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メッシ、ロナウド時代の終わりに1/2

はい。今回の企画は長年続いたメッシ、ロナウドの時代の終わりに、その2人がいたチームを振り返ってみようという企画。それが欧州トップクラブの振り返りにもなるのでは?という試み。

ここではメッシ登場とロナウドブレイクの0607シーズンから1314シーズンまで。

メッシ、ロナウドそれぞれの所属チームをシーズンごとに振り返っていく。

https://note.com/yuru_foot/n/n29c0e22e06a8

https://spotifyanchor-web.app.link/e/OJ1ERzBPABb

上記をいずれかを聞きながら、ご覧ください!

06-07シーズン

メッシ19歳 バルセロナ所属 ライカールト監督

チーム成績 リーグ2位 CLベスト16 リーグカップベスト4

個人成績 リーグ戦14ゴール2アシスト シーズン合計17ゴール3アシスト

CL優勝の次のシーズン。ザンブロッタ、テュラムをユベントスから補強してCL連覇も期待されていた。中心選手はロナウジーニョ、デコであり、メッシはとんでもない若手選手くらいの立ち位置だった。センターバックにもマルケスがいて懐かしいメンバー。ライカールト監督は柔軟に若手を起用しており、イニエスタの出場機会も多く、メッシもレギュラーとして起用され成長していった。

シーズン自体はロナウジーニョの2006ワールドカップから続く不調、補強組のテュラム、ザンブロッタが活躍しきれずに、無冠に終わった。


ロナウド21歳 マンチェスターユナイテッド所属 ファーガソン監督

チーム成績リーグ優勝 CLベスト4 リーグカップベスト16 FA杯準優勝

個人成績 リーグ戦17ゴール16アシスト シーズン合計23ゴール22アシスト

ロナウドとルーニーがワールドカップで大ケンカした後のシーズン。ロナウドは英国メディアのバッシングから移籍も考えたが、ルーニー本人、ファーガソンが説得したと言われている。スーパーサブにはスウェーデンの伝説ラーションがいて、懐かしい。この時期のロナウドは得点能力の高いドリブラー兼クロッサーといった印象だった。

ロナウド、ルーニーの活躍によってリーグ優勝を果たし、若いチームでCLでもベスト4まで進出。CLでは老獪なミランに敗れたものの、ロナウド、ルーニーはカカ、ロナウジーニョに続くスター選手という印象だった。


07-08シーズン

メッシ20歳 バルセロナ所属 ライカールト監督

チーム成績リーグ3位 CLベスト4 リーグカップベスト4

個人成績 リーグ戦10ゴール14アシスト シーズン合計16ゴール16アシスト

ラリーガ屈辱の3位フィニッシュとなったシーズン。アンリの補強、ヤヤの躍進などがあったものの、ロナウジーニョ、デコの不調が響いたシーズンだった。とくにロナウジーニョは2006ワールドカップ以降パッせず、燃え尽き症候群と噂されていた記憶がある。

メッシ自身は試合に出れば出るほど活躍していた記憶があるが、メッシ、ロナウジーニョ、エトーともに中央に突っ込んできて渋滞という印象もあった。メッシのドリブルが止められないと話題になり始めたのも、この時期くらいからだった。


ロナウド22歳 マンチェスターユナイテッド所属 ファーガソン監督

チーム成績リーグ優勝 CL優勝 リーグカップ3回戦 FAカップ6回戦

個人成績 リーグ戦31ゴール7アシスト シーズン合計42ゴール8アシスト

プレミア、CLの2冠達成シーズン。ファーガソンのマンU史上でも最強のチームの1つ。メディアには上手くいかないと言われていたテベス、ルーニーの2トップが機能。ここにロナウドも絡んでいき、ポジションチェンジしながらゴールを量産。特にルーニーはロナウドが侵入するスペースを作る動きが秀逸だった。

このシーズンからエブラがレギュラーに定着。右サイドバックにはバランスをとって守備的な選手が起用されることが多かった。

この頃のロナウドはドリブル、スピードだけではなく、クロスに合わせる動き、空中戦の高さと強さ、スペースに侵入する動きの秀逸さが目立つようになる。さらに無回転フリーキックでのゴールなども印象的だった。

08-09シーズン

メッシ21歳 バルセロナ所属 グアルディオラ監督

チーム成績リーグ優勝 CL優勝 リーグカップ優勝

個人成績 リーグ戦23ゴール12アシスト シーズン合計38ゴール18アシスト

伝説の幕開けとなったシーズン。このシーズンと、これ以降では、サッカー戦術史が大きく変わった。

バルサBからの昇格でペップが監督となり、ロナウジーニョ、デコ、エトーを含まないチームを考えていると爆弾発言。結果的にエトー以外は退団となった。

ペップは、カンテラ出身で勤勉なシャビ、イニエスタ、さらに自身がバルサBで指導していたブスケツ、そして最高傑作メッシを中心にチームを作り上げた。また、アウベスをセビージャより獲得したことも、今後のバルセロナを考えると大きな補強だった。

メッシは順調に成績を伸ばしていた。さらにCL決勝ではメッシをCFに配置したゼロトップで昨シーズン王者マンUを圧倒し3冠達成。メッシが期待の若手から欧州の主役、スーパースターになったシーズンだった。


ロナウド23歳 マンチェスターユナイテッド所属 ファーガソン監督

チーム成績リーグ優勝 CL準優勝 リーグカップ優勝 FAカップベスト4

個人成績 リーグ戦18ゴール7アシスト シーズン合計26ゴール12アシスト

マンUは層を厚くするためにベルバトフを獲得。相手の戦力に合わせて442、4141を使い分けながら選手をローテーションしていく戦略で2冠を達成。しかし肝心のCL決勝ではバルセロナに圧倒されて敗退。

地味にオシェイがブラウンからスタメンを奪い、パクチソンがCLなどで勝負強さを見せるなど、チームとして層の厚かった。

ただ、リーグ戦を見ても昨シーズンと同じようなメンバー、戦術だったためか、ロナウドへのマークも厳しくなり得点、アシストともに低下。このこともあってかロナウドのFW起用が増え始めた。個人的には守備もサボりだした記憶がある。

この時期からロナウドの憧れのクラブはレアルマドリードとの噂が流れていた。

ファーガソン監督はロナウドについて自伝で、教え子の中でも最も練習熱心で、コンディション維持にも努めるプロとしての姿勢は素晴らしい、と高く評価。ルーニーよりも長く活躍する選手と語っていた。


09-10シーズン

メッシ22歳 バルセロナ所属 グアルディオラ監督

チーム成績リーグ優勝 CLベスト4 リーグカップベスト16

個人成績 リーグ戦34ゴール11アシスト シーズン合計47ゴール12アシスト

まさかのエトー、イブラヒモビッチのトレード移籍から始まったシーズン。エトーは問題児と言われるクセの強い選手であり、そこをペップが嫌がったのではないかと言われている。でもその代わりにイブラってどうかしてる。

この頃からアンリに代わってカンテラあがりのペドロ、ボージャンなどが出場機会を増加させている。とくにボージャンは当時のバルサカンテラにおける得点記録を保持しており、とにかくバルサの将来は明るく見えた。

メッシはイブラ出場時は右サイドで、昨シーズン見せたゼロトップの採用率は少なめ。それでも得点、アシスト数が跳ね上がり、メッシエイリアン化が始まっていくシーズンだった。別の惑星から来たとか、ゲームの世界の住人とか、言われるくらいずば抜けた選手になっていく。

だが、CLではエトーの放出先であるジョゼインテルに敗戦。ジョゼインテルは3冠を達成した名チームだったが、このシーズンバルサはイニエスタが離脱がち、アイスランド火山噴火でスペインからイタリアまでバス移動など、運がなかったことも要因だった。

ロナウド24歳 レアルマドリード所属 ペジェグリーニ監督

チーム成績リーグ2位 CLベスト16 リーグカップ5回戦

個人成績 リーグ戦26ゴール10アシスト シーズン合計33ゴール11アシスト

レアルマドリードの会長にぺレスが再任となったシーズン。リバプールからシャビアロンソ、アルベロア、ミランからカカ、リヨンからベンゼマ、ヴァレンシアからアルビオルを獲得し、当時の移籍金記録でマンUからロナウドも獲得。第2次銀河系軍団が結成された。ひそかにロッペン、スナイデルは放出されているが、放出先で大活躍だったのでいい取引だったのかもしれない。新しく獲得した選手以外にも、ファンニステルローイ、グティ、ラウールが健在だった。

ロナウド自身はラリーガでも活躍を見せていて、左SHやFWでゴールを意識したプレーが増加。ウインガーという印象は徐々に薄れていった。

当時の自分の感想としてはベッカムと同じように、銀河系軍団でロナウドが輝く姿は想像できなかった。それよりはハングリーにマンU残留が似合ってるなと感じていた。

10-11シーズン

メッシ23歳 バルセロナ所属 グアルディオラ監督

チーム成績リーグ優勝 CL優勝 リーグカップ準優勝

個人成績 リーグ戦31ゴール19アシスト シーズン合計53ゴール25アシスト

イブラヒモビッチ、アンリを放出し、ビジャ、マスチェラーノらがチームに加入。メッシゼロトップ戦術が本格的に始動した。ベストメンバーもしっかり固まり、無敵状態だった。歴史上最強チームの1つ。

CLではベスト4で宿敵レアルマドリーを破り、決勝ではマンチェスターユナイテッドを下して優勝。

ただ、カップ戦では決勝でモウリーニョ率いるレアルマドリーに敗戦。3冠達成はならなかった。

隙の無いチームで、この頃のバルセロナはボール保持でポジショナルに振舞い、失った後の5秒ルールで即時奪回、現在サッカーの基礎のようなプレースタイルだった。

メッシは本格的に宇宙人の称号にふさわしいプレーぶりを見せており、まさに孤高のフットボーラーと化していた。

ロナウド25歳 レアルマドリー所属 モウリーニョ監督

チーム成績リーグ2位 CLベスト4 リーグカップ優勝

個人成績 リーグ戦40ゴール13アシスト シーズン合計53ゴール18アシスト

ロナウド移籍2年目で同胞のモウリーニョが監督に就任。カルバーリョ、ケディラ、エジル、ディ・マリアなど、当時はまだビッグスターではないが好選手をしっかりと獲得。上記の面々は、2010ワールドカップでの活躍もあって注目を集めていた。

ペジェグリーニ時代と比較して、モウリーニョ時代は縦に速く攻め、深く守る意識が高くなった。ロナウドは左SHだったが、守備が免除された形になり速攻からの得点が増加しラリーガ得点王を獲得。

ただ、最大のライバルバルセロナとのCLベスト4での対戦では敗戦。とくにモウリーニョがチームを煽った結果なのか、退場者を出しての敗戦だった。それでもカップ戦ではロナウドの延長でのヘディングがさく裂し、バルサの3冠は阻止。レアルマドリーもタイトルを1つ獲得することができた。


11-12シーズン

メッシ24歳 バルセロナ所属 グアルディオラ監督

チーム成績リーグ2位 CLベスト4 リーグカップ優勝

個人成績 リーグ戦50ゴール20アシスト シーズン合計73ゴール34アシスト

メッシの個人成績がどんどん上がっていった。チームとしてはセスクがバルセロナへ帰還、サンチェスが加入し、チームの層が厚くなった。ただ、ボージャン、アフェライのような将来を期待された選手たちは、メッシ、イニエスタ、シャビの牙城を崩せなかったため、未来に向けた動きは停滞していた。

しかし、メッシの成績とは裏腹に、リーグ戦ではレアルマドリーが優勝、CLでもベスト4でチェルシー相手にまさかの敗戦となった。メッシがPKを獲得していたが、ここで外してしまい、その後チームはチェルシーのカウンターに沈んだ。

この時点でバルセロナ対策として、重心を下げたチームが増加し、メッシを擁しても得点しきれない試合も増加。

そして、ペップはこのシーズンをもってバルセロナの監督を辞した。メッシを期待の若手から宇宙人まで引き上げたのはペップの功績の1つであったが、一部ではメッシのマネージメントにペップが苦慮してチームを去る決意をしたとも言われている。選手の体調管理まで徹底したいペップと、才能があるがあまり体調管理などには気を遣わなかったメッシが衝突していたとも言われている。

ロナウド26歳 レアルマドリード所属 モウリーニョ監督

チーム成績リーグ優勝 CLベスト4 リーグカップベスト8

個人成績 リーグ戦46ゴール12アシスト シーズン合計60ゴール15アシスト

リーグ戦でペップバルサを下して優勝。圧倒的な成績で勝ち点100での優勝だった。モウリーニョのサッカーが浸透し、ラリーガでは敵なし。ペップバルサにもリーグ戦で1勝1敗と苦手意識は克服できたシーズンと言えるだろう。さすが2年目のモウリーニョという成績だったが、CLではハインケスバイエルン相手に延長、PKまでいっての敗戦。さらにカップ戦ではバルセロナに2戦とも敗れた。

ロナウド自体はエジル、ディ・マリアなどとの連携が最高潮に達していたものの、CLで勝ちきれないことに対してのフラストレーションも見て取れた。

12-13シーズン

メッシ25歳 バルセロナ所属 ビラノバ監督

チーム成績リーグ優勝 CLベスト4 リーグカップベスト4

個人成績 リーグ戦46ゴール13アシスト シーズン合計60ゴール17アシスト

ペップが退任しアシスタントコーチだった頭脳ビラノバが監督に昇格。プジョルが引退して徐々に転換を感じさせるシーズンだった。

それでもさすがビラノバ。ペップのサッカーをそのまま継承し、リーグ戦では優勝を取り戻した。勝ち点100を達成する圧倒的な結果、内容での優勝だった。

ただ、カップ戦ではレアルマドリードに2戦とも敗れ、衝撃だったのがCLベスト4でのバイエルン戦の敗戦だろう。バルセロナはハインケス率いるバイエルンに2戦合計で7-0と大きく差をつけられて敗れた。

ロナウド27歳 レアルマドリード所属 モウリーニョ監督

チーム成績リーグ2位 CLベスト4 リーグカップ準優勝

個人成績 リーグ戦34ゴール11アシスト シーズン合計55ゴール13アシスト

モウリーニョ監督の3年目は危ない、という噂が生まれたシーズンだった。レアルマドリード、スペイン代表の両方でキャプテンを務めるカシージャスとモウリーニョが衝突したと言われている。

後のモウリーニョ教え子ポグバ曰くモウリーニョは、選手を突然そこにいなかったかのように扱われる、選手と対立する、などのマネージメントが発生するらしい。

このこともあってか、ラモス、カシージャスらとモウリーニョが対立し、その結果、カシージャスではなくロペスがゴールを守る試合が増加していった。

上記のような噂が流れる時点でチームは上手くいっていなかったのだろう。ピッチ上でもチームとしては勝ちきれずに無冠でシーズンを終えた。

このシーズンのコパ決勝はアトレティコマドリーが勝ち上がっており、シメオネが段々と台頭し始めた時期。さらにCLではレアルマドリードを下してCL準優勝したのが、驚くほどインテンシティの高いサッカーを披露したクロップドルトムントだった。




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