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映画のネタバレはどこまでOKなのだろう

よく「ネタバレ」っていうじゃないですか。

映画をネタにnoteを書いていると、どこまでが許されるネタバレで、どこからがやっちゃいけないネタバレなのかしばしば悩む。

今日は『インターステラー』という映画を観てずいぶん面白かったので、あれについて書こうかと思っていたんだけど2015年公開の映画のネタバレをするのはさすがにNGだろうと思いとどまっている。

ところでネタバレで有名なのはなんといっても淀川長治先生だ。日曜洋画劇場で放映直前にネタバレして、しばしば物議をかもしていた。

今ではテレビで映画が放映されるときに解説というのはないけど、昔は全国ネットで映画が放映されるときには解説がついていた。番組開始直後と終了間際に登場して映画の見どころを紹介する役目だった。

フジの「ゴールデン映画劇場」は高島忠夫さん。
日テレの「金曜ロードショー」は水野晴朗さん
TBSの「月曜ロードショー」は荻昌弘さん。
そしてテレ朝の「日曜洋画劇場」は淀川先生だ。

映画のテレビ放映に解説がつくことはなくなったけどスポーツでは今でもこの方式が取られることがある。

ワールドカップやオリンピックなどの大きな大会では、現場のアナウンサーが試合実況を始める前に、スタジオに集まった解説者がひとしきり試合の見どころやフォーメーションやスタメンなどを語る。

そうやって気分を盛り上げから、おもむろに現場のアナウンサーにマイクを渡すわけだ。

ただし、こんなめんどくさいことをやるのは特別な試合にかぎられる。キリンチャレンジカップとか日本シリーズとかそういうハレの試合だけだ。普段のプロ野球中継やJリーグ中継にはそんなものはない。

映画もたぶんこれと同じだったのだろう。ビデオすらない時代の日曜洋画劇場はハレのものだった。一大イベントであり、尾頭つきならぬ「解説つき」で箔をつけるのにふさわしかった。

その状況で放映直前に口をすべらせていた淀川先生は今考えるとすごいのである。

視聴者からの抗議の電話などもあったそうだが、ぼくは苦にはならなかったな。ああいう淀川先生がスキと言うか、あれこそ淀川先生である。

高島さんや水野さんが軽く流すところを淀川先生はクライマックスまでしゃべってしまう。サービス精神の表れでもあり、また筋書きが分かったところで映画のオモシロさが失われるわけでもないというスタンスのあらわれでもあったのだろう。

ストリーミング配信をスマホで見るのが当たり前の昨今ではもちろん状況が違う。ネタバレだっていくらでもある。

たとえばいまここに『天空の城ラピュタ』で最後にラピュタがどうなるかを書いてもネタバレにはならない。もしそれがネタバレなら、以前ツイッターで流行っていた「バルス現象」もぜんぶネタバレである。

ネタにも賞味期限というのがあるはずだ。

極端な例でいうと、古代ギリシャ悲劇の『オイディプス王』というのは、じつは主人公が父を殺して母をめとる話なんだけど、書いても ネタバレにはならない。

オイディプス王が書かれたのは紀元前5世紀らしいが、特許だって20年で失効するのに2500年間もネタバレしてはいけないなんてことがあるわけない。

ならば、関ケ原の戦いで東軍が勝ったか西軍が勝ったかも言ってはいけないことになってしまう(汗)。

というわけでぼくはこないだ小津安二郎監督の『お茶漬の味』のストーリーを最後まで書いてしまったのである。『お茶漬の味』は1952年の作品だ。1回目の東京オリンピックのさらに12年も前である。

いまさら前回の東京五輪の男子マラソンで優勝したのがアベベだとばらしても「録画をこれから見るところだったのに言うなよ~」という人はいない。

それどころか2021年の日本シリーズの勝者がヤクルトだったというも言っていいはずだ。ならば、1952年の映画の筋書きくらい書いたっていいと判断したわけである。

しかしだ。ニューマン&レッドフォード主演の『スティング』は1973年の作品だけど、ネタバレはNGな気がする。昔の作品だからといって、あれの筋書きをバラすのは作品を殺すのに近い。

もっと極端な例を挙げよう。ぼくがヒッチコックで一番好きなのは『恐喝(ゆすり)』という作品だけど、これなんか1929年だ。満州事変の前ですよ。

しかし、この映画の良さはラストに集約されているので言ってしまったら作品を殺すような気がして気持ちにブレーキがかかる。

とはいえ、今これを読んでいる人のうち生涯に『恐喝(ゆすり)』を見る人の割合は0.00001%以下だろう。そう考えると、作品のためにも、ラストのおもしろさを語る方がいいようにも思えるので悩む。

ならば『シックスセンス』(1999)はあたりはどうなのだろう?これから見るという人もいるだろうけど、もう23年も前の作品だ。みんないいかげん知ってるし、語っている。アメリカのラジオ放送では「なぜあれにだまされてしまうのか」を心理学的に考察する番組すらあった。

あんまりネタバレを気にしすぎるとこっちも疲れるのでほどほどにして、運の悪かった人にはあきらめてもらってもいいのではないか。

そうすると『お茶漬の味』は東京オリンピックより前だからいいということにはならないけど、『スティング』や『恐喝(ゆすり)』のようなプロット重視の映画ではないので言ってもいいような。。。

しかし、さっき『ロッキー』を紹介しているブログをちょこっと読んでみたらラストをぼかしていた。「エイドリア~ン」すらダメなのかと思うと悩む。

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