私が(演じる)ハリエットと同じく、ライターとして自分の言葉として書くことをご理解いただきまして、練り込みました」(SPICE)

とも語っています。さすがだ俺たちのソニンさん。どこがソニンの書いた部分なのか知りたい!

原作の良さとキャストの力によってここまでの良作に押し上げられた面も多々あるのでは…?と勝手に想像していますが、それならば、また再演を重ねてさらにブラッシュアップされていってほしいなと思います。

大阪公演チケット、まだ全日取れるようです…。再演や映像化のためにも、もうちょっと動員が欲しいところ…
めちゃくちゃいい百合なので。皆さん見に行ってくださいよ。

(文・宇井彩野)

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