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非二元の先にあるもの。

顕在意識と潜在意識を二元的に観ていく中で、この2つも「非二元」的に眺める場所がある。
それは「全てはただ起こっている」というスペースだ。
顕在意識と潜在意識が「和合」するところでもあり、実は両方とも打ち消されて無くなるところであるとも言える。「陰」と「陽」のバランスが取られた「太極」とかのところ、それがよく言う、今ここ、とかワンネスとか、全てが「ただ在る」という場所。

昔、いわゆる“一瞥体験”というものが起こった事がある。それは買い物に行く車の運転中に突然起こった。
バックミラーを眺めた時に、自分の顔を初めて見たような、急に「ん?」という感覚があって。その後運転に戻るんだけど、周りの景色がものすごく鮮明で「なになになに?」て。
道を歩く人、隣を走る車、流れてく景色、全て初めて目にする様な繊細さ。そして何より自分の身体的感覚、五感がものすごーいのだ。
あまりのリアルさのようなものに、キョロキョロしながらスーパーの駐車場に車を停めた。
自分の顔を見て、両手を確認してまた顔を見て、そして周りの景色の新鮮さに圧倒され、思わず笑ってしまった。
そして思った。
「産まれた瞬間からこの感覚だったんや」
この「視点」に気づいてしまったのだ。
と、思い始めてたらまた日常の景色に戻る。
「思考」が優位になったのだ。
大人しくお家へ帰るブーン

この日々起こる顕在的な「思考」が、いかにこの「視点」を邪魔しているのかが分かった。
何処からか絶えず“この空間”に思考やら感情やらは流れてきて、人はそれと『同化』し、自分自身だと思い込んでいる。「内」から出てくるものもあれば、「外」から流れてくるものもあって、それは各々の解釈や概念によってストーリー化され、ヒューマンドラマになっている。本当は何も起こっていないのに、ただ「在る」だけなのに、「現象」をこねくり回して子供のように遊んでいるのだ。

その自分の中にある空間に気がつくと、次また不思議なことに気づく事になる。
私の”視点“とあなたの”視点“、全ての人の
「目」は完全に一緒なのだと。
そして、「あなた」と「私」などというものは存在せず、全ては「私」と錯覚しているこの「目」なのだと。
世界を皆、同時に目撃しているのだ。

その後、何度かこの体験があり、自分からもその空間にアクセスを試みる。
瞑想をしたりして、よりそれに近い感覚に持っていく、それを保つ。気持ちがいいからね。
自分に起こった事が一瞥体験だと知り、どういう事だったのか答え合わせをした。
「ノンデュアリティー」という言葉をその時初めて知り、探求に時間を注いだ。
そして最後の最後に辿り着いたのは。
その体験自体にあまり意味をつけても“意味がなーい”という事だった。意味を持たせていることすら思考なのだ。
その体験も「私」という概念の中のドラマに過ぎない。あくまでも「体験」は「体験」でしかなく、それを追い求める理由はないと気づいた。
むしろそれを一生懸命理解しようとしている事が強烈な思考のトリックで、目の前にある“リアル”に気付けないでいるという、なんとも可笑しい喜劇なのですわ。

その後、日々の生活の中に何か変化が現れたのかというと、、起こる事は何も変わらない(笑)
俗にいう、「目覚め」のような体験があったとしても、日々人付き合いはあるし、子供にはいろいろ要求されるし、税金は払わなきゃいけない。エブリデイ、生活は待ったなしだ(笑)
ただ、何も変わらないというのは少し語弊があるな。その“視点”からこの世界を「眺めている」という事を“知っている”という事。
「非二元」と「二元」を行ったり来たりして、日々のドラマを楽しんでいるのだ。

日常に全てはある。

顕在とか潜在とかあれこれ遊んでいると、もう一つの扉が開く。
私たちはすでに潜在的意識で生きているという事。そして、周りに見える景色、目の前にいる人、これらは全て私の潜在意識の「現れ」であるという気付きが起こる。この辺はまた別の機会にヒプノセラピストとして書こうと思う。タブン
てなわけで、そうなるとこっちのもんだ。
全てが愛おしくてしょうがなくなるのよ。
そして、その理解はシンプルに、生活の中に、日常の中に全てがある事を教えてくれる。
覚醒だとか悟りだとかで、別に区切らなくてもいい。区切って遊んでもいいんだけど笑。
丁寧に掃除をする。
料理をする行為と向かい合う。
子供と真剣にゲームをやる。
気持ち良く歩く。
深呼吸を味わう。等等。
生活に全て詰まってる。アレがね、アレが笑。

結局は“顕在意識”も“潜在意識”と常に手を繋いでるわけで。二元であって二元じゃないわけで。
分けた時から“それ”は、潜在意識と顕在意識に分けられたわけで。
なぜなら『潜在意識的意識』だけのまんまじゃあれこれ遊べなくなるわけで。
大胆に言うと、顕在意識は私たちにとって嗜好品という見方もできるわけで笑。

なので、非二元の先にあるもの。
それは「生活」。
「生」を「活きる」
“顕在意識”と“潜在意識”が統合したら
また元の暮らしに戻るのでする。

そのくりかえし〜





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